こんばんは

 

しらこまです

 

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散策記まとめページ2(2018年~)

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函館旅行3日目。

 

 

この日は五稜郭からスタート

鯉のぼりが泳いでた

 

道路を歩いていたら桜が満開だった

函館付近はちょうどGWあたりが桜の見ごろらしい

 

特に五稜郭周辺は桜の木が多く植えられてる

 

 

で、五稜郭タワーに行くと展望台に行くエレベーター待ちの行列と、

 

チケット購入の行列がそれぞれできてた

 

相当並んでたからひとまず並んだ

 

結果的にはチケット購入とエレベーター待ちとで40分くらいだった

 

函館山のときもだけどやはり行列がすごい…

 

 

行列待ち中に撮ってた写真

タワー行くときにまあまあな確率で見るタワー一覧

 

これに載ってないものも含めて結構登ったなぁ…

 

外には花見客がいた

 

 

そんな感じでようやくエレベーターに乗って展望台へ

きれいな五角形!

 

しっかり五角形してた

五稜郭はその名の通り、五つの稜線上にある廓だから五稜郭

 

それぞれの角の部分に見張りを立てると、

 

両隣の角の様子も見ることができて、異常が起きたときはすぐに発見できるらしい

 

今は桜とか木とかで見えなかったけどね

桜は結構周りに多く植えられてた

 

展望台からは函館山方面も見れた

意外と横に長かった

 

壁際には五稜郭物語と題して、五稜郭のこれまでの歴史について書かれていた

 

五稜郭は明治末期の箱館開港を機に造られ始めることに

 

ちなみに、箱館は下田とともに最初に開港したところみたい

 

五稜郭は初期に設計されたものとは違っていた

本来の五角形の部分(陵堡)のそれぞれの間にさらに半月堡という土塁みたいなものがつく予定だった

最終的には、建設費用と時間との問題で半月堡は一つだけになった

 

五稜郭建造の工事は1866年に完了したものの、

 

2年後の1868年に戊辰戦争が勃発し、旧幕府軍が北へ逃れてきた

北の大地は広大だから、開拓をして安定した生活を送れる可能性があったため来たらしい

 

10月21日に鵜ノ木に上陸して、新政府軍の役所となっていた五稜郭の箱館府に向けて

 

進軍をしていき、戦闘があったものの旧幕府軍の快進撃で、

 

わずか5日後に箱館を占領したそう

 

その後、松前藩とも戦闘が起き、こちらも11月15日には制圧

 

その後仮政権を建てたものの、

1869年には新政府軍は海軍力が旧幕府軍を上回った期を見て反撃を開始、

4月末には箱館と五稜郭以外は新政府軍が奪回するような状況だった

 

その後箱館総攻撃が始まり、5月17日に旧幕府軍が降伏という形で

戊辰戦争の最後に当たる箱館戦争が終わった

 

 

その後、陸軍の練兵場となり、

 

1914年から五稜郭公園として、公園としての道を歩み出したそう

 

もう100年以上は公園になってるんだね…

 

 

五稜郭タワー内部では、

 

上の写真に載せた説明書きのほかに、4コマ漫画に仕立てたものも載ってるので

 

理解が深められそう

 

 

というあたりで続く。