今日、
めちゃくちゃ恥ずかしい話を
カミングアウトします(汗)
気づいたら
ひとりぼっちだったり
気づいたら
嫌われていたり
誰もわたしを
わかってはくれないのね。。。
と感じることがよくあった
これまでの人生だったのですが
この記事を書いていて
さらに気づいてしまったことが…
「ありのままの私」の
人生をはじめると
扉開いた!と思うと
また次の扉があって
その扉を開くとまた次だし
できた!と思ったら
また次のできた!があって
そこから先また
更なるできた!が待っていて。
どんどんどんどん次が来る
どんどんどんどん扉が開く
どんどんどんどん……
「すごい♡この世界って😳」
が更新されてくのを
体感するのだけど
そうすると、
人に言えなくなる。
扉を開けても、
次があるから。
出来ても、更なる出来た!が
そこで待っていてくれるから。
それは決して
そこまでできていない自分
まだまだ。足りない。ダメ。
と、打ち消しているわけではなくて
そこまでも、もちろん認める。
ひとつひとつに満足している。
その上での「次」があるからこそ
芽生える謙虚さとでも言うか。
気づいたら
ひとりぼっちだったり
気づいたら
嫌われていたり
「誰もわたしを
わかってはくれないのね。。。」
そう思っていたあの頃。
…言ってたわ。
できてない&行動していない
のに、正論ばっかりを。
「〇〇すれば、いいじゃないですか」
無邪気に。
偉そうに。
ああああああ
そりゃあ……
嫌われるわ
「いやそれ(あなたが)言う?!」
って感じだったろうな。
でも、
言わないでいてくれたんだよね。
ごめんだし、そしてありがとうだ。
汗びっしょりです。
よく、スポーツ観戦で、
ナイストライの選手を
批判する人たちって
大抵その道のプロではない。
で、やったこともないのに
「ああすれば良かったのに」
って簡単に口にしますよね。
いつかのTV番組で
元サッカー日本代表の
内田篤人さんが
エゴサはしないっす。
意味ないって言うか
「やればいいじゃん」ってなりますから。
と、おっしゃっていて
スポーツ選手と
関わらせていただくことも
多いわたしはそれを聞いて
「そうそう。本当そう。」
って、激しく同意したものです。
それなのに
違う場面で言ってたわ。
ちゃんとやってたわ。
あああああ
実際に行動していくと、
思いもよらない泥臭さや
自分自身のコンディションや
その他の、
言葉にするのも難しい位の
たくさんの出来事があって
思い描いていた予定通りに
行かないことがあるのも、よくわかる。
黙ろう。
ただ淡々と、体現していくのみだ。
改めてそう誓った、風の強い午後
実ほど首を垂れる稲穂かな
とは、昔の人はよく言ったものだ~
きひるひひる
たからさお
ふるふるみつる
あめつちのさお
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