浜松市天竜区は旧天竜市を中心としてとにかく広い。前回は旧天竜市を紹介したので、今回はその北に連なる旧龍山村、佐久間町、水窪町、春野町エリアを紹介する。
この地域は天竜美林に覆われているが、過疎化しているのも事実。2023年の正月に中日新聞の1面トップで龍山村を5日間に亘って取り上げていた。過疎の姿は分かるとして、昔はこんなに栄えていたとか、明るくなれるような内容があればと思ったのもホント。
(1)家康との関わり ※引用文は斜体表記
NHK「どうする家康」でも阿部信玄が信濃と三河の国境まで家康の偵察にきていた。高根城址がある遠州・水窪町もそこからそう遠くない。信玄や勝頼との闘いを繰り返す中で、山住神社の古道に家康の腰掛岩がある。
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山住神社は徳川家康にもゆかりがあると言われ、山住古道にはかつて家康が旅の道中に座ったという腰掛岩が今も残されています。
まだ3月なのにヒルが出てきたのには驚きました。
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※出典
三方原の戦いの後で、家康がいろいろな方面に逃げた逸話はあれこれ残っている。でも、どうして水窪と家康が関係するのか理解できなくてモヤモヤしていた。いざ武田と徳川の戦いがあまりに長かったのを知ると納得。
1572年 三方原の戦い(高根と犬居を通過)
1573年 信玄没
1575年 長篠の戦い
1576年 犬居城を奪還
1579年 築山殿と嫡男信康の死
1581年 高天神城を奪還
1582年 信長没、勝頼没
こうして年表から抜き出してみると、ザックリ10年以上の長きに亘って武田と戦ってきた事になる。私が訪れた犬居城や高根城址のほかにも、大洞若子城などの山城が残っているとか。これだけ抗争を続けていれば、家康の足跡が北遠各地に残されているのは何らおかしくない。
犬居城に関しても武田と徳川で攻防戦が繰り広げられている。そちらは先日書いた犬居城址のブログを参照願う。
それともう1つ。歴史に「もし」はないのは分かっている。でも、歴史のコマが僅か3年でも違っいれば、もしかして瀬名と信康の命も助かったのではないかと思ってしまう。
(2)写真紹介
・秋葉橋(龍山村) ※再掲
・秋葉神社(春野町) ※再掲
・高根城址(水窪町) ※再掲
・北遠に残る城址パンフレットの裏表紙(天竜区魅力ある区づくり事業実行委員会が発行)
(3)私がアップしたAmeba記事(複数回に分けた投稿は原則として①のリンクを付けた)
・秋葉山
・龍山村と秋葉ダム
・春野町の犬居城址
・水窪町の高根城址
(4)まだ紹介できていないスポット
・飯田線の車窓から窺う佐久間町
(5)これから行きたい所
・青崩峠
・山住神社と常光寺山
・西渡駅と竜頭山
(6)ご参考
北遠の盛衰についてやまやさんの以下Amebaブログが詳しく記述されている。6/3公開と丁度いいタイミングだったので引用させて頂きました。
<やまやさんの6/3ブログ>
【2023.9.27変更】ブログタイトルを「『どうする』紀行」に変更しました。