コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&浦和) -8ページ目

現役コピーライターが教える「何を書いていいかわからない」という人のための文章教室開催案内

コミュニケーションの学校 回覧板(錦糸町&両国&松戸)



開催日程
1日時/2月4日(土)11:00~12:45

2場所/両国シティコア ライフビットLIFE’VIT(住宅棟)2F(地図
※JR総武線「両国駅」徒歩3分
 (大江戸線「両国駅」からは若干距離があります)

3主催/コミュニケーションの学校

4申し込み・問い合わせ先/info@cschool.org
 ※件名を「両国校文章教室」とし、氏名・職業(学年)を本文にご記載ください。

5受講費/1,000円(印刷代&会議室代)

6持ち物/筆記用具、メモ帳

こいつは引き上げようと思われる後輩に必要な事(ただし入社間もない頃に限る、かな)

ちょっと昔の日本は、一言で言えば年功序列のはっきりした超縦社会が企業に社会に根付き、しかもそのことを特段気に止める方はそういませんでした。なぜなら、人々の大半がそういうもんだ、と思っている何とも形容しがたい空気が満ち満ちていたためです。事実、両国さんも幼少の頃、近所のおじさんおばさんには逆らえませんでしたし、見知らぬオッサンに殴られた事もありましたし(ちょっといたずらが過ぎた時ですね…(汗))、兎にも角にも大人の言うことは絶対であり、大人という生き物に逆らうことは時に暴力(まぁ今思えば殴られて当然か…と)が跳ね返ってくることもある、という恐怖によって日々の言動を統制されていたことを思い出します。


さて、脱線しましたが、今日のテーマは後輩論。後輩は後輩で上司に認められたいという欲求は、クールにすましていても確実に持っている根本的なものです。仕事で成果をあげても上司に認められず、上層部に自らの貢献の度合いが全く伝わらない。仕事は自分自身の成長のため、他人にあからさまにPRするようなもんじゃない、そんな考えや行動は自分のテーマに反する、という殊勝な気持ちを持たれている方も、実は案外に多かったりするものです。でもそれっていい事だと本気で思えますか?後輩は成果をどんどん上の方々に見せて認められることを、少なくとも意識する必要があるかと両国さんは思います。成果を認められなければ、新しいミッションもポジションも任せられませんし、正直、腐ってしまう末路をたどってしまうのが哀しいかな高確率で発生しうる事実だと思います。


両国さんも当時、社会人になりたての頃、「出世なんて、けっ!興味ねぇぜ。自分がやるべき事をやって、将来はひとりだちの道を歩んでいくんだ」なんて、今思えばなんとも新人にありがちな可愛らしい思想をなぜか持っていた時期がありました。でも、人間心がけは言動に意図せずとも現れるんでしょうね。あんまり同じ職場の上司どころか同期ともうまく行きませんでした(笑)。で、その後転職するわけですが、先輩の言うことは徹底的に素直に実行し、成果が出れば上司を通じて全社的に告知されるよう根回しをしたり、という事を続けていくと、やっぱり引き上げられていくわけで。「お前、今度これやってみ」と、新しい仕事を任され、裁量もけっこうな感じになり、ま、どんどん仕事が楽しくなっていくわけですね。で、思うわけです。「自分の判断で動けるのって面白い」と。


おっとまたまた脱線しました。こりゃ失敬。本題に移りましょう。難しいことはいいません。現職場で上司から引き上げられたいと思うならば、次のたった一つのことを継続してみてください。言ってることは至極普通の事かもしれませんが、効果は下手な方法論を試すよりきっと大きなものであると思っております。


結論…それは「素直であること」


上司の教えてくれたことが、「えぇなんか違う」と思っても、言われたとおりに実行しましょう。まだまだこれから、という時分で上司の進言に難色を示すのは、はっきり言って無駄。上司は上司なりの成功法則があり、それを後輩が成長するために余すことなく教えたい、という思いから伝えたまでです。実際騙されてという気持ちでも良いのでやってみたら、「あ、いいかも…」「あ、契約取れそう…」と好ましい反響が帰ってくる可能性は両国さん的にはけっこう高いだろう、と思っています。


