パソコンの調子が悪くて… 突然画面が変わってしまい、書いてるものが無くなっちゃうのですガーン

時々、こうなる。

これで消えたら、もう書かないぞ~ 


って、ことで映画2題です。

手元に今月中有効の映画招待券が有り、珍しく友人を誘っての映画鑑賞となりました。

映画鑑賞の殆どが予定外で時間が出来たから行くというパターンなので1人鑑賞が多い私なので、友人と連れ立っての映画は久し振りでした。

その理由は後の方に… 多分出てくるでしょう。 


INDIANA JONES AND THE KINGDOM OF THE CRYSTAL SKULL

先行で見ました。

友人が見たいというので「もう見た」とも言えず…というか“もう一度見ても良いかな”という気分で見ました。


INDIANA JONES 大好きです。

公開が決まった時から楽しみにしていました。もちろんジャパンプレミアの申し込みも色々と手を尽くしましたが、いつものくじ運の無さで全てハズレ、先行を心待ちにしていました。


第一印象は「キレが無い」

重役に納まったインディーがどっこいしょと腰を上げて宝探しに出掛けました…という感じ。

もちろんストーリーはそうでは無いのですが、ハリソン・フォードがハリウッドで大俳優となった証明を見ているような映画でした。

昔の…若き日のハリソン・フォードの魅力は“大人の男の中にある可愛さ”

少年のような心を持った無邪気な大人の男というか… 男、男した中に非常にチャーミングな可愛い面を見せる俳優でした。

そのハリソン自身の魅力がハン・ソロであり、インディーであったと思います。

だから突然とんでもないことを“仕出かし”て、周りを窮地に陥れても、若しくは自身がとんでもない危険なところに足を踏み入れて、ドタバタした挙句に助かってしまっても、有り得ないと思わせない、見る側を惹きつけて離さない魅力というものが有ったのです。

ところが、今のハリソンにはこの「とんでもないことを仕出かす」雰囲気というものが無い。

落ち着いて周りを見て判断してなんて…… 

だから行き当たりバッタリのことを「仮」にしていても、なんとなく納得できない… 


20年の歳月がハリソン・フォードをこんなにも変えたんだと…

そう言えばこの10年位のハリソンの映画を私は見て無いなぁ~ 

私の好きな“可愛い大人の男”ハリソン・フォードで無くなってしまったのですね。

次回はシャイア・ラブーフの主演になるのでしょう。その区切りをつけるための今作品だったのかもと思います。


さて、もう1つ。

映画2題と書いたのだから… もう1つの映画です。


CHAMELEON カメレオン

阪本順治 監督 藤原竜也 主演

邦画にお金を払わないと豪語する私が見に行ったのだから(まあ、招待券ですが)…期待してますよ藤原くん(さん?) ★どう言えばよいのだガーン


有り得ない世界なのです。

拳銃をドンパチ、人を次々に殺して何も無いなんて… 車の追いかけっこ、カーチェイスにしても公道を走れるわけは無し…廃墟をぐるぐると廻っている。

この後始末はどうつけるのだろう… 乗ってた車には指紋がベタベタと残っているだろうに…撃ち殺した人間はどう処分しているの? 銃弾による怪我をどこで処置したのだ?? 

なぜ警察に追われないのだろう…

銃とは縁の薄い日本社会の現実には有り得ない世界なのです。

こんな理屈、屁理屈は忘れて…


藤原竜也という俳優はすごい演技力の持ち主と感心する。

彼のどちらかと言うと優しい、細い華奢な線とゴーロという全ての汚いものを見尽くした男の骨太でどこかあきらめて生きる人物とのギャップがかなり面白く見えた。

友人達を殺された復習に燃える後半よりも、そこに行き着くまでのゴーロの内面の変化、特に復讐を決意する瞬間の「目」、全身から溢れる怒り… すごい役者だと感嘆する。

とにかく前記した事柄など忘れて、すっかり見入っていました。

松田優作の為に企画、脚本された作品ということで比較されたレビュー等を見ますが

『別物でしょう』


ただ……ただし、

舞台人 藤原竜也 が映画出演している。

と感じる場面が多々ある。

舞台で台詞を語っているように感じるところが多々あるのです。

と思う。映画の中に舞台人 藤原竜也 が存在し、周りから浮いているような感すら受ける時がある。

すごい存在感を作品中感じさせるのだけれど、どこか浮いた感がするのも事実なのです。

あ~これだ。。。。。。。やっぱりなぁ~

舞台で鍛えられ、育てられた人だから、身に染み付いているのかもしれません。

でも、でも…舞台、映画、TVと演じ分ける器用さが必要なのかな?

