誰でも歳は取りたくない?
そうでしょうね~。
アタシ?
実はそう思うことがありません。
小学生の頃から、
”こんな爺さん婆さんにはなりたくない”
”けれど、こういう爺さんは存在感ある
な~”
とか、
年の取り方になぜか敏感だったことは
人生、終始一貫していて、
月並みな言葉だけれど、
”自分の顔は自分で創る”
という意思が物凄く強くて、
さらに、
社会人になってからは、
終始一貫していて、
「世の流れに従って時代を生きる」
それは、
”アタシには金輪際無縁の世界”
だと納得したのです。
ええ、試行錯誤というか
迷いというか、
それは、
家族5人の生活が現実問題として
ある以上、
その責任は果たさなければならない
わけで、
安定した豊かな生活、
最近の陳腐な言葉で言えば、
「上級国民」になりたいと思うことは
ありましたし、
自分さえその気になれば、
それは実現の可能性は非常に高かった
のですが、
いくら何でも、
これに酷似して、魂を売る
ファウストの世界と言えば文学的だけれど、
ちっとも、そんな気配とは無縁の
日々、途切れなく恥を晒している、
どこぞの雇われ首相の
「金と嫉妬と自己顕示欲の執念」
が導いた低俗創造物の見本
みたないな、
こんな顔なら人生は大失敗で、
ええこの世では天国でしょうが、
あの世では万年の地獄行きって
ところで、
「雇われない、自分の人生で顔を創る」
ことにしてきたのです。
しかし、
われながらまだまだ納得のいくものではなく、
思うに、
「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という言葉を人生訓として、
これを、
「艱難汝を玉にす」
という言葉に翻訳して、
さらに、それではなんだか暗いから、
「心配するより工夫せよ」
で、明るく前向き前進の味付けをして、
なんとか、
自分の顔を創ってこの世の人生を
終えたい
これがアタシの人生の目標なのです。
アタシは、
歳を取るといういことは絶えざる魂の
進化が使命であって、
生まれ変わった次の人生への
準備であると確信するのです。
そりゃ、来生はあるかどうか
そんなことは確認しようがないけれど、
世間の様々な状況、情報を総合して
アタシの人生の過程で検証してきた
結果、
魂は来生に継続する!!!!
という確信があるのです。
すると、
今が人生、この一刻が!!!!
ということを、
アタシは素直に納得していて、
そりゃ、人それぞれだけれど、
アタシはそう確信している
というだけのことです。
これが、
自分の顔は自分で創る
アタシの流儀なんですが・・・
だから、
アタシは歳を取りたくない
とは思わないのです。









