クレスト榛東校の塾ブログ 群馬県榛東村・箕郷町・金古町・吉岡町の小中学生対象の学習塾

クレスト榛東校の塾ブログ 群馬県榛東村・箕郷町・金古町・吉岡町の小中学生対象の学習塾

榛東中・箕郷中・群馬中央中・吉岡中の4つの校区を対象とした,
群馬県北群馬郡榛東村にある個人塾です。
親身できめ細かい指導と,大手学習塾の3分の2以下の良心的な授業料で,
塾生の半数以上が毎年,難関校に合格しています。

肺がんのステージ4を宣告されて,23年の歳月が過ぎました。

 

このブログでは初めての告白となりますが,私は32歳の春に主治医から余命半年から2年を宣告されました。当時は死に対する恐怖よりも,2歳だった息子に父親としての記憶を残せずにこの世を去るかもしれないという無念さの方が心の大部分を占めていました。肺がん発覚時には既に遠隔転移していたため外科手術や放射線治療はできず,延命治療として唯一残された抗がん剤治療を受けるため,西群馬病院で5か月間の入院生活を送りました。

 

32歳の春に見た桜の花は,とても切なくて,あと何回この花を見ることができるのだろうと,ぼんやりと見つめていたように思います。そして,花見を楽しむ家族連れの人たちや若い人たちを遠巻きに眺めながら,あたりまえに広がる日常の生活から,何だか自分だけ取り残されたかのような孤独を感じていました。

 

仕事に充実感を覚える働き盛りの年代で,将来の具体的な展望も持てず,「生きる」ことが最大の目標となる人生をこれからどう過ごせばよいのだろうと思い悩んだ時もたくさんあります。

 

職場に復帰しても,再発の不安は常に頭から離れることはなく,体調がすぐれず思うように仕事ができないときや,周囲の何気ない一言が必要以上に胸に刺さったときも幾度となく経験しました。

 

闘病と言うよりも,自分の不安との戦いと言った方が,私にはしっくりきます。自分の不安をかき消すかのように,その後はひたすら仕事に没頭してきました。自分の病気を言い訳にはしたくない意地もありました。幸いなことに,5か月間の入院治療から7年間,再発することなく仕事に専念でき,管理職として結果を残すこともできました。

 

残りの人生に後悔はしたくないと考え,周りの反対を押し切り,40歳を目前にして,会社を退職し,独立開業の道を選びました。それが今から16年前のクレスト榛東校の始まりです。肺がんで余命宣告を受け,経過観察中の身にありながら,家族にはまたもや多大なる心配と迷惑をかけてしまいました。

 

開業後2年間は貯金を切り崩す毎日で,ただ事業を軌道に乗せることだけを考え,必死に働き,自分の病気を振り返る余裕も正直ありませんでした。そんな苦しい開業2年目が終わる頃,今度はまさかの精巣腫瘍になってしまいました。41歳にして,肺がんに次ぎ2度目のがん体験です。まだ仕事も軌道に乗らず,経済的に苦しい中,本当に自分の運の悪さを呪いたくなりました。

 

しかし,肺がんでどん底を味わい,手術も放射線治療もできない最後尾からのスタートを余儀なくされた自分にしてみれば,精巣腫瘍(非セミノーマ)は「手術できるがん」であり,その分,冷静に対処できました。ただし,有用な腫瘍マーカーがかなり高い数値を示し,右高位精巣摘出手術後は入院4か月程度の抗がん剤治療を,執刀医から強く勧められました。

 

会社員の立場だったら,抗がん剤治療を選択していたかもしれませんが,開業間もない自営業の自分にとっては,長期の入院治療となれば,その期間まったくの無収入で廃業の危機に立たされてしまうため,群大病院で外科手術後すぐに退院の道を選びました。予定より大分短い1週間の入院期間で,退院したその日の夜にふらふらになりながら塾の授業をしたのをよく覚えています。結果的にその後,腫瘍マーカーは正常値に戻り,現在に至るまで再発なく,肺がんに次ぎ2度目の命拾いとなりました。

 

数多くあるがんの中でも肺がんは今でも完治の難しいがんとされており,ステージ4の平均余命は1年前後,5年生存率に関しては5%以下です。私はたまたま運が良かっただけで,「なぜがんになったのか」と同様に「なぜ今生きていられるのか」との問いに対して,医学的な明確な答えは見つかりません。あれから23年,自分が望むことも望まないことも含め,いろいろなことを体験してきました。大切な人との別れも少なくありませんでした。予期せぬ不運に見舞われるとともに,予期せぬ幸運にも救われてきた自分のこれまでの人生だと思います。

 

クレスト開校当初は苦難の連続で何度も心が折れそうになりました。しかし,どんな状況でもあきらめることなく最大限の努力を続けました。その甲斐あって年を重ねるごとに塾の評価も高まり口コミで多くの真面目な塾生が集まるようになりました。塾5年目の中3クラスは初めて定員の20名となった年でしたが,この年の中3生は3年間で退塾した生徒は1人もいませんでした。

