こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「仙台城跡」の本丸跡編です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


本丸跡は広場になっていました




予想よりずいぶん小さいな…と思いましたが、


よくよく考えてみたら「本丸だけでこれだけの広さ」なんですね


全国2位は伊達じゃない




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


広場にあった、石垣のモデルです


そういえば、よく似たモデルが駿府城にもあったな




コチラは政宗様が築城したときのもの




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、コチラが4代藩主・綱村の時代のときのもの


政宗様の時よりも、直線的です






悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


モデルの近くには「仙台城見聞館」なる資料館もあります


コチラで仙台城の仕組みは詳しく説明されています




というか、東日本武将隊サミットが終わった直後に行ったら


伊達武将隊の漆黒様と鉢合わせたんだよな…


「こんにちは」と挨拶されたんですが、


急すぎてカチーンと固まってしまって何も言えませんでした


ごめんなさい、漆黒様




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「懸造跡(かけづくりあと)」です




ここには、京都の清水寺
の舞台に似た造りの迎賓館があったようです


伊達家が米沢城にいた時からある伝統的な様式らしいです




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「土井晩翠の碑」です




「土井晩翠」は、仙台出身の明治~昭和期の作詞家で、


「荒城の月」を作詞したことで知られています




ウワサによると、ある時間になると、


この碑から「はぁ~るぅ~こぉ~うろぉ~うの~」と


「荒城の月」が流れるらしいです




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「昭忠塔」です




太平洋戦争での戦死者の慰霊塔だと思いますが、


コチラは震災でてっぺんの飾りがほとんど落ちました


震災前の写真見ると、すごくゴージャスなんですが




現在は、完全に立ち入り禁止です






そして、仙台城といえば




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「伊達政宗公騎馬像」


もう仙台の名物となった例のアレです




ちなみに、今の騎馬像は2代目です


初代は戦争中に兵器の材料として徴収されてしまいましたが、


戦後に胸から上の部分だけ奇跡的に見つかり、


今は仙台市博物館で展示されています




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


いや~カッコいい




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


カッコいいですわ政宗様


(しつこい)




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


背後もなかなか…


(いいかげんにしろ)




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


最後に、仙台城から見える仙台市街


ずいぶんなくもりだったのが残念ですが


(この後、すさまじく晴れました




政宗様が築いた仙台


この城から見ると、ちょっと感慨深いものがあります


今は震災で大変ですが、


必ず復興できると信じています






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「仙台城跡」の青葉山登山編です






仙台城は、昔は「千代城」と書き、政宗様が居城とする前からも


国人領主の国分氏の本拠として存在していました


政宗様が仙台に入る時に、江戸城に次ぐ全国2位の広さを持つ城に改修され、


仙台伊達藩62万石の居城として幕末まで存在しました




ちなみに、今一般的に「仙台城跡」といわれている場所は


仙台城の「本丸跡」になります




残りの「西の丸」は「宮城縣護国神社」に、


「二の丸」は「東北大学」に、「三の丸」は「仙台市博物館」になっています




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


仙台城まで行くのに使ったのがこの「るーぷる仙台」というバス


仙台城だけでなく、政宗様の墓所「瑞鳳殿」にまで行っちゃうという


スグレモノです




ですが、震災で仙台城の石垣の一部が崩れてしまい、


車両通行止めになっている関係で、


仙台城のある「青葉山」の麓までしか行ってくれません




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


で、降ろされた場所が「大手門脇櫓」前




戦前までは大手門とともに当時のものが残っていたらしいですけど、


空襲で焼けてしまい、今のものは復元です




でも、こういう白漆喰の建物見ると、


「城に来た!」ってカンジがします




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


大手門脇櫓を過ぎると、青葉山登山開始です


…といっても、本来車道の場所を歩きで登っていくだけですし、


そこまで高い山でもないので、マシですが




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


震災で一番たくさん石垣が崩れた場所辺りが、


「中門跡(なかのもんあと)」です




どうやら7~8年前の大きい地震でもこの辺りの石垣が崩れたらしく、


その時修復するために発掘調査をしたら、


結構いろいろなものが見つかったようです




別名「寅の門」ともいい、


宮城県知事公舎の玄関の門は仙台城の寅の門だといいます


ということは、県知事公舎に「中門」の実物が現存していることになります


気になる




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


曲輪どうしをつなぐ門であった「沢門跡(さわのもんあと)」です




パッと見るとただの山道に見えますが、


今では仙台市博物館への近道になっています




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


灯篭が落っこちたと思われる台座の跡


震災の爪痕は石垣だけではありません




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


「本丸まであと少し」というところで見えてくるのが、


仙台城本丸の石垣




これは当時のもののまま残っており、


大きな地震が起きやすい仙台にあっても


300年以上崩れなかったという逸物です




この立派さと石の大きさが不揃いなところに


歴史を感じます




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、やっと見えてきた本丸への入り口には何故か鳥居


西の丸跡にある「宮城縣護国神社」の鳥居らしいですが、


ここまで出張しなくても…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


本丸前、最後にあるのが「詰ノ門跡(つめのもんあと)」


説明板によると、大手門とほぼ同規模の門だったとか






では、次回は「本丸跡」編をお送りします






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「輪王寺」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


