久しぶりに福島に行きました。
去年のお盆に原発被災地の広野町、楢葉町、富岡町をめぐった時はそこがまさに2011年3月のままだったことに衝撃を受けましたが、その後の報道では着実に復興は進んでいるという印象も受けます。
「広野-竜田 来月1日再開 常磐線 双葉郡の復興加速期待」
http://www.minpo.jp/news/detail/2014051015581
今回は、常磐線も6月から運行再開区間が延伸されるということで実際現地の方々はどうお感じになっておられるのか知りたかったのと、たまたまブラジルの友人が来日したので福島のようすを知ってもらいたかったこともあり、昨年もお世話になった除染監督員の鈴木さんに現地を案内してもらいました。
【Jビレッジ】広野町・楢葉町
日本有数のサッカー施設だったJビレッジは事故以降、現地の対応拠点となっていましたが、オリンピック前の2019年4月には営業再開を目指す方針が決まったそうです。
【手つかずの被害家屋】楢葉町
Jビレッジからしばらく北上し、海岸方面に出るとまだ手つかずの状態の被害家屋がいくつも現れます。このお宅も3年前のまま・・・
【無数のトン袋】楢葉町
除染作業で回収された落ち葉や土などの低レベル汚染物質がおよそ1トン入ることから「トン袋」と呼ばれている黒い袋。
袋の耐用年数は3~5年ですから、今度は「除染したものをどこに移すのか」を早く決めなければいけません。ところがその結論は未だ出ないまま。
中間貯蔵施設が決まらない中で今日も無数のトン袋は次々に積み上げられていきます。
【枯れた木々と広大な仮置き場】楢葉町
天神岬という高台から先ほど通ってきた道を見下ろすと、膨大な数のトン袋が積み上げられている様が一望できます。8月に来た時に比べその範囲もかなり広がっていました。
手前右側の木々は津波で海水を被った影響ですっかり枯れてしまっていて、新緑の季節にはいっそう寂しさが際立ちます。
【モニタリングポスト】楢葉町
ここにあったモニタリングポストが示す線量は0.435μSv/h。単純計算では年間3.8ミリシーベルトになります。
【富岡駅前】富岡町
常磐線が再開するのは一つ前の竜田駅まで。除染がまだ済んでいない富岡はまだこんな状態です。移動中の車内でさえ0.6μSv/hを超える地点もありました。
東電は現在Jビレッジに置いている福島本社を来年度、ここ富岡に移転する方針だそうです。
【仮設にて】いわき市
その後、2年半前にガールスカウトの支援活動でおじゃました仮設を訪れました。あれからだいぶ時間が経ってしまい、またこれまでたくさんの団体が訪れたことでしょうに、私たちのことをおぼえていてくれました。
ここは楢葉町から避難している方々なのですが、急な訪問にも関わらず15名程の方が集まってくださり、今見てきたばかりの楢葉の様子やこれからのことなど色々とお話しをしました。
その中で感じたのは、やはり報道で見たり聞いたりする姿と現場とのギャップです。
「来年には帰れるっていう話も聞くけど、そんなの毎年そう言われてきた。あと2~3年は無理じゃないか」
「町長や役場が先に帰って、大丈夫だから帰ってきて下さいってんならわかるが、みなさん先に帰ってください、私たちは後から行きますからって話じゃ信用できない」
「避難生活が長くなると、こどもたちの学校のことなんかもあって大人の都合だけで帰るって言えない」
「仮設だって住めば都だって思ってなるべく楽しくやろうと思ってる。でも、本当はみんな帰りたいに決まってる。口に出さないだけ」
みなさんポツリポツリと本音を語って下さいました。
また、県外に避難したある方は避難の際に受けた原発被災者に対する様々な嫌がらせなどの話しも聞かせてくださいました。
これはとても信じたくない内容の話しでしたが、郡山に住んでいる方からも以前に同じ話を聞いており、やはりそういうことがあったのだと信じざるを得ませんでした。
ただ少し救われる思いがしたのは、今でも仮設を訪れてくれる団体がいくつかあるということ。
「やっぱお客さんが来て色んな話しができるのは嬉しいわなぁ」と、私はお客さんではないのですが、お礼を言われてしまいました(T_T) ありがとうございます。
3.11から3年と2カ月。復興のスピードは地域によって違いますが、変わらないのは「まだ何も終わっていない」ということ。
これからも福島を、東北を忘れないでいたい。その思いを新たに、再会を誓いつつ福島を後にしました。















































