こんばんは

 

しらこまです

 

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散策記まとめページ2(2018年~)

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関連?記事→散策記52-1 (本家)夢の跡in平泉

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前記事(時系列順)の続き。

 

 

五稜郭タワーからの景色を見た後は、五稜郭の内部を実際に歩いてみる

五稜郭は、いち早く様式を取り入れていき、築造時のままほぼ形も残ってるため、

特別史跡になってるんだとか

 

結構隙間が少なくてうまく作られてる石垣

 

武田斐三郎先生の顕彰碑

五稜郭を設計した人

前記事にも載せた、陵堡と半月堡とそれぞれが5つあった、もともとの五稜郭設計図

 

このままの形で造られていたらもっとかっこよかったかも

 

 

そのあとは復元されている箱館奉行所を見る

そもそも五稜郭は、この箱館奉行所をもともとあった函館山のふもとの方から

 

移転させるために造られた

海から敵船の大砲が届かない距離、

 

市街地が近い、川にも近いという事で、今の場所に造ることになったんだって

 

やはり、開国時期に近かったこともあって、外国の圧力に屈しないように、

 

海沿いには弁天岬台場というのも作られたけど、

箱館戦争のときに旧幕府軍の防御拠点になったくらいで、実際にはあまり使われなかったみたい

 

 

五稜郭のように多角形になっている陵堡式城郭の要塞は世界中を見ると結構ある

ヨーロッパに集中してた

 

日本国内には箱館五稜郭のほかに、長野県の佐久に龍岡城五稜郭もあるらしい

 

ヨーロッパ以外の地域でも、北米、東南アジア、台湾とかにもある

 

ただ、基本的にはヨーロッパの植民地に入植者が築いたものが多く、

 

箱館の五稜郭のように現地の人が模倣をして作ったのはあまりないらしい

 

そこが特異点なのかな

 

 

箱館奉行所はやはり広い

今でもまあまあ広いけど、赤い部分のみが復元されていて、ほかにもまだまだあったみたい

 

 

ところで、五稜郭の近くには四稜郭というのもあった

ただ、箱館戦争のときには総攻撃のときに短時間で陥落してしまったらしい…

 

 

一通り観覧して、外に出ようとしたときに学芸員の方に話しかけられたもの

この信楽焼の甕

 

玄関の床下部分に埋められてたんだって

 

この甕は、学芸員の方によると、防犯のために使われてた?とのこと

この甕の上を通ると甕の中で音が反響して大きく聞こえることから、

 

例えば二条城のウグイス張りの廊下のような感じにした ってことらしい

 

まだ確定的な話ではないらしいけど…

このあたりの床下にあったんだって

 

 

そのあとは陵堡の上を少しだけ歩いた

今では桜が満開

 

これだけ見ると、150年前に戦争があったとは思えないほど平和な景色

 

という感じで五稜郭観光はおしまい

 

 

次の記事(散策記90-3-3)に続く。