渋沢栄一記念館

 

 多くの企業や団体の設立に関わり「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一は、明治以降の囲碁界の有力支援者のひとりでもあった。
 「渋沢栄一記念館」は栄一の生まれ故郷、深谷市で平成7年(1995)に開館した記念館である。なお、建物は八基公民館を兼ねる市の複合施設である。
 栄一ゆかりの遺墨や写真など貴重な資料が展示されているが、囲碁に関する資料は確認できなかった。
 なお、栄一のアンドロイドによる講義を希望する場合や、10名以上の団体はネットによる事前予約が必要。

 

渋沢栄一像

 

 建物の裏側にある巨大な渋沢栄一像は、かつて深谷駅前に建っていたものだそうだ。
 

【囲碁史人名録】 渋沢栄一

【住所】

 

 囲碁界とも深い関わりのあった渋沢栄一の生家、埼玉県深谷市の「中の家」の周辺には、栄一ゆかりの史跡が点在している。

 

「晩香渋沢翁招魂碑」「先妣渋沢氏招魂碑」

 

 生家裏手の竹藪にいくつか碑が建立されている。
 「晩香渋沢翁招魂碑」は、栄一の父、渋沢市郎右衛門の招魂碑で撰文は尾高惇忠、「先妣渋沢氏招魂碑」は栄一の母、渋沢えいの招魂碑で撰文は栄一によるものである。

 

「渋沢平九郎追懐碑」

 

 「渋沢平九郎追懐碑」は、尾高惇忠の弟で栄一の養子となった渋沢平九郎の追懐碑である。平九郎は彰義隊の飯能戦争に参加し戦死している。
 この三つの碑は、谷中霊園の渋沢家墓所にあったものだが、平成26年に墓の整備に合わせて移設されている。

 

青淵由来之跡の碑

 

 生家裏手にある青淵公園には「青淵由来之跡の碑」が建立されている。
 栄一の号である「青淵」は、昔このあたりに「上の淵」と呼ばれる池があり、栄一がその池の美しさにちなんで号したという。
 

渋沢家墓所

 

 生家前にある墓所は、渋沢家一族の墓である。ここには、栄一の両親を初め、先祖が眠っている。
 

【囲碁史人名録】 渋沢栄一

【住所】

 

「中の家」門
 

中の家

 

 「日本資本主義の父」と呼ばれ、多くの企業や団体の設立に関わった渋沢栄一は、明治維新後の囲碁界の有力支援者の一人である。
 渋沢栄一の故郷である埼玉県深谷市血洗島には通称「中の家(なかんち)」と呼ばれている生家が残されている。
 渋沢一族はこの地に土着した開拓者のひとつで、分家が数々の家を興している。「中の家」もその一つで、名称は各屋敷の位置関係に由来しているという。

 

建物内部の様子

 

若き日の栄一像

 

 中の家は、代々農業を営み、養蚕や藍玉づくりと販売、雑貨屋・質屋業も営む大変裕福な家であったという。
 栄一は、天保11年(1840)に生まれているが、当時の建物は明治25年の失火で焼失し、現在残る主屋は、明治28年(1895)に栄一の妹の夫・市郎により上棟されたものである。
 栄一は、多忙の合間も年に数回はこの家に帰郷していたといい、現存している栄一を偲ぶ数少ない場所といえる。建物は、栄一の遺志を受け継ぎ「渋澤国際学園」として日本語を学ぶ外国人を受け入れてきたが、平成12年に役目を終え、現在は市が管理していて見学する事も出来る。

 

【囲碁史人名録】 渋沢栄一

【住所】