1回目の手術から1ヶ月後、残腫瘍摘出及びそれに伴う動脈の人工血管術が行われました。

第1回目の手術で静脈を切除していたため、右下肢に浮腫が出ており血栓症予防剤であるワーファリンを服用しており、麻酔医からは背中に入れる硬膜外麻酔は出血が止まらなくなるなどの危険が伴うために使えないと術前に説明がありました。


1回目の手術は硬膜外麻酔の効果もあってか痛みも無く術後も快適に過ごせたことを考えると少々不安でしたが、仕方が無いと腹を決めいざ手術に望むことに。


腹を決めたといっても麻酔で寝ているので何するわけでもないのですが・・・


手術は10時間に及び後に主治医から聞いたところによると、

1回目の手術の後遺症である繊維化で腫瘍を含め硬化してしまっていたため、マージンを取るのが大変だった様です。

右下肢の動脈を左足の動脈につなぎ、浸潤していた血管を切除、ある程度周りを拡大切除したそうですが、時間のかかる手術だったそうです。


「終わりましたよ!」


の声で目が覚めましたが、その瞬間、下腹部の3か所開腹傷が熱く感じて急激に激痛が走りました。

「うぅぅぅ~!!」

モルヒネ系の鎮痛剤を直ぐ投与してくれましたが、一向に痛みが和らぎません。。。

ICUで鎮痛剤を追加してもらいましたが副作用か血圧と呼吸が下がり意識が朦朧としはじめ呼吸をするのが面倒になり呼吸を止めてしまう始末。それでも苦しくない危険な状態でした。


血中酸素濃度が下がったためか警報が鳴り、看護師さんが飛んできて身体を叩き

「呼吸してください!」

と一晩に数度・・・ 危なく天に召されるところでした。。。

後で分ったことですが、体質的にモルヒネ系の鎮痛剤が効かない人もいるそうで、まさに自分がその体質だったようです。

これって術前に検査するなどの準備ってできないものでしょうかね??


激痛のあまり瞬時に胃潰瘍にもなり、まずいマグテクトUと言う薬を1ヶ月程度飲むはめになった散々な2回目の手術でした。

日本に「サルコーマセンターを設立する会」発足1周年記念集会が中央病院院内にて開催されたので出席しました。ビックリマーク

後腹膜平滑筋肉腫患者であり、JSCP代表である吉野ゆりえさんの挨拶から始まり、
国立がんセンター中央病院土屋院長のご挨拶。

土屋院長の患者、患者家族に対する思いからサルコーマセンターがスピーディーに設立された事を思うと感謝の念にたえませんしょぼん
数年前までは「忘れられたがん」とされ、患者が少ないために研究者も専門医もほとんどおらず、有効な治療方法や薬もなく、確立された治療法もないのがこの肉腫でした。
センターホットラインをご担当くださる牧野先生からも「がん難民」にもなれない肉腫患者の不安と不満という題で、今後の対策と課題についてのお話しがありました。

少しずつでも光が射して来ている事を感じ取れる有意義な時間クラッカー
また、同じ思いで集まられた方々との情報交換。
妻も含めとっても前向きになれるひと時でしたニコニコ

特記すべきは現在世界的に肉腫に注目が上っており良い流れにある、国立がんセンター内の研究所でも積極的に肉腫の研究をしてゆきたいとの申し出があり、国からもある程度の予算付けが予定されているとの事です。
その他日記にしたいことが沢山あったのですが・・・
webで知り合った方々と楽しい夕食を過ごすうち、ついついお酒が進み・・・
頭の中が白紙状態になってしまいました。
覚えているのは楽しかった事だけで、、、ガーン

お酒って本当に怖いですね。。。

脂肪のかたまり?筋腫?

