そうそう!開発に一番必要な事は、ご使用頂く機屋さんから要望を伺わなければ・・・

 と、思い日本で一番の産地である丹後の組合にご相談に伺いました。


 驚いた事に組合の皆様はとてもご協力的で「早速、組合員を集めます」とその日に

お集まり頂く日程を決めました。


 参集当日は予想を超えた組合員さんに補助椅子を追加する程でした。

   

 組合の部長(当時)、先染部会の理事長の挨拶も「既存2社が製造中止になって以

来、フロッピードライブも製造中止、フロッピーも製造中止が近いなかで、先行きを心

配していましたが、新規にダイレクトジャカードの開発に取り組んで頂けるCSSさんが

現れこんなに心強い事はないです、本日は新規に開発する上で皆様から意見を募り

たいと言うことでお集まり頂きました・・」と挨拶されました。


 挨拶後、組合員さんの視線は、私に集中しました。


 組合員さんから一番多く言われた事は、「現場は年配者が多いので、新しく覚える

なら辞める・・と言うので、既存2社と同じ使い勝手にして欲しい」と言われました。


 二番目に言われた事は価格で10万までを要望されました。


 10万でできるコントローラなら「パソコン」を使えばできるかな?と答えるが早いが、

年寄りがパソコン使えるか?と声高々に反対されました。(はあ~)


 参集下さった組合員さんの中で開発のご協力に手を上げて下さったS社、K社ご

使用の機屋さんのご要望を伺いながら、新規コントローラ(CGSⅡ対応)の開発を

スタートしました。


   ・・・次回は、S社向けに開発した新規コントロ-ラの実機説明会・・・ 





 私は、当時、フロッピードライブの製造中止、フロッピィーも製造中止が近いという情報を聞い

ていたので、今のコンピュータ(Windows)のデータで動くジャカードコントローラの開発からスタ

ートする事を決めました。


 課題は、既存2社が稼働している状況で、新しいコントローラを簡単に交換できる事を必須条

件で、機屋さんはその場から安心して織れるコントローラの開発をする様に社員に言いました。

 

 開発する上で、私は最初に思いついた事は、既存メーカ2社と手を組めたら早期開発につな

がるのでわ・・と既存メーカの気持ちも考えずに、ご挨拶方々胸の内を相談した所、2社から「設

計図は何一つないので」と断られてしまいました。


 こりゃ開発するには、2社のコントローラの仕様及びプロトコル(コントローラからダイレクトジャ

カードにデータを送る送信方法)を解析する方法しかないな・・と思いました。


 ある機料店で紹介という事もあってS社のコントローラをお預かりする事ができました。


 喜んで会社に戻り、社員にS社のコントローラを見せた所、上の動くダイレクトジャカードが無

ければプロトコルも解析出来ないし、S社のバージョンがどれだけあるのか?又、バージョン分

の機種を上・下揃えて欲しい・・と言われました。


 私はまずS社に集中して情報収集と生きたダイレクトジャカードも中古で購入しました。


 そうして情報収集しながら、既存のコントローラのデータはCGSと呼ばれNEC9801(DOS

データ)でしか対応してないことを知り驚きました。


 開発のためにNEC9801をネット上で数台購入しました。


 

     ・・開発する上で一番大事な事は、お客様の要望に添ったものづくりです・・


 

 

 


 平成17年 年明けてから、社員を集め「私は、日本の伝統文化の象徴である西陣織を

守りたいので、まずは今のコンピュータ(Windows)のデータで織れるダイレクトジャカード

のコントローラから作ろうと思うが、この事業について皆の考えを聞かせて欲しい」と聞い

た所、社員からの回答は・・・無言でした。


 私は、社員の顔を見て「返事が無いことは承諾したと解釈した、貴方達が今まで繊維

業界 で14年間培った技術力なら素晴らしい物ができると思う、今、出来るかどうかは

当然返答が出来ないと思う。

 

 開発をする為にダイレクトジャカードが設置されてる繊維試験場に連れて行くので、分

からない所は、その場で質問し教えて頂く様にし、写真、メモは忘れずに、又、今後、開

発に必要な物、必要な情報は出来る限りそろえるので、早速、既存2社の内容に対し、

訪問した際、質問が出来るまで勉強するように」と言いました。



  西陣の公共機関である繊維技術センター(略語)で、S社のダイレクトジャカードを見

せて頂き、説明を受けました。

 又、研究員の方は、織機全体の構造の名前を説明しながら織機を動かし親切丁寧に

S社の状況も含めお話して下さいました。

 

 そして、新規に開発するメーカが現れた事をとても喜んで下さいました。


 その後も他産地(丹後、三河、和歌山、桐生)に伺い状況の説明を伺いました。

 