まだ26歳でしょう。。。。。。。。


友人の誘いにのった理由はただ1つ。

雑誌“ぴあ”にのった「藤原竜也に聞きたい100のこと」 のインタビュー記事の最後の質問の答え

「藤原 一皮むけました。 このままもう成長しないんじゃないかと思っていたんですが、監督と出会ったら、卵のカラのようにぽろっと。楽になりました」

この一言でいつもは立読みのぴあを買ってしまった私です。

天才と云われる彼でも“もう成長しないんじゃないか”と悩むことがあるのだ とびっくりした。

彼はQ081で“タイムスリップできるとしたら”の質問でも

「中学3年生の僕がスカウトされた当日に戻って、今の大人の気持ちのまま、本当に今池袋(スカウトされた場所)に行くべきか、(自宅のある)秩父に留まるべきか、もう一度考えます」

と答えています。


4ヶ月?仕事を休んで英国留学したりと自分の中に悩みや迷いが有ったのでしょう。

迷ったり、自分の実力を見つめることが出来る、ある意味、役者 藤原竜也を冷静に見ることが出来るのだから、26歳の青年がですよ。

「すごい」と正直に思います。



今後に期待をしたいと思います。

これは決して映画CHAMELEONが良くなかったと言っているのではなく、脱皮を繰り返して、さらなる飛躍を期待します。

数年後、もしくは数ヶ月後にぜひ私をビックリとさせて欲しい。

10年を経て身毒丸で私を驚かせたように… 期待してますょ!藤原くん。。。。“さん”かな? 

どっちはてなマーク 笑笑笑。。。。

キャンパスはもう夏休みに入ったのでしょうか?

構内に学生の姿がとても少なくなりました。

なんだか閑散とした感じです。


4月から日本語教師の勉強を始めました。

週2回、仕事帰りに3時間勉強に通っています。


で、で……

先週と今週で2回休んでしまいました。

忙しくてとか体調が悪くてとかでは無くて、正直「行きたく無いなぁ~」


前期38回の授業。

講義内容によって講師が変わるのは大学、高校等の授業体系と同じです。


なんか。。。。。。

とうとう会ってしまったなぁ~という感じでした。

自分が1番偉くて、上から目線。

すご~~~く世間が狭い。

お情けで生徒たちに(今回はかなり年齢層が上ですが…苦笑)フランクな口の利き方をして、「私は貴方達とランクが違うけど、偉ぶらないのよぉ~」とアピール。

かなりの自己満足…

大変失礼な偏った認識かも知れませんが「先生」と呼ばれる人に多い気がする。

『教室』という狭い空間に入れば、先生以上は居ないわけで…お山の大将

そして、こういう講師にへつらって、ワイワイと周りを囲んで持ち上げる生徒もいて、これがまた「私以上は居ないの」を増長させる。

まあ、この日本語教師の世界では“有名人”のようですが……


ほんとこういう人種は嫌いダウン

“私は偉い”も“貴方は偉い”もこういう人種は両方共に嫌いで苦手ドクロ

なんか嘘っぽくて、安っぽい関係に見える。


こっちにも講師と授業を選ぶ権利は有るのだからと4回の講義のうち2回を休んでしまいました。

本当はこんな事で休んで授業料が勿体無い気も多々しますが、どうにも我慢でき無かったから……

あ~~授業料返せプンプン

すいぶんと長くなってしまいました。

今回で最後…たぶん最後…


さて、色々と感じたことを書いてみるとなんとなく“喜劇”というのが解るような“気”もします。


全員が片思いだったり、突然人生の立場が逆転してしまったり…

でも、でも。。。。。。。

たぶんチェーホフという方はかなり人間を斜めから見る人なんだろうなぁ~と思ったりもします。

今回チェーホフの戯曲は初めてで、もちろん“かもめ”も初めて、栗山民也の演出も初めて…

初めてづくしで“だから、こうだ”と言う意見は書けませんが… 多分、人間がああだ、こうだと悩み、苦しみ、一生懸命生きて行くこと事態が彼には喜劇に写るのかも知れません。