このお寺は、室町時代に伊達家11代当主・持宗が


祖母である9代当主・政宗(いつも言っている政宗様とは別人)の正室の菩提寺として


福島県伊達市に建てられました


伊達家の本拠地の移転に従った結果、現在の位置にあります




「北山五山」のお寺と固まって存在しているので


「北山五山」の1つとして数えられがちですが、


実際には含まれません




というか、入り口からしてすごくイイ雰囲気…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


境内の墓地には、


政宗様の正室・愛姫さんの母(田村清顕の正室・相馬氏)のお墓と


政宗様の8男・竹松丸(母は愛姫、夭折)のお墓があります




…が、このお寺に着いた時、すでに朱堂はかなりの脱水症状でして


もう命の危険まで感じ始めていたくらいだったので、


お墓参りはしませんでした


悔しい…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


本堂までつながる道です




雰囲気がお寺の道じゃない


完全に西洋のガーデンの雰囲気でした




さらに、横道として小さな神社につながる道などがあったんですが


サイドの植木が生い茂りすぎて、


RPGのダンジョンと化していました




いろんな意味でお寺の常識を打ち破ってくる




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


コチラが本堂




このお寺はお庭が立派らしく、


その雰囲気がすでに本堂周辺からも漂っていました




入り口を示す看板がありましたが…


早朝のせいなのか、脱水症状のせいなのか、


見つけられませんでした


また仙台に行ったら、お墓共々リベンジします






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「資福寺」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:宮城県仙台市青葉区北山1丁目13-1)




このお寺は、鎌倉時代に山形県米沢市に建てられました


政宗様の幼少時の師匠として有名な虎哉宗乙(こさいそういつ)が


輝宗公に呼ばれて住職になったお寺としても知られています


この時に、「伊達五山」の観音寺と興福寺を吸収合併したため、


仙台に移ってからは「北山五山」の1つに数えられています




現在は、アジサイがキレイな「紫陽花寺」として、観光地化しています




虎哉さんといえば、大河ドラマ「独眼竜政宗」のイメージが強いです


あのお師匠さんには絶対かなわんよ…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


朱堂が行ったのは8月初旬だというのに、


このアジサイの咲き誇り具合




山門に向かってズラーっと続くアジサイの道…


キレイでした…




というか、ココは季節感の無さをツッコむべきか…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


本堂も、アジサイをはじめとして、


たくさんの緑に囲まれていてなかなか風情でした


散歩するのに、絶好のお寺ですね






以上、朱堂でした

こんにちは朱堂です






今回は、仙台編


「覚範寺」です




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


(住所:宮城県仙台市青葉区北山1丁目12-7)




もともとは、政宗様が父・輝宗公の菩提寺として


山形県米沢市に建てたお寺でした


仙台に移ってからは「北山五山」の1つとなっています




そして、このお寺には政宗様の母親である


輝宗公の正室で最上義光の妹・義姫(お東の方、保春院)のお墓があります




(義姫 … 最上義光の妹で伊達輝宗の正室。


        政宗、小次郎など2男2女の母。


        かなり勝気な女性として有名で、


       小次郎を溺愛するあまり政宗様を毒殺しようとした


       という逸話もある。(真偽は不明))




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…




なかなか趣のある山門です


木造万歳




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


こちらは本堂


山門は木造なのに、本堂はコンクリートという…




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


そして、こちらが義姫様のお墓


思ったよりもちょっと小さかったかな…


でも、北山五山の一角に葬ったのはやっぱり政宗様の愛ですね

晩年は結構仲がよかったようですし




悠々閑々…歴史街道まっしぐら!…


また、その左横には政宗様の3男・宗清の供養塔があります




(伊達宗清 … 政宗の3男。


          母は側室の新造の方もしくは飯坂の局(猫御前)。


          政宗の長男で伊予宇和島藩主・秀宗の同母弟。


          母の実家・飯坂氏の養子となったが、35歳で死去。)




藩主の息子の供養塔なのに、かなりこぢんまりとしていました


正直、周りの殉死者の供養塔との見分けがつかない


本当のお墓が領主だった黒川郡大和町にあるから…かな






以上、朱堂でした