こんにちは朱堂です
今回は、仙台編
「仙台城跡」の青葉山登山編です
仙台城は、昔は「千代城」と書き、政宗様が居城とする前からも
国人領主の国分氏の本拠として存在していました
政宗様が仙台に入る時に、江戸城に次ぐ全国2位の広さを持つ城に改修され、
仙台伊達藩62万石の居城として幕末まで存在しました
ちなみに、今一般的に「仙台城跡」といわれている場所は
仙台城の「本丸跡」になります
残りの「西の丸」は「宮城縣護国神社」に、
「二の丸」は「東北大学」に、「三の丸」は「仙台市博物館」になっています
仙台城まで行くのに使ったのがこの「るーぷる仙台」というバス
仙台城だけでなく、政宗様の墓所「瑞鳳殿」にまで行っちゃうという
スグレモノです
ですが、震災で仙台城の石垣の一部が崩れてしまい、
車両通行止めになっている関係で、
仙台城のある「青葉山」の麓までしか行ってくれません
で、降ろされた場所が「大手門脇櫓」前
戦前までは大手門とともに当時のものが残っていたらしいですけど、
空襲で焼けてしまい、今のものは復元です
でも、こういう白漆喰の建物見ると、
「城に来た!」ってカンジがします
大手門脇櫓を過ぎると、青葉山登山開始です
…といっても、本来車道の場所を歩きで登っていくだけですし、
そこまで高い山でもないので、マシですが
震災で一番たくさん石垣が崩れた場所辺りが、
「中門跡(なかのもんあと)」です
どうやら7~8年前の大きい地震でもこの辺りの石垣が崩れたらしく、
その時修復するために発掘調査をしたら、
結構いろいろなものが見つかったようです
別名「寅の門」ともいい、
宮城県知事公舎の玄関の門は仙台城の寅の門だといいます
ということは、県知事公舎に「中門」の実物が現存していることになります
気になる
曲輪どうしをつなぐ門であった「沢門跡(さわのもんあと)」です
パッと見るとただの山道に見えますが、
今では仙台市博物館への近道になっています
灯篭が落っこちたと思われる台座の跡
震災の爪痕は石垣だけではありません
「本丸まであと少し」というところで見えてくるのが、
仙台城本丸の石垣
これは当時のもののまま残っており、
大きな地震が起きやすい仙台にあっても
300年以上崩れなかったという逸物です
この立派さと石の大きさが不揃いなところに
歴史を感じます
そして、やっと見えてきた本丸への入り口には何故か鳥居
西の丸跡にある「宮城縣護国神社」の鳥居らしいですが、
ここまで出張しなくても…
本丸前、最後にあるのが「詰ノ門跡(つめのもんあと)」
説明板によると、大手門とほぼ同規模の門だったとか
では、次回は「本丸跡」編をお送りします
以上、朱堂でした