こんにちは、なるみです。

 

 

 

 

 

 

腰痛を発症して

思うように動けなかった先月。

 

 

 

 

 

 

ある日、なんとなく

宅建の講座のYouTubeを観始めた。

 

 

 

 

 

 

というのも

最近道を歩いていて

「境界↑」という銘板のようなものが

やたら気になりだしたから。

 

 

 

 

 

 

結局それは

測量に関連するもののようだが

相変わらず、

建築というワードも気になるので

何も考えず足を踏み入れた。

(これについては過去ブログ参照)

 

 

 

 

 

 

観始めた最初は

基本の基本の基本、からなので

あれ、もしかしたらわたし

イケるんじゃない?などと一瞬思った。

浅はか笑い泣き

 

 

 

 

 

 

しかし回を重ねるごとに

当然だが難解になる。

 

 

 

 

 

 

法律なので

言い回しがまわりくどかったり

同じ日本語でも

法律でつかうと意味合いが違ったり。

ちんぷんかんぷん状態は

すぐに訪れた。

 

 

 

 

 

 

そもそも

宅建士になりたいわけでもない。

 

 

 

 

 

 

しかし始めてから

かれこれ1ヶ月になる。

 

 

 

 

 

 

わからないけど、

観たい。知りたい。

 

 

 

 

 

 

わからないのに観続けている。

 

 

 

 

 

 

自分でもなぜかわからない、

しかし2年前に

建築CADを学んだとき

「たのしい」にも

種類があることを知った。

 

 

 

 

 

 

それは大きく分けると

すぐにわかるものと

時間がかかるものだ。

 

 

 

 

 

 

わたしでいう宅建は後者だと思う。

建築CADもそうだった。

 

 

 

 

 

 

数々の学びを経験してきて

わたしは、

苦手と「思い込んでいたもの」にも

いくつか手を出してきている。

 

 

 

 

 

 

 

そして面白いことに

興味があったのに

蓋を開けば

まったく手つかずだったものもある。

 

 

 

 

 

 

 

つまりわたしは

そもそも「興味がある」や「苦手」を

はき違えているのも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

苦手、とは、

多くの場合、触れたことがないので

当然こなせるまでに時間がかかる。

 

 

 

 

 

 

そして触れたことがないから

効率化ができない、

つまり手の抜きようがないので、

泥臭くやるしか方法がない。

 

 

 

 

 

 

それを

向いていない、と勝手に判断して

ときにはすぐに

諦めてきていたのではないか?と思う。

 

 

 

 

 

 

ちなみにわたしが

「苦手」と思いながら手を出したものは

医療事務、簿記、手技(人の体に触る施術)、建築CAD、宅建(仮)

好きだと思って手を出したが

続かなかったものは

カラーコーディネーター、フラワーアレンジメント。

 

 

 

 

 

 

 

今やっていることが

何につながるか、なんて

今はまだわからない。

 

 

 

 

 

 

 

でもなぜかやってしまう、

ということは

きっと

未来の自分の何かの種なんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

また、多くの人は

何かするときに

それをすることで

直接的に得られること(コスパ)を考える。

それは普通のことだと思う。

 

 

 

 

 

 

しかしわたしは

何かするときに

あまりそれを考えない。

 

 

 

 

 

 

じっさいに、

簿記や手技や建築CADの資格を取ったからと言って

今わたしは、それらを使って仕事をしていない。

建築CADに至っては

まだ教育ローンが残っている、笑

 

 

 

 

 

 

 

わたしが得たもの、それは、、、

 

 

 

 

 

 

例えば

自分には思ったより根気があることや

物事の要点をつかむまでには

人より時間がかかるけれど

いったん理解すると早いこと、

暗記は得意なこと、

板書が好きなこと、

やる、と決めたら

やり切る力があること、など。

 

 

 

 

 

 

 

どれも、

取った資格にかかわる内容ではないが

わたしにとっては

資格以上の価値があることばかり。

自分という生き物の

輪郭がはっきりしたから。

 

 

 

 

 

 

 

資格はどこかで

役に立つかもしれないし

立たないかもしれない、

でもそれでいい、

それらに触れた時間は

歴史としてわたしの中にずっと残る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分の興味のあること

好きなことをやりましょう」、

みたいな発信をよく目にする。

 

 

 

 

 

 

 

それは半分正解で

半分は違う気がする。

 

 

 

 

 

 

どの「自分」の

興味のあることや好きなことか

そこが抜け落ちていると思う。

 

 

 

 

 

 

「今」の自分か、「未来」の自分かで

大きく変わってくると思うのだ。

 

 

 

 

 

 

今の自分=今までの自分

未来の自分=これからの自分

だとしたら?