これから機会が有れば、彼の戯曲を読んでみたいと思いますし、色々な演出、翻訳、出演者でも見られればと思います。


最後に
実は幕が上がって直ぐに感じたことがあります。

それはコースチャの超えたい壁がかなり高くて、強固だということ。

彼を囲む人間達はニーナを除いてほぼ全員が人生半ばに達しています。

特に母も母の恋人も才能に恵まれて成功し、世間ではセレブと呼ばれる数少ない人間でもあります。その他には医者や退役軍人あり、教師もいる。

特に母の恋人であるトレーブレフは著名な作家であり、母を挟んでコースチャにとっては手ごわいライバルなのです。

彼と肩を並べ、彼を超えることは非常に大変なことでしょう。

それに恋するニーナまでトレーブレフに取られてしまうのだから…… 壁は厚く、高く、硬い。

コースチャは悩み、苦しみます。

でも周りの大人達はコースチャの苦しみにあまり興味を示さない。

何故なら自分が以前、はるか昔に通って来た道だから… 

人生の出来上がった大人の中に傷つきやすい神経をもった『子供』が1人の図。

これは『子供』にとってはかなりキツイ。。。。。。


でも、コースチャ

人生なんて解らないょ。

トレーブレフだって今は人気のある作家でも、ピタッと筆が止まって書けなくなって、過去の名声で生きて行くしか無くなるかもしれない。

その頃、君は大作家で人気者だ。

母アルカージナだって、これから歳を重ねて、若い女優に大女優の地位を奪われ、貴方の元に身を寄せて暮らして行かざるを得なくなるかもしれない。

ニーナ以上に愛せる女性はもう出て来ないと思っているかもしれないけれど、貴方しか目に入らないほど一途に愛してくれる女性が現れるよ、きっと。

人生なんてそんなもの。

今、悪くても、きっと先には良いことがある。

何故、人生に絶望するの… 人生は最後の最後に目をつぶるまで解らない。

何を急いで結論をだす必要があるの?

人生なんて本当に解らないものなのだから。。。。。。


こんな言葉をかけてあげたい最後でした。

私も大人の中に子供1人で、無理解で無関心な彼らの中でとても苦労した時期がありました。

自分の経験がコースチャに重なって、一幕から非常に切ない気持ちで見ていました。



それにしても長いレビューでした。

見終わって、こうして色々と語れる舞台を私は好きです。

本当はまだまだ書きたい場面がたくさんあるのですが…… 充分ですね。


それにしてもどこが喜劇なんだろうか…苦笑

つづき…


さて、どこが喜劇なのだろう。。。。。。。

「四幕の喜劇」と副題のついた“かもめ”ですが……


舞台の上にはたくさんの“恋”がありました。

そして、それが全て“片思い”なのです。

教師のメドベジェンコはマーシャを愛し毎日6kmを歩き会いに通って来る。

マーシャはコースチャを愛し、相手にされないのは解っていて「この思いを根こそぎ引っこ抜く」と言いつつ諦めきれないでいる。そして、なんとマーシャはコースチャを諦めるためにメドベジェンコと結婚をして子供まで儲けるのに、そこまでしてもコースチャから目が離せない。

メドベジェンコは報われない…

コースチャはニーナを若者らしい一途な気持ちで愛している。

ニーナは自らの上昇志向も手伝って、大人で有名作家のトレーブレフを。

またコースチャの母アルカージナもトレーブレフを長い付き合いからの惰性もあるようだけれど、たぶん愛しているのだろう。

当のトレーブレフは若くて希望に燃えるニーナを可愛いと思う気持ちもあるがアルカージナと切れる気も無く、はっきりとせずにいる。

医師のドルンはアルカージナを高値の花と知りつつ愛している。多分、昔は恋人同士だったのかも…と思わせる2人である。そんなドルンをポリーナは夫のいる身で「結婚して」と懇願するほどに愛している。


どうだろう??

