開発する動機は、平成16年12月・・ジャパンクリエーションと言う名の「日本の繊維

見本市」に出展し、パンチングマシン自動化システム(織機で柄を作る為のドビーカー

ド自動彫機)を、音を立てながら動かしていた時、西陣の機屋さんが「話を聞いて欲し

い」と小間に入って来られ椅子に座りこまれた事が契機でした。


 その機屋さんは、西陣で帯・金襴を織って見えました。

 

 お話の内容は、30年位前に紋紙に変わる電子化になったダイレクトジャカードが開

発され、当時は、景気も良かったし、紋紙を彫ったり、紋紙を出機へ運ぶ運搬費の削

減、現場では重量のある紋紙の機(ハタ)掛けの重労働が無くなる、紋紙を保管する場

所の不要、紋紙が劣化する心配がない等、データが紋紙からフロッピーになった事で

の「メリット」が一杯有ったので、どこも、皆こぞって機屋は、ダイレクトジャカードを導入

しました。

 

 当時は、2社あったダイレクトジャカードメーカーも今は製造していません。

 S社は平成7年に倒産、K社は平成14年に繊維事業解散で製造がされていません。


 以後、機屋は存続の為、廃業される所から中古のダイレクトジャカードを買って、部

品取りしながら織っている状況なので、工場内には中古品が一杯あるよ・・と笑いなが

ら話されました。


 今後、機屋として事業を継続する為には、元の紋紙織に戻したいと思っても、ダイレ

クトジャカ-ドになった事で、紋紙を彫る技術者、紋紙を造る会社、紋紙を糸でつなぐ

職人がいなくなってしまったから、紋紙に戻す事も難しい状況・・と現状を話されました。


 お話を伺いながら更に驚いた事は

 織データは、2社のコントローラは、フロッピー(CGS)で、コンピュータはNEC9801

(製造中止)のデータしか対応しないと伺い先行きが心配に成りました。


 西陣の機屋さんは私に言われました。

 繊維業を撤退、廃業してゆく製造メーカーが多い中で、元気に頑張っているお宅を

見て、お宅ならと思い話したくなった・・もうフロッピードライブも製造中止になったし、

日本の繊維業界救済の為に、出来たら、お宅で、ダイレクトジャカードを新規に開発

してくれないかね・・と話されました。


 その話を伺った事から、

 無知ほど怖さ知らず・・の私は、自社でダイレクトジャカードの新規開発をしようと決

めました。 


 その当時の私は、

 中国に商社と一緒になって自社製品の「モニタリングシステム」を展示会(北京・上

海TEX)に出展しながら平成14年から通訳を連れて営業していた時期でした。


 中国人を相手とする商売(日本人を利用する事に長けていて、計算づくしで接して

くる態度)に嫌気がさしていた時期でした。

 中国に行く度に「日本人は言葉も気持ちも通じるし、何より気質が良い、技術力が

ある、研究心旺盛だし責任感がある、やっぱり日本人は良いな~」と改めて日本人

の良さを実感していました。


 そんな時期とお話を伺った事が重なって、当社の技術が日本の誇る西陣織の技

術継承のお役に立てれば・・と夢見る夢子は思い、まずは、今のWindowsのデータ

で織れる・・2社共通化した・・コントローラの開発からスタートする事にしました。


         ☆☆☆ これから私の波瀾万丈のドラマが始まります ☆☆☆



 


追記;


当社の本来の事業は、産地にあった繊維業界向けに工程管理システムをパソコン

サーバ+クライアントで規格設計から受注、進捗、在庫、に至るまで一度の入力で

生産管理を行うシステムを開発するソフト会社でした。


ソフト開発も事務系ではなく技術系が得意で、ハード設計も行ってました。