 ・・展示会に見えた機屋(はたや)さんの言われた事は事実だったのだ・・と驚きました。


   繊維業界を不況業種と決めつけ撤退する製造業の多い中で、私の思い(内心)は、

 帯、着物、金襴を製造する会社がなくなったら、日本の誇る技術継承も全て無くなっ

てしまう・・

  

 私は、日本の着物は民族衣装としては世界一映えると思っている。

 西陣織のあの雅やかな技術は、日本人しか価値は分からないだろうな~」と、若かり

し日の母の思いで着た振り袖姿の自分を思い起こし、自分で言うのもおこがましいけど

私!きれいだったな・・と一人つぶやいた。


 又、若かりし頃、海外で着物を着たとき、次から次へと一緒に写真をと・・せがまれた事

を思い起こし、それも男性からが多く嬉しかった事を鮮明に覚えてます。

 

 今、思えば、ブスな私でもあんなにもてたのは私を映えさせてくれたは着物のお陰だっ

たんだ・・と感謝し懐かしく思い出します。


 着物の良さを知る私は、日本の技術を残す仕事は私がやらなくちゃ誰がやる!とソロ

バン時代の私は先々来る難問など知るよしもなくお気楽でした。


  

 開発する動機は、平成16年12月・・ジャパンクリエーションと言う名の「日本の繊維

見本市」に出展し、パンチングマシン自動化システム(織機で柄を作る為のドビーカー

ド自動彫機)を、音を立てながら動かしていた時、西陣の機屋さんが「話を聞いて欲し

い」と小間に入って来られ椅子に座りこまれた事が契機でした。


 その機屋さんは、西陣で帯・金襴を織って見えました。

 

 お話の内容は、30年位前に紋紙に変わる電子化になったダイレクトジャカードが開

発され、当時は、景気も良かったし、紋紙を彫ったり、紋紙を出機へ運ぶ運搬費の削

減、現場では重量のある紋紙の機(ハタ)掛けの重労働が無くなる、紋紙を保管する場

所の不要、紋紙が劣化する心配がない等、データが紋紙からフロッピーになった事で

の「メリット」が一杯有ったので、どこも、皆こぞって機屋は、ダイレクトジャカードを導入

しました。

 

 当時は、2社あったダイレクトジャカードメーカーも今は製造していません。

 S社は平成7年に倒産、K社は平成14年に繊維事業解散で製造がされていません。


 以後、機屋は存続の為、廃業される所から中古のダイレクトジャカードを買って、部

品取りしながら織っている状況なので、工場内には中古品が一杯あるよ・・と笑いなが

ら話されました。


 今後、機屋として事業を継続する為には、元の紋紙織に戻したいと思っても、ダイレ

クトジャカ-ドになった事で、紋紙を彫る技術者、紋紙を造る会社、紋紙を糸でつなぐ

職人がいなくなってしまったから、紋紙に戻す事も難しい状況・・と現状を話されました。


 お話を伺いながら更に驚いた事は

 織データは、2社のコントローラは、フロッピー(CGS)で、コンピュータはNEC9801

(製造中止)のデータしか対応しないと伺い先行きが心配に成りました。


 西陣の機屋さんは私に言われました。

 繊維業を撤退、廃業してゆく製造メーカーが多い中で、元気に頑張っているお宅を

見て、お宅ならと思い話したくなった・・もうフロッピードライブも製造中止になったし、

日本の繊維業界救済の為に、出来たら、お宅で、ダイレクトジャカードを新規に開発

してくれないかね・・と話されました。


 その話を伺った事から、

 無知ほど怖さ知らず・・の私は、自社でダイレクトジャカードの新規開発をしようと決

めました。 


 その当時の私は、

 中国に商社と一緒になって自社製品の「モニタリングシステム」を展示会(北京・上

海TEX)に出展しながら平成14年から通訳を連れて営業していた時期でした。


 中国人を相手とする商売(日本人を利用する事に長けていて、計算づくしで接して

くる態度)に嫌気がさしていた時期でした。

 中国に行く度に「日本人は言葉も気持ちも通じるし、何より気質が良い、技術力が

ある、研究心旺盛だし責任感がある、やっぱり日本人は良いな~」と改めて日本人

の良さを実感していました。


 そんな時期とお話を伺った事が重なって、当社の技術が日本の誇る西陣織の技

術継承のお役に立てれば・・と夢見る夢子は思い、まずは、今のWindowsのデータ

で織れる・・2社共通化した・・コントローラの開発からスタートする事にしました。


         ☆☆☆ これから私の波瀾万丈のドラマが始まります ☆☆☆



 


追記;


当社の本来の事業は、産地にあった繊維業界向けに工程管理システムをパソコン

サーバ+クライアントで規格設計から受注、進捗、在庫、に至るまで一度の入力で

生産管理を行うシステムを開発するソフト会社でした。


ソフト開発も事務系ではなく技術系が得意で、ハード設計も行ってました。