それぞれの思いが複雑に絡み合っている。皆が恋をしている。

そして、報われない。

でも、自分の恋にとらわれて、相手の気持ちを汲み上げることはしないのです。

誰も向かい合おうとしない…好きな人から目が離せず、愛されない辛さを抱えて、皆が不幸なのです。



アルカージナとコースチャ親子の関係も同様に不幸。

自殺未遂を図ったコースチャが「ママの包帯の巻き方は上手いから、巻き直して」と甘えるとアルカージナは母親らしく抱きしめて応じるのです。

母としての愛は充分に持っているのに、自分中心でどんな時も私が1番で主役でなくてはという性格が顔を出す。息子の一大事であるこの時にもです。

結局、トレーブレフの話題がきっかけで口喧嘩になってしまう。

親子関係の見直しをするという考えには至らず「私の恋人に焼きもちを妬いているの」という程度の考えです。

挙句、単純に年下の恋人トレーブレフとコースチャを引き離せば事が解決するという短絡的な考えしか浮かばないのです。

コースチャの満たされない思い。



そしてニーナとコースチャの関係。

ニーナは女優志願で有名になることに強い憧れを持っている。

その彼女には大女優を母に持つコースチャはどう映ったのだろう。アルカージナがトレーブレフを連れて帰って来た時、ニーナはチャンスが訪れたと感じたのでは?

コースチャとトレーブレフを比べて天秤にかけるような事は無かったのだろうか?

トレーブレフに気持ちが向いてしまうニーナの中に打算の匂いを感じないことも無い。

でも世間は彼女が考えるほど甘くは無いし、男女間も愛しているだけでは続かないこともある。

ニーナはトレーブレフを選んだことで自分にはドサ周りの女優が精一杯だという現実を突きつけられ、男の身勝手も知り、我が子を亡くす悲しみも知るのである。

さて二年後、コースチャはみすぼらしく落ちぶれたニーナに再会する。

コースチャはニーナが戻って来たことを喜ぶが……

「コースチャ、昔は良かったわね?覚えているあの舞台のこと。。。。 昔は良かった」

ニーナにとってコースチャはもう過去になっている。

そしてそのみすぼらしさとは逆に「私は女優よ」と未来に希望を見出し、「トレーブレフを今でも愛しているの」と変わらない愛を口にする。

女はたくましい… 

コースチャは自分1人が二年前と何も変わらないことにショックを受けたのだろう。

自分のもとに戻って来たと思ったニーナが実は自分よりずっとたくましく人生を歩み、将来に希望をも持っていることに…

「昔は良かった」と話すニーナとの距離は離れていて、縮まることは無いのである。

ここで2人の立場はあっと言う間に逆転してしまう。

辛い人生に絶望しそうなニーナが実は未来に希望をもち、人気作家の名に手が届きそうな明るい未来を掴みかけているコースチャが人生に絶望して死を選ぶ。



やはり、どこが喜劇なのだろう。。。。。。。


つづく…



      ★あくまでも私の目線、感情での感想です。悪しからず…

赤坂ACTシアターで栗山民也演出『THE SEAGULL かもめ』を見て来ました。

栗山民也の演出もかもめも初見です。




19世紀末、帝政崩壊間近のロシアが舞台。

幕が開くと夕景の湖のほとり。


大女優を母にもつトレーブレフ★コースチャ(藤原竜也)が自作の戯曲を上演するために湖畔に仮舞台を作り、公演の準備にバタバタとしている。

コースチャの母アルカージナ(麻実れい)が年下の恋人、著名な作家トリゴーリン(鹿賀丈史)を連れて、この湖のほとりの兄ソーリン(勝部演之)が所有し、息子コースチャが住む屋敷に帰って来ているのである。

コースチャは母に、そして母の恋人で作家のトリゴーリンに自作の戯曲を披露し、自らの存在を認めさせたい。

そして、この舞台の主役は対岸に住む女優志願の美しい娘ニーナ(美波)。

コースチャはニーナに恋している。彼女の足音が聞こえるだけで身が震え出し、狂喜し、その場にジッとしていられない程愛している。彼はニーナを主演にすることで彼女の気をも惹きたいのである。


