「見た目キレイはココロもキレイ」見た目アップアドバイザーなるみのブログ -2ページ目
 
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてください

 
 
 
 
 
 
 
 
 
その方が話してくれたこと、それは
自己否定の声はニセモノ、ということ。
 
 
 
 
 
 
文字にして書くとシンプルだが
この時のわたしは
だからどうしたらいいのか、が
まずわからなかった。
 
 
 
 
 
具体的なやり方を聞くと、
自己否定をしているときに
まず「気づく」こと、だと。
 
 
 
 
 
永らく自己否定が
デフォルトだったわたしにとって
「気づく」ことはとても難題だった。
 
 
 
 
 
 
例えば、そのころ働いていた
職場の男性上司は
とても気分屋で
日によって
態度や言い分が
コロコロ変わるひとだった。
 
 
 
 
 
わたしは、場の空気を乱したくなくて
おかしいと思うことがあっても
そのひとにいつも合わせてばかりいた。
 
 
 
 
 
 
もっというと、多くの場で
ひとに合わせる、がほとんどだった。
 
 
 
 
 
しかし
それをずっと続けていると
だんだんと自分の本音がわからなくなる。
 
 
 
 
 
当時の自分は
自分勝手と、自己優先の違いすら
わからなかったので
自分の本音=自分勝手、なのでは、
と思っていた。
 
 
 
 
 
その方に聞くと、
自分勝手とは
本当はしたくないのに
わたしは!わたしは!
わたしはこうしたいんだ!となること
自分の安心を選んでいない。
 
 
 
 
 
自分優先とは
自分を犠牲にせず
本音、つまり
自分の声を聞くこと、だと。
 
 
 
 
 
そしてわたしの場合は
何かモヤっとしたときに
そこで湧き上がるものを
否定せずに許可する、
言いたいことを抑え込まずに
吐き出すことから始めました。
 
 
 
 
 
これすら最初は難しかった、
つい癖で、自分を責める、
犠牲にする、スルーすることが
自動的に行われていたから。
 
 
 
 
 
自分と向き合わないほうが
楽だと思っていたから。
 
 
 
 
 
でももう
自分を生きられないような人生はごめんだ!と
強く思っていたので
わたしは、言いたいこと
モヤっとしたことなどを
すべてノートに書くようにしたのです。
 
 
 
 
 
 
続く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてください

 
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしは、もしかしたら
ブログの中ではとても前向きで
行動的で、ポジティブな印象かもしれない。
 
 
 
 
 
しかし、元はそうではなかった。
 
 
 
 
 
数年前まで、わたしは
愚痴と不満の世界にいた。
 
 
 
 
 
大げさに言うと、
人生をあきらめていた。
 
 
 
 
 
それがなぜ、今は
前向きになれているのかというと
とある人が教えてくれた
「自己否定の声はニセモノ」、
もうこの言葉に尽きる。
 
 
 
 
 
それはわたしにとって、
憑き物が落ちるような
あるいは、天地がひっくり返るような
衝撃、だった。
 
 
 
 
 
今まで人目を気にして
相手の気にいるようにふるまって
何か起きたら自分を否定して
落ち込んで、、、。
 
 
 
 
 
きっとその頃の自分は
同じところをぐるぐる回る
ハムスターのようだったと思うのです。
 
 
 
 
 
もうそれ、しなくていいの?
わたしが見ていた世界は
ニセモノだったの?
 
 
 
 
 
そう思ったときに、
わたしの世界が変わったのだと思う。
 
 
 
 
 
 
そこからどう変わっていったのか、
(今もまだ旅の途中ですが)
それを思い出して書いてみたいと思います。
 
 
 
 
 
事の発端は、2021年。
 
 
 
 
 
とある人に会いに、
わたしは京都へ行った。
 
 
 
 
 
この方とは、
既に別の場で繋がっていて
ある程度気心の知れた関係性。
 
 
 
 
 
この方がこの日話してくれたことが
のちのわたしを
小さく少しずつ
変えていくこととなったのです。
 
 
 
 
 
続く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
過去ブログ読んでみてください

 
 
