ね、それ、本当かな?
信じていることを
疑わせるようなことを
よく言うわたしですが
絶対に疑って欲しくないものが
「一つだけ」あります
それは......
と、その前に
こんな質問をさせてください。
あなたにとっての「感動」とは
どんな認識ですか?
ケイトウ、チカラシバ、トタラマキ、、、
何よりベージュのカーネーションにキュン♡です
感動というと
「感情が動くこと」という
説明をたまに見かけますが
違います
感動は、
感情が動くことではありません。
美しいものや素晴らしいものに接して
強い印象を受けて、心を奪われること
自分じゃない誰かの声でできた思考や
そこに結びついて湧いてきた感情や
思い込みうんぬんに関わらず
自分の奥の奥の大いなるあの場所と
共鳴し、響いてくること。
感覚の振動。それが、感動。
「恐怖のあまり感動した」
「怒りが爆発して感動した」
↑
こんなこと、言わないですもんね(笑)
ベージュカラーに、なんとバーガンディーの模様が入っているんです...!
昔こんなシックでおしゃれなカラーなかったですよね?!
これを読んでいるあなたも
小さいころからよく感動したのでは?
よく感動する人は
たまにウザがられたり
嘲笑われることもあります
わたしも長いこと
その感受性を閉じ込めていました
ダメなことだと思ったし
恥ずかしくて未熟なことだ
とも、思いました
それでも閉じ込めきれなくて
そのたびに自分を否定しました
大人になってからも
ある会食で聞いた話に
思わず涙があふれて...
一緒にいた人からは
「ええ~w光希ちゃん、感動しぃなのねえ?」
と
笑われたことがあります
「あなたはイチイチ敏感だから」
「大げさすぎる」
今までに何度も言われました
自分でもそう思っていました
でもある日
突然気づいたんです
すぐに感じる自分の否定
これこそが......
自分を何もできなくさせてるんだ、って。
だからやめたんですね
というか、あきらめちゃいました
感動ばかりしちゃう自分のことを。
そうしたら目の前の現実は
あっさりと変わっていって
ますます感動ばかりの人生に...!
この造形美たるや......♡
素直に感動する人を見ると人は
嫉妬するのかな、と思います
誰だって
感動して生きたいはずだから。
そして
それを「感じる」から、こわいですよね
うわー...何あの人...
あんなくらいで喜んじゃって、とかね
わたしこれ、何度も言われたことあるんです
その時の記憶はよく蘇りました
だから
感覚に持っていかれないように
すごく必死に感じないように
生きちゃう
すると感覚が思考に持っていかれ、
他人の機嫌にも持っていかれちゃう
ってことになるんですよね
でもそれも逆です、逆。
たくさんたくさん
目の前の空や雲や風や光や......
とにかく全てのことに感動して、いい。
思考は
思いっきり感覚に持ってかれていい
思いっきり委ねて、奪われちゃって、
それでいいのです
そうすると
ほかの誰にも持っていかれなくなって
自分自身に深く繋がることができます
だから
自分の「感動」だけは
絶対に、疑わないで。
「こんな小さなことだけど」
「間違ってるかもしれないけど」
「いきなり、すみません」
↑
こんな前置きも、いらない。
今まで
閉じ込めてきた時間が長くて
すぐには難しかったとしても...
どんなに小さなことでも
恥ずかしがらずに一緒に
感動しよう♡
それが
新しい世界への扉を開く鍵になるのは
どうやらもう、間違いないのだから