アルカージナを愛す(もしかして昔の恋人?)医師のドルン(中島しゅう)と退役軍人でソーリン家の管理人シャムラーエフ(藤木孝)と妻のポリーナ(藤田弓子)。ポーリナは夫のいる身で医師ドルンへの熱い思いを胸の奥に隠している。そして、その娘でマーシャ(小島聖)もまたコースチャへの熱い恋心を黒衣に包んでいて、彼女を心から愛し、毎日6kmの道を通う教師のメドベジェンコ(たかお鷹)の誠意を受け入れられずにいる。


全ての観客が揃って、コースチャの舞台が始まる。

コースチャの母アルカージナは根っからの女優で、何をしていても「私が…」であり、「私は…」で「私なら…」の人間。息子の素人劇でも黙っていられずに女優の顔が出る。ああだ、こうだと茶々を入れ、芝居を中断させてしまい、結局コースチャの芝居は失敗に終わるのである。


その上、愛するニーナの心を掴んだのは母の恋人、作家のトリゴーリンだったのだ。

女優志願であり、有名になることに執着し、セレブに憧れる上昇志向の強いニーナはコースチャの気持ちを知りながらもトリゴーリンに惹かれ、愛してしまう。

コースチャは非常に傷つき、落胆する。医師ドルンの賞賛の言葉にも耳を貸さない。

挙句に自殺未遂を起こしてしまう。


アルカージナは落ち込んで自殺未遂まで起こした息子の原因はトリゴーリンと考え、彼から引き離せば全てが解決するとばかりにモスクワに帰ると宣言し、帰り支度を始める。

ニーナはアルカージナとモスクワに帰るトリゴーリンを諦めるかに見えたが、全てをすててトリゴーリンを追いかけ、モスクワに行くことを決意する。



二年後

コースチャは人気作家の地位を得ている。すっかり大人になり落ち着いている様子に見える。

そこに再び母アルカージナがトリゴーリンを連れて帰ってくる。また賑やかさを取り戻す湖畔の屋敷。

トリゴーリンを前にすると作家としての才能に自信が無いコースチャ。

そんな彼の気持ちに気がついているのか?相変わらずノンビリと構えたトリゴーリン。


コースチャは客に問われるままにニーナの二年間を話して聞かせる。「モスクワでトリゴーリンと同棲し、子供を授かるが死んでしまった。またトリゴーリンもアルカージナとの関係が切れずに中途半端なまま2人の間を行ったり来たりしていたが、結局ニーナを捨て、アルカージナの元に戻ってしまった。女優としても鳴かず飛ばずで… 今、この町に戻って来ているが、両親はニーナを許さず、ホテルに泊まっているらしい」

コースチャは冷静に話す。

でも彼の中では“ニーナは自分を頼って来るかもしれない、頼って来るだろう”という期待が大きく膨れているのである。


周りの人間は若者2人の生活に関心を示さず、カード遊びに忙しい。

そんな夜にニーナが屋敷の庭をウロウロとしているのに気がつき、コースチャは喜びに溢れて向かえ入れる。

みすぼらしい姿。疲れはて、食事もろくに取っていない様子の変わり果てた姿のニーナ。

「やっと僕の元に帰って来た」

でも絶望的な状況の中でもニーナは諦めない。「私は女優よ」と希望に溢れた言葉を口にする。

そして賑やかな部屋の奥を探るように「トリゴーリンは来ている?私は彼を愛しているの。ずっと愛しているの」

コースチャは初めて気が付く

「ニーナはトリゴーリンを追いかけてこの町に来たのだ」と……

帰るニーナの後姿に「庭を歩いているのを誰かに見られたら、ママが気分を悪くするだろう……」とつぶやくコースチャ。

届かない思い… 絶望感がコースチャを襲う。


カード遊びに興じる大人たちの耳に爆発音が届く。

様子を見に行った医師ドルンがトリゴーリンに囁く。

「アルカージナをここから連れ出してくれ。コースチャが自殺した」

   

         ★あくまでも私の目線、感情でのストーリーです。悪しからず…



「ワーニャ伯父さん」 「三人姉妹」 「桜の園」 そして「かもめ」 これがアントン・チェーホフの代表作、4大戯曲と呼ばれる作品。

中でもこの「かもめ」は一番最初に書かれた作品であり、物語最後の青年トレーブレフ★コースチャの選択は非常に重く、悲劇的であるのに、なぜか“喜劇”といわれているのです。

さて、どこが喜劇なのか?


つづく。。。。。