浜松市の北区区役所は細江町気賀にあるが、平成の大合併前、ここは引佐郡細江町だった。この細江の中心部が気賀であり、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」では気賀が出てきたのにビックリした。江戸時代には姫街道の気賀関所が設けられている。

 

また、平成天皇が若い頃に何度か訪れたプリンス岬があるのもここ細江町。私も三ヶ日から気賀まで浜名湖沿いを歩いた時に通っている。ちょっとその文章を引用する。

 

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平成天皇が9回も訪れたプリンス岬もこの付近らしい。この日はプリンス岬をスルーしてしまったが、五味半島と言う浜名湖に突き出たエリアがプリンス岬なんだと、後日NHKの番組で知った。確か「はじめての1人旅」って番組タイトルだった。空撮映像はとても美しい。

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※出典:弊ブログ「湖畔を辿って三ヶ日から気賀へ④(ようやく細江町)」

 

もっと時代を遡ると、細江町で銅鐸が5つ(他2つは三ヶ日ほか)出土している。私も尉ヶ峰の下山路で歴史民俗資料館を見つけて、銅鐸のレプリカを触った事がある。

 

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弥生時代に作られ、使われた青銅製の銅鐸は稲作の豊作祈願の祭りに使われた道具とも言われ、7つ出土しています。銅鐸が埋もれたままの状態で、金属探知機により見つかったのは全国でも初めてのことでした。浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館で見ることができます。

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※出典

https://www.fujinokuni-mura.net/doutaku-suiden-nakagawa/

 

(1)家康との関わり  ※引用文は斜体表記

浜松中心部にとって家康は城主だが、この地域にとっては侵略者としての跡が残っている。どちらもホントの姿なので公平に見ておこう。NHK「おんな城主 直虎」ではそうした負のシーンも描かれていた。

 

姫街道沿いにあるので、以前に三ヶ日から気賀まで歩いた時に写真を撮っているはず。残念ながら写真が見当たらないのでネット記事を引用するに留める。当時は史跡を意識する事もなかったが、天浜線・気賀駅の北側に獄門畷の碑が立っている。

 

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永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、今川義元が戦死した後、徳川家康の遠州侵攻を防ごうと、気賀の人々は、領主今川氏のために堀川城を造り、最後まで戦った。堀川城址は、ここから南へ600メートル程にある。永禄12年(1569)3月27日、堀川城に2000人の男女が立てこもり、3000人の家康軍に攻められて、落城したといわれている。大久保彦左衛門の記録に「男女共になで切りにし。」とある。そしてその後に捕えられた約700人の人々も、同年9月9日にこの付近で首を打たれた。その首をこの小川に沿った土手にさらしたので「ごくもんなわて」と言われるようになった。  細江町教育委員会

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※出典

http://shizuka2015.jugem.jp/?eid=799

 

有名な三方ヶ原の戦いは北区三方原で1572年に繰り広げられたもの。余談だが、三方原の住民はどうも北区に割り振られた事をずっと不本意に思っており、ロビー活動を続けていたようだ。その結果が2024年からの区割り変更に表れている。

 

(2)写真紹介

・気賀駅ホームに井伊家の家紋 ※再掲

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・細江町のマンホール ※再掲

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・とやま製菓の銅鐸最中(2)

2024年に親戚から頂戴したお菓子。細江町の名産品や歴史が詰まった包み紙がローカル感満載で嬉しい。

 

 

(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は原則として①のリンクを付けた)

・尉ケ峰

 

・引佐峠から姫街道で

 

・寸座峠から浜名湖に沿って

 

(4)まだ紹介できていないスポット

なし

 

(5)これから行きたい所

・気賀関所

・祝田の坂を下る

・三方ヶ原古戦場

 

【2024.6.29】とやま製菓の銅鐸最中の写真を追加しました。