こんばんは

 

しらこまです

 

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散策記まとめページ1(~2017年)

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今回は久しぶりに歴史めぐり的な記事

 

横浜市歴史博物館に行ってみた

横浜市歴史博物館は、神奈川県立博物館のある みなとみらい(馬車道)とは違う場所にあって

 

横浜市営地下鉄のセンター北駅から徒歩のところにある

 

コロナの関係で事前予約性の入場方式になっていて、ネットとかから予約、入場券購入ができた

 

たしか30分ごとに20人ずつのようではあったけど、

 

直前でも予約枠は全然空いてた

 

行った時は企画展「縄文ムラの原風景 目指せ世界遺産! 岩手県御所野遺跡」が行われてた

 

この企画展は2021年4月10日~6月27日の期間で行われてたけど、

 

5月26日にICOMOSによって、御所野遺跡が含まれてる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が

 

世界遺産への登録が適当だという勧告がされ、

 

7月27日に実際に世界文化遺産への記載が確定した

 

 

このブログでも、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中でも代表格の

 

三内丸山遺跡に行ってたからうれしい

 

 

 

ちょうど散策記65-6の最後の方でこの世界遺産登録を目指す写真も載せてた

 

 

というわけで話を戻して岩手県の御所野遺跡

御所野遺跡は岩手でも北の方の一戸町にある

 

おなじみの土器紹介とかがあったりしたけど

 

これが気になった

縄文時代の日本では原油が一部の場所で出てきていたので。

 

そこから天然のアスファルトを作っていたらしい

 

地図を見た感じ、現在の北海道南端、青森、秋田、山形、新潟のエリアで点々で出ていたらしい

 

御所野遺跡のものは秋田の方から渡ってきたとされてるんだって

 

 

あとは家を焼いていたかもしれないという説

復元住居を焼失させたときの状態と、発掘時の状態が近いらしい

 

この焼いたっぽい住居跡は東北北部や北海道エリアで見つかっていて、

 

アイヌに「カシオマンテ」という家を焼く風習があったからその風習がここにもあったかもらしい

 

という感じでした

いつかじっくり「北海道・北東北の縄文遺跡群」もしてみたい

全部は無理そうだけど

 

 

 

常設展の方も見応えがあった

横浜市を中心として古代から

近現代の話まで

 

なんか近世近代よりも古代~中世のほうが細かいなーと思う珍しい展示だった

 

まあ開港とかそこらへんは別に博物館があるし、そんな詳しくしなくてもいいのかもね

 

郡衙とか、いざ鎌倉あたりが少し細かかった

 

あとは時間のタイミング的に後回しにしてた映像での紹介も見た

 

あの鳥はいらなかったかな…という感想だけ。

 

 

 

続いて博物館の隣にあるへ大塚・歳勝土遺跡公園へ

博物館から歩道橋経由で行くと、漫画のお出迎えがある

 

 

きれいなハト

久々にここまできれいな模様なの見たかも

 

竹林を抜けていくとまずは大塚遺跡

弥生時代にあった環濠集落を一部復元してた

森と同化してて見辛いけど、竪穴住居もある

 

あわせて10弱の建物が復元されてた

 

建物の中は特有の湿気とにおいがしてた

実際、日本だと湿気が強いしカビとか発生しやすいしあんまり住むのに適していなかったのでは…?

高床倉庫もあった

 

 

そこから80mほどのところに、今度は歳勝土遺跡がある

大塚遺跡がムラの遺跡なのに対して、歳勝土遺跡は墓の遺跡

 

典型的な方形周溝墓の形で作られてた(復元)

基本は溝の内側にある四角形の部分に埋葬されてるけど、

 

溝になっている部分にも埋葬されているような形跡があったらしい

 

 

こんな感じで埋葬されていたんじゃないか画

 

 

発掘調査で、下のような感じで見つかったらしい

ここ掘った形跡があるな 的に見えて発掘したのかな?

 

いまは公園の名前を冠している通り、あそび場になってた

 

 

 

ここから南の方に行って、センター南駅近辺まで行くと、

 

今度は茅ヶ崎城址公園が

別で湘南のほうに茅ヶ崎があるけど、それとは別で、ここ近辺の地名が茅ケ崎

 

結構看板は整備されてたんだけど…

 

草生える

 

もうとにかく草むらという感じで、虫がぴょんと出てきそうでそっちが怖かった

茅ヶ崎城は小机城の支城的な感じで歴史の表舞台にはあまり出てきていなかったみたいで

 

あまりよく分からなかった

 

一国一城令で廃城になったらしい

 

 

という感じで適当な感じだけどおしまい。