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みなさまこんにちは、
本日もブログを読んで下さってどうもありがとうございます。
読めば読む程やるせなくなる。。
ある意味で典型的にも感じる
昨日の記事では、
一昨日公表されたフジテレビの一連の事案に関する報告書の内容で、
とくに印象に残った部分をみなさまと共有させて頂きました。
↓昨日の記事
その後も少しずつ報告書を読み進めているのですが、
読めば読む程辛くなると言いますか。。想像よりももっと悪い状況があったことに驚きます。
特に、第三者委員会では「業務の延長線上にある性暴力」と認定された一連の行為について、
被害者である女性Aさんが受けた甚大な被害に心痛察するに余りあるものを感じ、
同時に報告書内にあるCXの対応が、
ある面ではこれまで私が見たり聞いたり対応をさせて頂いてきたハラスメント被害対応、それらと共通する典型的な部分もあると感じています。
被害者が迷惑を掛けている様に扱われるのは受け入れがたい
半面、気づく人もいてホッとした部分
この報告書の中で私が気になったところ、
そしてテレビ報道などでも取り上げられていた部分がありました。
それは、報告書の中で記されていた”女性A”さんが退職した後の中居氏とB氏とのやり取りです。
女性Aさんの退職をB氏が中居氏にショートメールで報告した所、
「了解、ありがとう。ひと段落ついた感じかな。色々たすかったよ」
と中居氏から返信があり、それに返す形でB氏が
「例の問題に関しては、ひと段落かなと思います~(以下略)」
と返していた。
テレビでコメンテーターとして出演されている方の中にもこの部分を指摘している方が複数いましたが、
私も、このやり取り、特に「例の問題」「ひと段落」とされている部分に違和感を覚えました。
みなさんが普段の生活で「ひと段落」という表現を使う時って、どんな状況の時でしょうか?
そこを想像して頂ければ、この違和感が共有して頂けるのでは無いかと思います。
今回は「業務の延長線上の性暴力」と認定されている訳ですが、
これ、例えば窃盗とか傷害とか、そういう被害者がいる事件において、
被害者が不本意な状況に陥っている渦中に加害者側が「ひと段落ついた」なんて言っていたら、
到底受け入れがたいと思うのです。
私自身もセクハラやパワハラの被害者側の支援を行う事がありますが、
ハラスメント被害を受けた側が正当な手続きに則ってハラスメント通報をした後、
会社側からまるで迷惑をかけている人、面倒を起こした人、みたいな扱いを受けることってやっぱりあって。。
でもそれは、到底受け入れがたく、憤りすら感じます。
悪いのは、加害やハラスメントをした側でしょうに。
ただし半面、
先に記したように私が感じたのと同様の違和感や懸念を覚えてそこに言及していたコメンテーターの方が複数いた事、
今回の件を受けてCX社内では、労働組合に加入する社員が急増したことや、
この報告書の最後に記されていますが、経営陣に対して反旗を翻した社員が数多くいたという点。
ここに希望を見出したのも事実です。
性暴力の被害のその後が書かれている
*性被害経験のある方、フラッシュバックにご注意下さい。
この報告書には、
女性Aさんが性被害を受けてからの体調、心境、状況などが赤裸々に記されている部分があります。
「前の自分に戻れない気がする」
「みんな生きている世界と自分が生きている世界と自分に大きな隔たりがあって、もう戻れない」
「(本事案の時に)食べていたものや流れていた音楽を聞くと辛い」
「(ニュースを読んでいる際に、亡くなった人の名前を読んで)私が代わりに死ねばよかったと思った」
上記は報告書からの引用ですが、
性暴力のその後を生きる方の過酷な心境がありありと表れていると受け止めます。
報告書にも書かれていましたがこの時期女性Aさんは急性ストレスの状況で、
この時期に当事者である中居氏と、報告書にあった様な直接のやり取りがあったことは、本当に辛かったと考えます。
(*急性ストレスとは、生死にかかわる事件事故に巻き込まれる、性暴力を受けるなどの重度の心的外傷を受けた後、1か月以内に生じる強いストレス反応です。
1ヶ月を過ぎても一定の診断基準となる症状が治まらない場合はPTSDの診断となります)
被害当事者でトラウマ体験をした後に、そのトラウマ体験の原因となった相手と直接やり取りをしなくてはならなかったこと、
そして報告書の中にもありますが、
中居氏側がこの時点では今までと変わりなく仕事が出来ていたことで、女性Aさんにとっては職場に行けば中居氏のポスターなどに暴露されるという状況があったことなどは、
本当に筆舌に尽くしがたい苦しい状況だったと察します。
色々と振り返る
こういう時、女性Aさんの様に被害に遭った方々は世間の教訓になる為にこんな目に遭ったわけではない。まずはそう思うのです。
そして同時に、
けれどせめて、二度とこう言うことが起きない様にと願う事は多くの方に共通するとも思います。
私自身のこれまでの振る舞いも含めて、
世の中ってまだまだハラスメントの種みたいなものは随所にあると感じました。
例えば今回の報告書の中で記されている中で言うなら、
中居氏:「男同士じゃつまらんね。女性いるかなね。一般はさすがにね。となり、フシアナ誰か来れるかなぁ」
B氏「アナウンサー調整してみます。(中略)2~3人いれば大丈夫ですかね??」
*(中略)は筆者
のやり取りとか。
どうして男同士ではつまらないの?
男性たちのつまらなさを解消する為に女性が存在している訳ではないけれど、
女性に、男性たちのつまらなさを埋める(つまらせる?)事を期待するのはどうして?
「2~3人いれば大丈夫ですかね??」という返答には、
なんだか”見繕われている感”と言いますか、軽く扱われている様な、感覚的な不快感を抱いたのは私だけでしょうか?
でも実際、中高生や若い世代の方々とカウンセリングの場面で対話をさせて貰う時、
「つまんないから友達にいて欲しい」
という趣旨の発言をする子ども達は実際にいて、
その「自分がつまんないとき、自分のつまらなさの解消の為にお友達にいて貰う?」
という投げかけからは、実に様々な発見が生じます。
最終的には「自分も友達も一緒に楽しみたいんだ」という結論になることがほとんどで、
お友達に対して”つまんないから来て”→”一緒に楽しみたいから来て”に変わる、この変化。
この変化は小さく見えてとても大きなものだと感じています。
「自分がつまらないから何とかして」という姿勢は、自分がまるでサービスを受ける様な感覚、
けれど「一緒に楽しもう」の姿勢は対等だよね、と。
実際の子ども達とのやり取りはもっと豊かで複雑な発言や考え、感覚が出てきますが、
こういう小さな小さな積み重ねが、大切なのだと感じています。
最後は話が少し広がりすぎたかも知れませんが、
人権や尊重を重んじて行くために、私が出来ることを、たとえ小さなことだとしてもやり続けて行きたいと考えています。
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