とにかく血管を圧迫していた物さえとれれば浮腫みも取れて

元の生活に戻れると思っていました。


手術は開けてみると静脈、動脈に腫瘍が浸潤しており、

動脈をその場で取る訳にはいかず、静脈だけを切除し、

あとは抗がん剤等で対処するつもりだったそうです。

ですから動脈に絡む腫瘍はそのままで手術を終えその日の手術は6時間で終了。


術後先生から「どうもあまりよくない物の様な感じです。体調が落ち着いたら抗がん剤治療などを考えてください」

との一言に

「あ~癌だったんだ・・・」

とショックを受けたあの瞬間が未だに忘れられません。


その後、入院中に主治医から病理検査の結果を聞きましたが、

「平滑筋肉腫という病気でした」

「ん? それって癌ではないんですよね?」

「はい、癌ではなく肉腫です」

「ホッ! 良かった癌ではないんだ!」

と今思うと幸せな?事を言っていた自分でした。


退院してネットで自分の病気を調べるにつれ

壮絶な闘病生活を終え旅立たれた先輩方のブログを拝見し

血の気が引く思いでした。


10万人に1人? なんで自分が? どうして? 

なにか僕が悪い事した? 宝くじも当った事ないのに・・・


後日診察で主治医も病気の重大さを後で知り

残してきた腫瘍の危険性から直ぐに手術をしたほうが良い。と一言。


そして残してきた腫瘍を取り、さらに動脈を取り、人工血管を入れることに。

その時の先生の言葉が、

「症例の少ない病気で僕も初めてです。一緒に頑張っていきましょう」

先生の言葉に凄く不安を感じましたが逆に知ったかぶりをしないだけましかな?

とも思い、とりあえず色々調べることに


手術までの2週間あまり、ネットでたどり着いたキュアサルコーマの存在

この病気の権威であるT先生に直ぐに連絡を取りセカンドオピニオンを以来

その事を主治医に話すと、

「良く探しましたね!良かった!T先生と連絡を取り合ってやっていきましょう」

少々不安は残りましたが、T先生からも自分のお腹の中の状態を知ってる先生を手放してはいけません。

とアドバイスを貰っていたのでお願いすることに。


そして最初の手術から1ヶ月後に第2回目の手術が決まりました。


本日は主治医のところで診察。

1月6日の手術後、最初の診察です。


先日大阪からの報告書を持っていきました。


実は今日は真っ先に先生に謝ることが、しょぼん

退院後2日目に冷やしてはいけないとカミサンが湯たんぽを入れてくれたのですが、

お腹に乗っけたまま寝てしまいました。メラメラ

少しこの熱で腫瘍細胞もついでにやっつけられたら良いのにと思いつつ、

しかし、翌朝起きてびっくり!叫び


お腹の皮がベロベロっと・・・


全然痛くないのですが、結構深い火傷だそうですガーン

本日予定していたエコー検査も延期、

失敗してしました。あせる


3月初旬にPET-CTを撮ってから今後の方針を決めていきますが、

腹部の腫瘍細胞をどうやってやっつけて行くか、

肉腫には物理的処置が最善とT先生からは言われていますが、

主治医とT先生の相談でのう胞が出来ていればエタノールを注入して処置する

むかし肝癌に使われていた処置方法でラジオ波の前の治療法方ですが

試す価値はある処置との事で検討してゆこうと思っています。ビックリマーク


まだまだ気合だぁ~!!

2008年12月に下腹部のしこりを感じ翌年1月に近くの診療所で受信

先生の診察結果は「鼠径ヘルニアですね。」

もしやと緊張していた気持ちがフッと抜け、腰が砕けるようにホッとした瞬間でした。


その後5月に一週間遊び過ぎると今度は右下肢に浮腫。

前回の診療所で受信すると「疲れから来るムクミでしょう。とりあえず血液検査をしましょう」

とのことで翌日聞きに行くと 「結果は問題ないので、もう少し様子を見ましょう」 でした。


しかしその時なぜか胸騒ぎがして別の病院を受診。

しかし原因は分らず、病院のたらい回し・・・

4件目の病院で受信したのは血管外科の先生でした。

どこかにエコノミークラス症候群で血栓が出来ているのではという疑いでエコー検査。

すると下腹部静脈にこぶしサイズのできものが、


「腫瘍マーカーも問題ないので、筋腫か何かでしょう。とりあえず細胞診が難しいので手術するのか別の病院を紹介しますが」

と言われてもこれまでたらい回しで嫌気がさしていた自分は

「危ない物でなければ、こちらで取っていただきたい」とお願いしました。


そして第1回目の手術が6月初旬に決定しました。