 

クレスト開校からの軌跡は,2020年10月にこちらのブログに詳しく書いています。すべて脚色も嘘もまったくない開業当時のリアルな記録です。

独立開業して成功することの難しさ①

独立開業して成功することの難しさ②

独立開業して成功することの難しさ③

独立開業して成功することの難しさ④

独立開業して成功することの難しさ⑤

 

クレスト榛東校の開校から7年間は塾生のほとんどが地元中学の生徒でしたが,8年目から他中学からも塾生が増え始め,10年目以降は地元中学と他中学の塾生は半々位の割合になりました。塾の駐輪場に榛東中生の自転車が数多く止まっていた以前の光景から,ここ数年間は塾生のほとんどが車での送迎となり,駐輪場は閑散とした光景に変わりました。外部から見ると「この塾は生徒が来ているのかな?」と思われたかもしれませんが,開校5年目からほぼ塾生数は50人前後で新年度を迎え,年末で60人前後になるという推移をくり返し,私1人だけの個人塾としてはおおむね順調な塾経営と言えました。特に2019年度以降から今年度に至るまでは,塾生募集で苦労した記憶はまったくなく,他塾が様々な営業活動に奔走する中,教務だけにひたすら集中できた5年間でした。

 

しかしそんな状況が年齢的にも外部環境的にも今後10年間も続けられる訳はなく,かなり前から塾に代わる次なる準備を模索し実践してきました。そのためクレストでの16年間の半分以上は塾業務と将来のための次の準備という2足のわらじでの生活を送ってきました。平日は,朝9時半頃に起床して午後3時までは塾とは異なる副業のための準備と研鑽,それが終わると塾業務に集中し,夕方から夜までの授業を終えた後にだいたい深夜3時まで塾でプリント作成などのデスクワークをやってから帰宅し4時半頃に就寝という毎日を,ほぼ1年の7割位ずっと続けてきました。塾の近所からは毎日深夜まで一体何をやっているのかと思われていたことでしょう。そして土日は塾業務にほぼ1日費やし,2年前位まではGW,お盆休み,年末年始を除けば,ほぼ月休1日という,ライフワークバランスという言葉からは遠くかけ離れた生活を何年も過ごしてきました。ここ数年間は正直,体力的にも精神的にもしんどいなと感じる機会が多かったです。

 

自分にとっての大きな転機は2020年の8月でした。その頃やっと長年思い描いていた新たな目標へと大きく動き出し,近い将来塾をやめることを決意しました。当時の気持ちを書いたブログがこちらです。

夢と目標

 

副業の内容を具体的に説明するのは非常に難しいため詳細は書けませんが,これからはこれ1本に絞って新たなスタートを踏み出すことになります。「塾をやめて生活は大丈夫なのか?」と心配なさる方もいるかと思うので改めて書いておきますが,実はここ4年間は塾業も順調でしたが,副業の方はその塾業よりさらに順調でした。とは言っても私のメインは塾講師ですから,全労力の8割は塾に傾注していましたし,とりわけ今年度は塾講師としてのラストイヤーということもあり,ほぼ100%全身全霊で塾業務と向き合ってきました。

 

個人で事業を始めても成功するのはほんの一握りです。最初の数年間はうまく行っても,それを長年継続することは外部環境の変化もあり想像以上に大変です。だから大多数の人が安定的な職業に就こうと考える訳です。その点では自分なんて本当に浮世離れした人生だなと感じますが,30年間も塾講師という特殊な仕事を続けられて家族を養うことができ,そして,たくさんの生徒と出会い,受験勉強を通じてたくさんの思い出をこれまで共有できたことを非常に幸せに感じています。

 

経営不振でやめざるをえなくなって塾をやめる人が大半の中,自分の場合は自らの意志で2年前から計画的に募集学年を減らし,今年度をもって塾をやめることを一昨年の冬にこのブログでもお知らせしました。

来年度は中3クラスのみ開講します

昨年度は中3生と中2生のみの指導,そして今年度は中3生のみの指導に専念するというかたちで,塾としてはこれ以上ない最高の終わり方ができたので,自分としては完全燃焼できた満足感と重責から解放された安堵感でいっぱいです。

 

 

これまで16年間,クレスト榛東校で頑張ってくれたすべての塾生のみんな。そして,これまで16年間,クレスト榛東校を支えていただいたすべての保護者の皆様。心から感謝申し上げます。

 

16年間,本当にありがとうございました。

 

 

追伸

今は早寝早起きの健康的な毎日を送り,先日は早朝7時に近くの公園を1時間半ほど散歩しました。

とても気持ちの良い快適な朝でした。

 

 

クレスト榛東校

石上