 
 
 
 
 
 
 
古民家カフェが、
ゴスペル教室を
開催するようになったきっかけ。
 
 
 
 
 
 
それは、ある日
とある男性がこのカフェに
「迷い込んできた」ことからと
婦人は言った。
ある駅から徒歩で、別の駅まで行くのに
道に迷い、
こちらのカフェにたどり着いたらしい。
 
 
 
 
 
 
で、その男性の話を聞いていると
フリーで仕事をしているようだったので
どんな仕事をされているのか尋ねたら
ゴスペルの講師だと。
 
 
 
 
 
 
でね、実はこの婦人は
前からゴスペルを歌いたかったそうで
男性に「うちで教室開いてください」と
頼んだそう。
 
 
 
 
 
そしたら男性が快諾してくれたので
今では月に一度、
カフェで
ゴスペル教室開催するようになった、と。
 
 
 
 
 
 
この展開、すごく興味深いと思いませんか。
 
 
 
 
 
 
やりたい、と思っていたことが
向こうからやってきた。
 
 
 
 
 
 
それは一見するとただの偶然だが
恐らくこの婦人は
ブックカフェという
自分のやりたいことをやることで
カラダがリラックスするようになり
自分の希望が、
スムーズに叶うようになったのでは、と
わたしは思っている。
 
 
 
 
 
 
そして
あれしたい、これしたい、と
躍起になってそれを探すより
どっちでもいいや、と
流れに任せた方が意外とうまくいく。
 
 
 
 
 
 
それはまるで
サラサラと、よどみなく流れる
川の流れのように。
 
 
 
 
 
 
ちなみにこちらのゴスペル講師は
東京の方らしいのですが
帰宅して調べたら
なんと、わたしの憧れの建築家さんと同じ
南青山が拠点だった!

 
 
 
 
 
 
これは行くしかない、と
即座に
ゴスペル教室に参加する旨を
連絡したのでした

 
 
 
 
 
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今回のハナシで、何が言いたかったかというと
一見するとムダでしかない
今回のわたしの行動の数々は
「ムダ」ではなく
どれもこれも、
拾って歩んでいくうちに
わたしを「面白い」に連れていってくれる
パンくずだということ。
 
 
 
 
 
 
これらをムダだと思って、
コスパタイパで行動していると
絶対に出逢えなかった出来事。
 
 
 
 
 
 
そして、出来事に意味はなくて
いい悪いもない、
つまりなんでもアリともいえる。
 
 
 
 
 
 
人生は死ぬまでの暇つぶし。
 
 
 
 
 
 
 
だとしたら、
「コスパタイパ」より
「面白い」を選んだほうが
人生の豊かさは増すと思いませんか。
 
 
 
 
 
先日会った友に言われた、
「10やって、成果がないと諦める人が多いけど
なるみさんは、100やっているよね」
 
 
 
 
 
それはそうかもしれない、けれど
わたしはそもそも、
何かをやっても
直接的な成果を得たいと思っていない。
 
 
 
 
 
例えば、何か講座を受けたとして
「せっかくお金もかけたし、
その講座を生かして○○しなくちゃ!」
または
「講座の教えを実践して、変化しなくちゃ!」
みたいな想いが、まずないのです。
というか、なくなった笑
 
 
 
 
 
何かをやって、そこから得られるものは
ずっと後になって
全く別のものと繋がったり
気づきを得るものだと
ようやく気づけたから。
 
 
 
 
 
だからもし、
そういった状況の人がいたら
どうか焦って探し回ったり
成果をすぐに上げようとしないでほしい。
 
 
 
 
 
それは例えば、発酵や熟成みたいに
時間をかけてジワジワと
自分の血肉となっていくもの。
 
 
 
 
 
平らな地層に、歪な形の自分が
少しずつなじんでいくような。
 
 
 
 
 
時間がかかったとしても
それらは必ず、自分の糧となる。
 
 
 
 
 
そう考えると、
今やるムダがどこで生きるのか
たのしみになりませんか

 
 
 
 
 
 
果報は寝て待て、です

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

