こんにちは朱堂です




今回は、京都編


「圓徳院」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市東山区下河原町530)




このお寺は、もともと高台寺の付属寺院で、


北政所ねねが伏見城から屋敷を移築して移り住んだのが始まりです


その後、甥にあたる木下利房が改めて寺として整備しました




(木下利房 … ねねの兄・木下家定の次男でねねの甥。


          備中国足守藩2代藩主。


          小早川秀秋の兄でもある。)




高台寺と同じく、すごくキレイなお寺だそうですが、


今回は中まで入りませんでした


でも、いつかはじっくり見たいなぁ…






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です




今回は、京都編


「高台寺」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市東山区高台寺下河原町526)




このお寺は、秀吉の正室・北政所ねねが秀吉の冥福を祈るために建てたもので、


彼女は隠居後、亡くなるまでココに住んでいました




建物は、建設当時から残っているものも多い上、


秀吉ゆかりの建物から移築したものもあるので、重要文化財の宝庫です




また一時期、新撰組から脱退した伊東甲子太郎、藤堂平助らの


「御陵衛士」の屯所だったそうです


(御陵衛士については、油小路の変発生地
も参考に)






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


お庭も名勝になっているくらいとてもキレイです


朱堂は京都の中では高台寺のお庭が一番好きですね




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そんな高台寺のお庭を眺めながらお茶をいただける


茶室もあったり




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


朱堂が初めて高台寺に行ったのは小3の時だったんですが、


そのときは桜のシーズンでして


池で泳いでいたカモも含めて、この池の景色が一番キレイだったんですよね


このときは夏でしたが、緑もなかなかのものでした




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


枯山水もちゃんとありました


この柳の垂れ下がり方がなかなか






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、高台寺に来たら絶対見なくちゃいけないのが


上の写真に写っている2つの建物




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


こちらは、「開山堂」です


ねねさんの兄・木下家定夫妻や、


高台寺建設に功績があった大名・堀直政の像が置かれています




(木下家定 … ねねの兄。


          木下氏の名乗りで幕末まで続いた数少ない大名の1人。)




(堀直政 … 信長、秀吉に重臣として仕えた大名。


         上杉氏が会津、米沢に移されてから、彼らの本拠・越後を任された人物で、


         結構苦労したらしい。)




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「御霊屋」です


コレはねねさんの墓所で、建物内にある自身の像の下に彼女は眠っています


また、秀吉の像もあります




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


高台寺には、当時の茶室も現存しています


コレは、「時雨亭」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そしてコチラは「傘亭」


伏見城の茶室を移築したものだそうです




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


中を拝見できるのもオイシイところ




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


境内を見回ったら、ちょっと足を運んで


「ねねの小径」と呼ばれる道を挟んだ向かい側にある「掌美術館」へ




この美術館は高台寺付属の美術館で、


ねねさんの兄の家定の家に伝わる甲冑だとか、


美しさで有名な「高台寺蒔絵」の名品を見ることができます






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です




今回は、京都編


「霊山観音」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市東山区高台寺下河原町526-2)




この観音像は、高台寺の隣にあり、


第二次世界大戦の戦没者を弔うために建てられました




鉄筋コンクリート製だそうです


京都にしては…珍しい




高台寺の入り口付近から見ると、


建物の屋根の上から巨大な観音像が顔を出している、という


上の写真のような…なんともシュールな風景をつくっています






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です




今回は、京都編


「八坂神社」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府京都市東山区祇園町北側625番地)




この神社は、清水寺
霊山護国神社
など、


京都の中でも有名な観光スポットが密集する東山にある神社で、


少なくとも平安初期には成立し、信仰を集めていました




京都三大祭の一つ「祇園祭」の「祇園」は、この神社のことです




何度も東山に行って、逆に行き過ぎているので飽き始めてきた朱堂ですが


この神社はなぜか…行った記憶がないという


しかも、今回も目の前を通り過ぎるだけで中には入っていないです


…次行ったら絶対




ちなみに、近くに「八坂の塔」という有名な五重塔がありますが


その塔があるのは「法観寺」というお寺で、八坂神社にあるものではないそうです


…初めて知った






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です




今回は、京都編


「瑞泉寺(豊臣秀次墓所)」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:京都府中京区木屋町三条下ル石屋町114-1)




「豊臣秀次」は、秀吉の姉・とも(日秀)の子で、


ご存知のとおり秀吉の養子になって関白を継ぐも、


秀吉に子供ができたために謀反の罪を着せられて


妻子ともども三条河原で処刑された人です




そんな秀次さんと、その妻、子供、殉死した家臣50人のお墓があるお寺です




彼らの遺体は処刑された後、このあたりに穴を掘ってまとめて埋められ、


「畜生塚」と呼ばれて荒れ放題だったそうです


ですが、江戸時代に入って河川工事をした角倉了以が、


弟が秀次に仕えていた縁から改葬してお寺を建て、現在に至ります




この秀次処刑は、朝鮮出兵と並んで、


晩年にして最大の秀吉の失政と呼ばれているからなぁ…


ちょっと悲しい気分で参拝せずにはいられませんでした




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


コレが秀次のお墓です




この両脇に妻子と家臣のお墓がズラッと並んでいます




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


お墓の一覧


秀次の側室多すぎるからなぁ…


全員名前が載ってるなんてめったにないわけでして


ここまで詳しく載っているもの初めて見たよ


嬉しいです、感謝です、ありがとうございます




でも、秀次の側室で忘れちゃいけないのが…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


8番の彼女




羽州山形の大大名・最上義光の娘である「お伊万の方」。


「駒姫」っていう名前のほうが有名ですね


政宗様の従妹にあたります




秀次が義光のもとに来た時、駒姫が秀次の接待をした結果、


秀次がその美しさに惚れてしまい、側室として所望されます。


義光は断り続けるも、最後には折れてしまい、


15歳になったら側室として上京させる約束をしてしまいました。


そして、15歳になり、上京。


しかし、その途中で秀次の謀反が発覚し、


駒姫は実質的には側室になっていないのにもかかわらず捕らえられ、


他の妻子たちと一緒に処刑されました


実質的な側室になっていない状況や父・義光の嘆願もあり、


出家させることを条件に許すよう、秀吉も伝えたそうですが、


間に合わなかったとか。


その最期は、大名の娘に恥じぬ姿だったそうです。




この影響で、義光本人や従兄の政宗様にも連座の可能性が出ますが、


(政宗様は秀次と親しかったからとも)


なんとかセーフ


ですが、「家族LOVEな鮭様(笑)」こと義光やその妻には相当な打撃となり、


義光の妻は駒姫処刑直後に突如死去


(後を追って自害したとも)


義光も自分の領内に駒姫を弔う寺を建てるなどしました。




…こちらも、戦国有数の悲劇なのです




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


写真右から2番目のお墓が、駒姫のお墓です




やはり、話に聞くだけではなかなかピンとこないことであっても、


実際のものを見ると、その惨劇がひしひしと伝わってきます






以上、朱堂でした