みかん畑もようやく終わり、薄暗い山道に入っていく。案内板を見ると、旅の無事を祈念した岩だとか。

 

<ようやく土の道へ、石投げ岩、象鳴き坂>

 

 

 

ずっと平地が続いていたので、ちょっとした坂でもキツく感じる。石投げ岩の辺りの坂は、徳川8代将軍吉宗の時代にベトナムから贈られたゾウが長崎から江戸に向かうのにこの姫街道を通ったとか。この坂がキツくて象が鳴いたため「象鳴き坂」と名前が付いたとか。

 

<引佐峠、白い花>

 

 

折角いにしえの山道に入ったのに、30分もしないで下ってしまう。とにかく引佐峠から下は呆気なかった。

 

<みかん畑、小花>

 

 

犬にガンガン吠えられた。決して怪しい行動はしていないんだけど、吠えまくってきた。ダイダラボッチの足跡で犬に背を向けた状態でなんとも落ち着かなかった。そもそもダイダラボッチって、聞いた事あるようなないようなだけど誰? 案内板によるとこう書かれていた。

 

「琵琶湖を掘った土を運んで富士山を造った人。尉ケ峰に腰を掛けて弁当を食べたとき、ご飯の中に入っていた小石を浜名湖に捨てたら礫(つぶて)島ができた。腰を掛けた尉ケ峰は少し低くなってしまった」

 

おー、なかなか壮大な物語だ。確か石巻山(湖西連峰)の登山道にもダイダラボッチの足跡があったけど、そこは岩の窪みをそう表現していた。大きさが全然違うじゃないか。

 

<シロツメクサ、気賀駅前の商店で細江産の大根50円>

 

 

サクラも早いけど、まああるかも。でも、緑の葉が広がってシロツメクサが咲いているととても2月末とは思えない。この日は舗装道路が多かったのでいつものヤマ旅とは趣向が違ったけど、気賀駅前に戻ってきた事で年始にここからstartした引佐郡のヤマ旅が一区切りしたような達成感があった。

 

この日の後半に見つけた史跡は以下の通り。

・石投げ岩

・象鳴き坂 ※文章で補足済

・引佐峠

・姫岩

・薬師堂

・ダイダラボッチの足跡(溜池かも) ※文章で補足済

・江戸より69里の一里塚

・獄門畷

 

昨年、嵩山から本坂峠への上り口で「江戸より73里」の立札を見つけた。本坂峠の東側にも「72里」の一里塚があった。そう、そこから数えて4本目の一里塚なので、1里=4kmとすると昨年来ザックリ16kmは姫街道を歩いた事になる。気賀より東は市街地が多くなるだろうから、もし次にこの旧街道を歩くとすれば嵩山から西側になる。御油宿までどこが楽しそうな道が残っているのか調べてみよう。

 

***

 

この旅で見つけた早咲きの桜としだれ梅など3種は一足お先に以下のブログで紹介したので、そちらを参照。尚、一緒に乗っているミモザは、別の日に三岳山から井伊谷に戻る途中で見つけたもの。

 

 

【2022.2追記】獄門畷を追記。先日、この付近にある堀川城址を見て思い出したもの。獄門畷には三河の徳川家康が遠州に侵攻してきた当時の碑が建てられていた。案内文を読むと確かにこうしたシーンがNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に描かれていた。