両国さんはコピーライターから営業というジョブチェンジを経験しているのですが、営業経験はゼロからのスタートだったこともあり「素直」であることを徹底的に意識していました。アポってどうやってとるの?商談とかできるのかな?と、心のなかは不安で満たされており。なので、先輩から言われたことはあってようが、あってまいが、賛同できようが出来まいが、取りあえずド素人なのだから徹底的に実行してやろう、と決心し先輩の言いなりの日々を送っていました。結果は、まぁ栄誉ある社内の賞を頂いたり、という結果に繋がったりと、良きに事が運んでしまいまして。


上司は「素直な後輩」は「教えがいのある後輩」と認識します。事実、某広告会社に在籍していた時、営業部門を統括する上長は、ぽろっと心境を吐露しました。「あいつはもっと素直だったら、伸びるのにな。上のやつからなにか言われたら考えこんで、教えられたことをそのままやればいいのに、自分のやり方にこだわる。で、自分のやり方にこだわる奴は結果がでない。そんな態度が継続すると、上のやつはいつしか教え甲斐のある後輩の方にフォーカスする。で、学びの機会を逸してしまう。ああ、ほんともったいないわ。言われたことを、ちょっとでも素直にやっておいたら、結果は違っていたのに…」と。いつも反発ばかり、理屈ばかり並べて、結局大した成果も出せない後輩は、残念ながら次第に眼中から外れる存在となり、上司の関心は素直に言われたこと実行する後輩へと向かっていくのが大方の自然な成り行きなのです。


これから新社会人を迎える皆さん、中途入社で新天地でスタートを始める皆さん。素直であることは、新人にとって最大の武器、というか明るい未来を切り開く最も効果的な手段です。自分なりのやり方は、素直であることを通じて学び経験値を蓄積した後から模索するのが得策と言えるでしょう。


「新人よ徹底的に素直であれ、さらば道は開かれん」

後輩からついていこうと思われる上司に必要な3つの事

絶大な結果をもたらす上司であっても、人間ですから好き嫌いという感情が生じることは当然のことでしょう。では、なぜその上司が好きなのか、嫌いなのかを考えてみると、案外その理由はとてもシンプルなものでは無いでしょうか。両国さんもサラリーマンとしての経験は、まあ長いもので、いろんな上司をみてきましたし、上司という立場にいたこともあります。そのサラリーマンの日々の中で、ひとつの結論として見出し、できる限り心がけてきた3つの「ついていこうと思える上司象」について綴ってみたいと思います。



その壱「後輩の発言を肯定的に訊いてくれる上司であること」


といっても、その発言が的を得てなかったり、結論がどこにあるのか不明なゆえに否定されることもあるものでしょう。が、頭ごなしに否定される事が連続すると、その上司には自然と自分の想いを伝えることを躊躇してしまうものです。まず省みるべきは、自らの伝達能力不足と言える事象と言えますが、上司という立場にある方は、まず聞き耳を立ててみることを推奨します。単に聞き耳を立てると言っても、後輩と向き合う姿勢も重要です。眉間にシワを寄せ「だから結論は何なんだよ」と、顔に書いているかのような表情はNG。できる限り、心穏やかに受け止める姿勢を見せることが求められるかと。後輩が伝える全てを聞きとった後、まずはその発言を肯定的に受け止め、むしろ「よくぞ言ってくれた」「そのアイデアはとても良い」というポジティブな反応を見せてみてはいかがでしょうか。後輩に対して、修正すべき点、報告に必要なロジックの建て方等、各論は後から伝えるべきで、この順序が逆になり、かつ連続するとギスギスした空気が残念ながら醸成されていく事となってしまいます。このように書いては見ましたが、考えてみれば至極当然の帰結ですよね。人は自分の話を訊いてくれる人に好意の念を寄せるもの。上司と部下の関係にも該当する感情論だと言えます。上司は後輩が気持ちよく働ける空気を作り出すことも、ひとつのタスクです。口下手、伝えることが若干ちぐはぐな後輩がいるのであれば、まずは寛容な心で受け止める事からはじめてみましょう。両国さんの経験から行くと、後輩の拙い報告にもしっかり耳を傾けていた上司はたいてい周囲から尊敬の念を集めていたように思います。



