こんばんは

 

しらこまです

 

 

前記事の続き。

 

三内丸山遺跡のフィールドのほうに行きます

 

さっきの施設、縄文時遊館から300mくらい歩く

 

自分たちの世代では歴史の教科書とかにも載ってるくらいだけど、

 

1992年から発掘調査ってことで割と最近

 

烏がたくさんいました

 

周りに建物が少なく、昔もこれに近い感じだったのかな

 

人だかりが2集団くらいある 片方はガイドツアーの一行、もう片方は撮影をしてた

 

この規模での復元ってさすがだなぁ

 

大型竪穴住居 長さ32mで日本最大

 

竪穴住居は半分埋まってるから窓が無いのはしょうがないんだけど、暗かった

 

当時は照明があるわけないからどうしてたんだろう

 

火を使うにもやりすぎると かなり煙いよね…

 

そして大型掘立柱建物

 

3層の建物っていうのはわかっているものの屋根の形が分からず復元されてない

 

切妻、寄棟、入母屋のいずれかなのかな

 

壁とか階段もどうなってたのかな? さすがにこっちには窓あるかな

 

もともとあったとされる場所はドームを作って湿度を高めにして保存されています

 

この6つの穴が柱があった部分

 

底にある木は当時の遺物で約4200年前から残っているものらしい

 

こんなドームを作って保存してます

 

屋根とか壁とかどうにか解明できるといいけどねー…

 

他にもまだ発掘中な部分はたくさんある

 

測量とかもしつつ調査中

 

再訪したときにまた違った景色を見ることが出来るかもね

 

この周辺には烏領があるから気を付けないと

 

 

北盛土 いわばごみ捨て場としてあったらしいけど

 

居住地との距離が近すぎ もう少し遠くてもよかったんじゃないかと思うけど

 

 

あと周辺には栗の木がたくさんあって、実も落ちてます

 

さっきの大型掘立柱建物跡地の木も栗の木だったらしく、

 

その当時からクリの木を使って、また栗の実も食べてたそう

 

数千年経ってもこういうのが変わってないってすごい

 

 

あとは普通の掘立柱建物も

 

柱が35㎝の倍数で配置されてるんだって

 

さっきの大型のほうも4.2m(35cm×12)だし、35㎝が何かの基準だったのか

 

 

こちらも大型竪穴住居跡 こっちは長さ約18m

 

最初に載せた大型竪穴住居は縄文中期後半のもの、こっちは前期のもので

 

1000年くらい間があるそうなので、少なくともその間は定住してた可能性もあるのかな

 

 

あとは住居用?の竪穴住居群も復元されています

 

南盛土 さっきの北盛土と同様、ゴミ捨て場としての役割

 

こっちのほうがかなり盛られてる

 

というわけで復元された三内丸山遺跡でした

 

 

そういえば載せそびれた遺跡構内map

 

続く。