 

 

 

 

 

 

 

宅建はきっと

後者のわたしが反応したのだと

今は思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

法律用語でいう

善意のわたし、だ爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、なるみです。

 

 

 

 

 

 

先日、とあるきっかけで

手相鑑定を受けてみた。

 

 

 

 

 

 

過去に一度受けたことがあったが

その際は

鑑定士の主観が大いに入ったもので

わたしの手相についてより

その方の人生観を聞くだけの時間だった。

 

 

 

 

 

 

今回は、

無料鑑定ということで

正直あまり期待せずに臨んだのだが

それが奏功したのか

有意義な時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

鑑定士の方は

とても柔らかな雰囲気で

邪気がない。

 

 

 

 

 

 

なぜ手相鑑定を選んだのか聞くと

自分が受けた鑑定に納得ができず

ならば自分が学んでみよう、と

1年半ほど勉強しているとのこと。

 

 

 

 

 

 

手元にはタロットの本が置いてあり

タロットや四柱推命も学びたいんです、

と、

キラキラした顔で話してくれた。

 

 

 

 

 

 

ちなみに鑑定結果は

自分の背中を押してくれるものや

今までの答え合わせをするようなもの、

そして、

今後生きていくのが楽しみになるような

内容で

とてもうれしくなった。

 

 

 

 

 

 

その場で、改めて気づいたことがある。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、

ひとが自分の好きなことを話すのを

聞くのが

とても好きだと。

 

 

 

 

 

 

それをうまく聞き出せたときは

思わず

ガッツポーズしたくなるほどだ。

 

 

 

 

 

 

それから、

ひとのステキなところを見つけて

伝えるのもとても好き。

 

 

 

 

 

 

ちょっと照れくさそうに

はにかんだり、

まんざらでもない顔をされると

こちらまでうれしくなる。

 

 

 

 

 

 

そんなこと言われたことない、とか

言われると

わたしがいちばんに見つけられた!と

またまたガッツポーズしたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが

頼まれなくてもやってしまうのは

そのひとがまだ気づいてない、

光をみつけること。

 

 

 

 

 

 

 

わたしと話す前と、話した後で

そのひとが0.1mmでも

自分のことを

「なんかいいかも」

と思えるようになってくれたら

こんなうれしいことはない。

 


 

 

 

 

カウンセリングでもなく

コーチングでもないそれを

なんと表したらいいかわからないが

わたしのやってしまうこと。

 

 

 

 

 

inner reboot 

とひとまず名付けようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、なるみです。

 

 

 

 

 

 

前回のブログで書いたが、

腰を痛めてしまい

現在、動くことに制限がある状態。

 

 

 

 

 

 

しかし今までのわたしは、

フットワークの軽さが武器、

というくらい

常に動いていた。

 

 

 

 

 

 

その武器が奪われてしまった。

 

 

 

 

 

 

これは、一見すると

よからぬ状況にみえる。

 

 

 

 

 

 

そして恐らく

過去の自分だったら

この世の終わり、くらい

落ち込んでいたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

しかし不思議なことに

今のわたしは

そのように感じてはいない。

 

 

 

 

 

 

 

出来事に意味はないし

意味づけをするのは自分。

 

 

 

 

 

 

ただ観察をしてみると

腰痛を発症した2回とも

 

①発症する少し前に

 ストレスに感じる出来事があり、

 

②前かがみの姿勢になったときに起きた。

 

 

 

 

 

 

さらに観察すると

日頃から呼吸が浅い、つまり

常にカラダに力が入っていて

グッと踏ん張っていたのかも、

という仮説。

 

 

 

 

 

というのも

今は日常動作で呼吸、

特に「吐く」ことを意識しているのだが

そうすると

カラダが緩む感じがするから。

 

 

 

 

 

ちなみに過去ブログでも

呼吸について触れていたが

ブログに書くだけで

変わっていはいなかったということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ショックを受けなければ

ひとは変わらない。」

 

 

 

 

 

とあるひとが

そのようなことを言っていたが

まさにその通りで

今回で言うと

痛い目に遭って初めて

今まで気づかなかった(気づけなかった)

自分の「動きすぎていた」部分や

呼吸や所作の粗さについて気づけた。

 

 

 

 

 

それはつまり、

やり方を変えたほうがいい、

といえるのかも。

 

 

 

 

 

 

大げさに言うと

自分の積み上げてきたものや

信じてきたものを

全部壊して更地にして

構築し直すときがきたのかも。

 

 

 

 

 

 

あくまで

そうかもしれないし、

そうでないかもしれない、という

今のわたしが考え得る

ただの仮説にすぎない。

 

 

 

 

 

 

ある講座の中で講師が言っていた、

すぐに理解や納得できるものは

役に立たない、と。

 

 

 

 

 

 

そのときは意味が解らなくても

ずっと考え続けるからこそ

後になってから

全く関係ないところで腑に落ちたり

理解が深まるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

そのことを

身をもって知れているわたしは

とても幸運なのかも、これも仮説。

とはいえ、、、

もう痛いのはごめんだが、笑

 

 

 

 

 

 

物理的に動けなくても

意識は自由に動かせる。

 

 

 

 

 

 

動けないから不自由、ではなく

今だからできることを探して

たのしもうと思う。