その弐「後輩以上に汗水垂らして頑張っている上司であること」


これとても重要です。後輩の立場にたって想像してみましょう。若干なんとも短絡的な思考ロジックかもしれませんが、いえいえどうしてけっこうそう思うと思える方は多いように思いますので。上司は後輩よりも当然多少の差はあれ給与は高い(かもしれない)。後輩は、自分より多く給与をもらっているのだから上司は自分以上に労働しているのだろう、もしくはするべきだ、と無意識的に感じている。ここで、オフィスにずっといる、特に自らの成長を刺激してくれるであろうアドバイスが無い、やっとこさとったアポイントになぜか同行してくる、高い目標設定を課されるも上司の目標がなんなのか分からない等々。上司は上司で実は、重要な判断を日々考えているかもしれない、後輩の成長を重んじるあまりあえて何も口を出さず見守っている、せっかくとったアポイントをできる限り受注に結び付けたい、といった意図があるのかもしれません。がしかし、それらは後輩に伝わらなければ、なんの意味もありません。感じ取れない後輩が悪いんだといっても、後輩がその熱い思いを感じ取れないコミュニケーションをとっている上司にその責はあります。上司に位置する方はおそらく一度は言ったことがあるのではないでしょうか。「俺の、私の背中についてこい」と。実際問題、後輩が負う労働量以上の労働をして、かつその労働量が後輩にとって上司に相応しい質量でなければ、哀しいかな納得は得られないのが現実ではないかと両国さんは思います。



その参「ユーモアのある上司であること」


最後は別に無視してもいいかもしれません。この要素は非常に個人差の広いものなので。もちろん、無愛想な人でも尊敬を集める上司はいるものです。しかし、あなたに少しでもユーモアの能力があるのであれば、今一度ユーモアの大切さを考えて頂きたいと思います。先程も申し上げましたが、人は自分の話に耳を傾けてくる人に好意を寄せ、信頼を寄せていくものです。同様に、人はユーモアのある人に自然とひかれていくものだったりします。後輩が何かミスを犯してしまった。上司であるあなたは叱る必要があります。怒ってはいけません(この辺はまた改めて)。むしろ、部下である彼・彼女のミスは自分のミスであるが如く受け止め、「俺が、私が、悪かった」と言えたのであれば、その場面にいる部下は救われた心境を覚えます(ミスっても上司が被ってくれる、という事に慣れたり甘んじるような部下は、もはや救いようがありませんが…)。部下は、ミスを犯し、あなたに報告する過程で大いに傷つき、深く反省をしているものであり、最終過程である報告の段階の心境は、もう「この世の終わり」くらいの気分だったりします(遅刻時も大体同じ心境でしょう)。指摘し叱るべきところは、もうこれほどかというくらい強く伝えるべきなのは間違いありません。しかしその後です。しかめっ面をずっと続けるのはNG。終わったことは終わったことと、スパッと気持ちを切り替え、「よし、どうすれば同じミスが起きないか一緒に考えよう」と言えればいいですよね。さらに、その部下に対して、しばらく後でいつもと変わらない立ち居振る舞いで接することが出来れば、部下の気持ちはさらに救われるものです。その際に、クスっと笑えるような一言でも言えればもっと良い。部下は、厳しく諭してくれて、かつユーモアで癒してくれた上司に対して、「こいつ甘い」なんて思わないでしょう。(せこい話かもしれませんが)むしろそのギャップに対して、安心を覚えるのと同時に、懐深い応対に感謝の念を覚えるかもしれません。


再度申し上げますが、上司の仕事というのは、後輩の成長を心から願い応援し、気持よく働ける環境を創出する事です。そう思うのであれば、黙して伝えようとせず、全身を使って表現していくべきです。言わなくても分かるだろう、それぐらい分かるだろうは、自分勝手に他なりません。また、部下に好かれるために、そんな事やってられない、とおっしゃる方もいらっしゃることでしょう。でも伝わらなければ意味が無い。伝わらなければ、それは全てあなたの責任。ご自身が理想とする上司像を、まずは今一度思い描き直してみてはいかがでしょう。2012年は始まったばかりですしね!