2011年3月11日。
自分としても満足のいく入試結果となり,3年間耐えに耐えぬいてようやくこれまでの苦労が実を結ぶと期待した塾4年目の春,東日本大震災が起きました。
ニュースで流れる,目を覆いたくなるような被災地の惨状。
福島第一原子力発電所での炉心溶融(メルトダウン)をめぐる緊迫した場面。
計画停電。物資の不足。ガソリンスタンドは連日長蛇の列でした。
あの年の春は,日本国民のだれもが忘れられない,そして忘れてはいけない春となりました。
あの頃は日本全体が非常事態で,とてもこれから新しく塾に入ろうなんて雰囲気ではなかったですよね。案の定,春先の募集は鳴かず飛ばずです。チラシを入れてもまったく無反応でした。電話が壊れたのかなと思うくらいの閑散状況です(笑)。
飛躍を期待した4年目の春は,飛躍どころか塾開校以来最少の塾生数15名のスタートとなりました。日々の生活すら危ういレベルです。
3年間あれだけ必死にがんばって入試でも結果を残したのにこのザマか。もう榛東村で塾なんて必要とされていないんだな。さすがにあの頃は心が折れそうでした。
でもここで負ける訳にはいかなかったのです。32歳で大病を患って,余命宣告を受けてまでも塾講師として必死にこれまで働いてきました。その大病を克服し,志を持って独立開業した塾です。自分だけでなく妻や幼い子供もいました。自分の気持ちを奮い立たせて,やれる限りのことをやりました。
塾関係者も読んでいると思うので,詳しくは企業秘密で書けませんが,他の塾では絶対真似できない地道な営業努力も懸命に続けました。もちろん塾での指導も常に全力で臨み,期待に応える結果を出し続けました。この年の中3塾生17名の2学期・期末テストでは5科目平均点・450点を達成しました。その年以降,破ることのできないクレスト中3塾生の最高平均点です。
がむしゃらに働き続け,気付けばクレスト4年目の2011年度は,春先の不振を吹き飛ばす奇跡の1年となりました。4月に15名だった塾生が,最大で69名となったのです。
塾開校以来,最低人数の15名からスタートして,経済的に崖っぷちの状況の中,7月以降,怒涛の入塾ラッシュとなり,年度末までになんと54名が入塾しました。改めてすごい1年だったと思います。三十年位前の子供がたくさんいて,学習塾が圧倒的に少なかった時代だったらありえる話でしょうが,現在の供給過多の厳しい塾業界で,こんな田舎の個人塾としては信じ難い話です。1年間でこんなに入塾対応したのかなと今ふり返っても我ながら驚きですが,これだけの塾生が入塾して,この年の退塾者は0名でした。
今から9年前の話で,決して嘘偽りのない事実です。
クレスト開校から13年間,多くの出会いとたくさんの方の支えがあって,現在のクレストがあり,今の私があります。
自信と希望に胸ふくらませてクレストを開校したものの,開校当初はまったく思い通りにならず,将来の明るい展望も見えないまま,それでも自分を信じて,あきらめずにくさらずに,やれる限りの努力と工夫を続けてきました。
今ではやる気にあふれる多くの真面目な塾生に通っていただける塾となりました。
塾名のクレスト榛東校。
最初は複数の教室を展開するつもりだったのに,13年目の今も,榛東のみの教室です。
だったら榛東校なんて塾名につけなくても良かったですよね。
しかも講師は私一人だけの個人塾です。
今となってはそれで良かったと思っています。
苦難の時期を経験せずに最初から上手くいっていたら,今の指導方法にはたどり着いていません。
不遇の期間が長かったからこそ,あらゆる知恵を絞って,試行錯誤のもと,現在の指導方法にたどり着きました。
一人だけの個人塾だからこそ,マンパワーを最大限に発揮できるよう,無駄な労力やコストを極力排除した足腰の強い塾の運営スタイルができました。
様々な失敗や悔しい思いをしてきたからこそ,色々と学ぶことができ,またそれまで見えなかったものに気付くことができました。
塾生がまったく集まらない経験があったからこそ,塾生一人ひとりに対する愛情や熱量はさらに高まりました。
経済的に苦しかったからこそ,保護者の方からいただく授業料の尊さに心から感謝することができました。
たかが個人塾。されど個人塾。
さて,明日の授業準備でも始めますか。
▼よろしければ,下の「合格ハチマキの女の子」をポチッと押して,応援よろしくお願いします。
▼箕郷町・金古町・吉岡町・榛東村にお住まいの方で,塾をお探しの方はぜひご覧下さい。