《Zulfigar / ズルフィカール?》

《ズルフィカール》とは、イスラム指導者の《アリー・イブン・アビー・ターリブ》
(600年? - 661年)が所持した古代の剣で、イスラム圏では伝説の名剣として伝えられているそうです!




 【《アリー・イブン・アビー・ターリブ》とは、預言者ムハンマドの父方の従弟で、母もムハンマドの父の従姉妹です!

後にムハンマドの養子となり、ムハンマドの娘ファーティマを娶ったのだそうです!

ムハンマドがイスラム教の布教を開始したとき、最初に入信した人々のひとりで、直情の人で人望厚く、武勇に優れていたと言われています!

早くからムハンマドの後継者と見做され、第3代正統カリフのウスマーンが暗殺された後、第4代カリフとなりましたが、対抗するムアーウィヤとの戦いに追われ、661年にハワーリジュ派によって暗殺される事になりました❗

ムハンマドは、ウフドの戦いで、アリーにズルフィクァを与えたのだそうです!】

何故なら、ムハンマドは戦場でのアリーのパワーと強さを賞賛し、大切な武器を彼に託したかったのだそうです!

ズルフィカールは、イスラムの信仰のシンボルであり、何百万人もの人々によって賞賛されています!

 その形状には諸説御座いますが、イスラーム教圏で一般的なイメージとしては先端が二股に分かれている姿が多く、イスラム教圏では剣などに「アリーに勝る英雄なく、ズルフィカールに勝る剣なし」と刻まれることが多々あるそうです❗

のちにアリーの支持派はシーア派となり、アリーはシーア派によって初代イマームとしてムハンマドに勝るとも劣らない尊崇を受けることとなったそうです!

アリーとファーティマの間の息子ハサンとフサインはそれぞれ第2代、第3代のイマームとされていて、彼らの子孫はファーティマを通じて預言者の血を引くことから、スンナ派にとってもサイイドとして尊崇されているそうです!

【サイイドとは、「主人」「重鎮」という意味があり、部族集団の重要人物、主君などに対して使用されるのだそうです!

かつては奴隷やマワーリーが主人に、妻が夫に対して「サイイド」という尊称を使用していたそうです!】


アリーの墓廟はイラクのナジャフ(イラク中南部の都市)にあり、カルバラーとともにシーア派の重要な聖地となっているのだそうです❗



 《アリーの墓廟》


 《イラクのナジャフ》