こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原第5弾
「決戦地」です
三成の陣地跡からすこし東にあります
田んぼのど真ん中
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原1167)
位置的に、おそらく石田軍が最後に東軍勢と戦った場所だと思います
アレ…じゃあ、左近が死んだ場所はコッチか…


本当に周囲には田んぼしかないので、
「決戦地…なんだよな?」とちょっと疑問に思ったりしましたが
さすがに山の斜面では戦わないよなぁ
次回は「開戦地」をご紹介します
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原第5弾
「決戦地」です
三成の陣地跡からすこし東にあります
田んぼのど真ん中
位置的に、おそらく石田軍が最後に東軍勢と戦った場所だと思います
アレ…じゃあ、左近が死んだ場所はコッチか…


本当に周囲には田んぼしかないので、
「決戦地…なんだよな?」とちょっと疑問に思ったりしましたが
さすがに山の斜面では戦わないよなぁ
次回は「開戦地」をご紹介します
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原第4弾
三成の右腕「島左近陣地跡」です
三成の陣がある笹尾山のふもとにあります
…というか、ほとんど三成の陣と同化してます
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原1367)
馬防柵が乱立しているところに上の写真のような看板があるだけなので、
左近の家紋が入った幟が無かったら絶対わからない
左近は、三成が自分の領地の3分の2を与えてまで
召抱えたことで有名な猛将ですが、
この陣地付近で三成を守って戦死しています
(正しくは行方不明だそうですが)
馬防柵が設置されていることもあって、戦場の雰囲気がある場所なので、
左近の奮戦ぶりが目に浮かんできました
次回は「決戦地」をご紹介します
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原第3弾
「石田三成陣地跡」です
「黒田長政陣地跡」のすぐ西
笹尾山一帯のことをいいます
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原1367)
さすが事実上の西軍総大将の陣地だけあって、
幟や馬防柵、陣幕まで張られて、綺麗に整備されています
実際の陣跡は、笹尾山の山頂にあります
約10分間の山登りをしなければいけないので、
(しかもそこそこ急斜面
)
ちょっと根性が要ります
三成陣地から見た関ヶ原です
ココからの風景も圧巻
でも、途中まで拮抗状態だった戦況が一気に崩れていく様子を
三成はココで見たんですね…
はっきり見える分、絶望感もすごかっただろうな…
次回は「島左近陣地跡」をご紹介します
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、関ヶ原第2弾
「黒田長政陣地跡」です
史跡の中でも北のほうにあります
三成の陣地であった笹尾山のすぐ近くです
(住所:岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原737)
ここには、黒田官兵衛の息子・長政と
竹中半兵衛の息子・重門が陣を張りました
「両兵衛」の息子が夢の(?)コラボレーションをしています
また、関ヶ原の戦いの開戦ののろしが挙げられたのもココで、
別称「のろし場」と呼ばれています
…というか、正式名称は「丸山烽火場」。
「のろし」のほうが、「陣地跡」より重視だそうです
陣地跡から見た関ヶ原です
ここからの眺めは圧巻
なぜ長政がココを選んだのかが、納得できます
次回は「石田三成陣地跡」をご紹介します
以上、朱堂でした
こんにちは
朱堂です
今回は、「関ヶ原」シリーズ第1弾
歴史民族資料館です
関ヶ原の戦いを知るには、まずココですね
JR関ヶ原駅から徒歩5分程度、
「田中吉政陣地跡」や「陣場野」のすぐ近くにあります
(この2つの史跡については、また後日)
(住所;岐阜県不破郡関ヶ原町大字関ヶ原894-28)
展示品は関ヶ原合戦一色です
地方の資料館なので、どうしても複製が多くなりますが、
出陣武将の兜や合戦屏風、馬印などの複製品が数多く展示されています
関ヶ原の戦いの動きをシュミレーションしたコーナーや、
当時の槍の模型を持つことができたりする体験コーナーもあります
あとは、竹中半兵衛の銅像の複製もありました
半兵衛の出身地は関ヶ原の隣の垂井町ですし、
合戦自体には半兵衛の息子が出陣している縁でしょうか
展示品にも、竹中氏寄贈のものが多くありました
朱堂はココで、関ヶ原合戦のパンフレットを買ってもらったんですが、
…かなりの年代ものでした
(初版が太平洋戦争終結直後
)
中身は悪くないのですが、
これが最新事情では無いはずなので、ご注意を
次回は、「黒田長政陣地跡」をご紹介します
以上、朱堂でした