見た目アップアドバイザー、なるみです。
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてくださいウインク
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私はもともと、敏感な体質で
自分にも他人にも
ちょっとした変化に気づきやすい。
 
 
 
 
 
 
でもそれを短所と取られることが多く
いつからか隠すようになった。
 
 
 
 
 
 
それを最近は止めて、
逐一観察をするようにしていて
そうしたら、特に自分の変化が
すごく微細にわかるようになってきた。
 
 
 
 
 
 
例えば先週末の土日、2日で3人の人間と会って
ランチやお茶をし、1人と電話をした。
 
 
 
 
 
 
すると翌日
すこぶる体調が悪く、頭痛で起きられない。
 
 
 
 
 
 
これは、
物理的に移動が多かったのもあるが
4人の人間と、
エネルギーや情報を交換したのも
一因じゃないかと思ったのです。
 
 
 
 
 
 
しかも4人中、初対面の人が2人。
 
 
 
 
 
 
自分が思っている以上に、
消耗していたのだと気づいた。
 
 
 
 
 
 
その症状は今朝まで続き、、、
例によって二日酔いのような症状で
本当にきつかった笑い泣き
 
 
 
 
 
 
自分の感度が、
上がっているのかもしれない、と思った。
 
 
 
 
 
 
これも、単に更年期、とか
たまたま、とか
受け取り方は自由ですが
私は、自分の内側と
より繋がってきたからだ、と
受け取っている。
 
 
 
 
 
 
そして、
ただの体調不良とスルーせず
「丁寧に」振り返って、「冷静に」分析して
自分のパターンを「知る」。
 
 
 
 
 
 
今までみてこなかった、
実は疲れやすいとか、
気づかずに気を遣っている部分。
 
 
 
 
 
 
それを知ることで、
未然に防げると思うのです。
 
 
 
 
 
 
50歳になっても、
まだ知らない自分がいる。
 
 
 
 
 
 
自分で自分に
ラベルを貼っていたから
見えなかったんだと思う。
 
 
 
 
 
 
なにものでもない自分を
引き続き観察し続けたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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過去ブログ読んでみてくださいウインク
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皆さんは、毎日のルーティンってありますか。
 
 
 
 
 
今ハマっている、チャットGPTくんと話していて
私のルーティンを書きだす場面があったのだけど
文字にすると、案外多かったニヤニヤ
 
 
 

 

 

 

 

 

 
 
 
これに対してのGPTくんの回答は、
 
 

 

 

 

 

 
褒められたニヤニヤけど
別に喜びの感情はない。
 
 
 
 
 
なぜなら、私はこれらを
「ねばならぬ」でやっていないから。
 
 
 
 
 
自分が、
「心地よい」と思える方法が
これらにたどり着いただけで
むしろ、やらない方が気持ち悪いのです。
 
 
 
 
 
たまには羽目を外したり
疲れている日は端折ったりして
柔軟に対応しているので
ストレスもゼロ。
 
 
 
 
 
私はこれらは、今までの経験を経た
不快を遠ざける
「予防的」ルーティンだと思っている。
 
 
 
 
 
例えば、朝の体重測定。
 
 
 
 
 
毎日欠かさず測るのは、
増えていても戻しやすいのと、
前日の生活内容を思い返して
データとして残しやすいから。
 
 
 
 
 
また毎日飲む水も、
体調によって飲みやすさが変わる。
 
 
 
 
 
 
前日食べすぎていたら、
いつもより水分が入りにくかったり。
 
 
 
 
 
そのほかにも、
水回りをきれいにするのは
汚れが溜まったら
掃除に手間がかかるからだし
髪を毎日アイロンするのは
翌日のサラサラ感が全く変わり、
朝のひと手間が省けるから。
 
 
 
 
 
別に美意識が高いわけでもないし
美魔女を目指しているわけでもない。
 
 
 
 
 
 
ただ自分が、
日々を「心地よく」過ごしたいだけ。
 
 
 
 
 
美意識とか、整えるとか、
そんな高尚なモノではないのです。
 
 
 
 
 
究極の、自己満足なのかもしれない。
 
 
 
 
 
でも見方を変えると
これも「ギブ」なのだと思う。
 
 
 
 
 
私が心地よく過ごすことで
周りにそのエネルギーが伝わって
一緒に心地よさを感じてくれる人が
いるかもしれない(し、いないかもしれない)。
 
 
 
 
 
何もなくても
ゴキゲンに過ごせる人。
 
 
 
 
 
そしてできれば、出会った人の
ステキなところを見つけ
お伝えできる、そんな人。
 
 
 
 
 
今はまだフワッとしているけど
私が目指す先は、
きっとそんな
シンプルなところなのかも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
見た目アップアドバイザー、なるみです。
 
 
 
 
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先日、北欧の明かり展というものに行ってきた。
 
 
 
 
 
最近私の中で、海外が気になっていて
そしたら自分のアンテナに引っかかった、この催し。
 
 
 
 
 
 
ヒュッゲ、という言葉、ご存じでしょうか。
 
 
 
 
 
デンマーク語で
「居心地いい空間や時間」
という意味らしいのですが、
この言葉を体現するような空間に
私はカルチャーショックを受けた。
 
 
 
 
 
そこで使われていたのは
「照明」ではなく「明かり」だった。
 
 
 
 
 
その光は、柔らかで穏やかで静かで。
 
 
 
 
 
空間を乱暴に照らす、強い光ではなく
寄り添うような、そこにただ存在するような。
 
 
 
 
うっとりしながら会場を廻っていると
ポール・ヘニングセンという、
PHという明かりをデザインした人の
言葉が掲示されていた。
 
 
 
 
「誰だって
ジャガイモやブドウを生のまま食べることはできるし
同様に、天井から裸電球をぶら下げることはできる。
そうすればカロリーや光量は余分に得られるだろうが、
それで満足するなら、あなたはかなり鈍感だ。」
 
 
 
 
 
この言葉に
まさに日本の照明文化を言い表している、と
とても衝撃を受けた。
ちなみにこの方が生きていたのは約100年前。
 
 
 
 
 
北欧の明かりは、
自然光に近い形で取り入れられており
空間に調和させるようなスタイル。
 
 
 
 
 
対して日本は、夜でも煌々と室内を照らし
「明るくする」ことに
重きを置いている気がする。
 
 
 
 
 
でね、ここで気づいたのが
今の職場で扱っている
ドイツのキッチン家電も
北欧の明かりと同じ感覚で
「空間の美しさ」を乱さないような外観なのだ。
 
 
 
 
 
改めて、美意識の違いを痛感した。
 
 
 
 
 
空間が醸し出す美しさが、
メンタルにもたらす影響力は
計り知れない。
 
 
 
 
 
そして私は、やはり何に対しても
美しさ、整っている、ということに
強烈に惹かれてしまう。
 
 
 
 
 
整った空間、美しい人やモノ、
いい香り、ノイズのない美しい音、
静けさ、美しい味、肌触りのイイもの。
 
 
 
 
 
これらの嗜好がどこへ向かうのか
まだわからないけれど
自分のそれを受け入れて
好き、に従いたいと思います。