人間というものは欲望というものがあります。
特に最近の世の中は欲望を増幅させそれから利益を得るものが多い。
昔と今で特に違うのは
どこか「これってなくてもいいんじゃないのかな」というものが多いと感じませんか。
利便性にとらわれて実はその裏で何かを消費し失っているのではないのか?
という感覚に陥ります。
物が売れ利益になるという事はそれぞれの生活がそこにはあります。
その人の生活もあるので無駄だからやめてという話にもいきません。
消費する側。
楽がしたい、儲けたい、格好をつけたい、綺麗になりたい、気持ちよくなりたい
全てしっかりとした欲望です。
欲望は否定できません。
欲望というものは残念ながら生きる活力にもなるのですから。
ほどほどにといった所でしょうか。
かくいう自分も財布を買いました。
20万しました。
はっきりいって無駄です。
見栄を張りたいという欲望だけで買いました。
はっきりいって自分に負けたと思いましたが、
それはそれでしょうがないと諦めました。
それは私自身がそこからまた明日から頑張ろうという気持ちになったからです。
小学生の時は神童とよばれ
中学生の時には人の世が嫌になり死にたくなり
高校、大学と堕落し
社会に出て感じたことがあります。
この世で生きていく事が嫌になった時に
あまりに自分がこの世に興味が無くなっていた事に気づきました。
自然が大好きだった頃
この人間社会という世の中が嫌でした。
死にたくてたまらない気持ちになっていました。
そこで欲望のままに走りました。
好きな事を好きなだけしました。
悪さも少しやりました。後悔しています。
心のそこから反省しています。
そうやって学んだ事があります。
この世で生きるためにはある程度の欲も必要なんだなと。
自分は人間なんだなと思いました。
自分みたいなタイプは絶対に社会のふるいから落とされる人種だったので
思いっきり人間としての欲を出して走ってみて立ち止まってみると
以外に黒くは染まりませんでした。
でもやはりこの世は難しいなと思います。
今でも思います。
いい意味で息を抜いて
一生懸命頑張ろうという気持ち
ここのメリハリがないと本当にしんどいです。
仕事に成功してお金持ちに憧れる。
企業して大きく見える隣人を羨む。
私は何より
活力に溢れた彼らの姿が欲しいなと思います。
凡人は凡人なりに。
それでも少しの欲や野望は持つべきなのかなと。
そうすれば人生楽しいかもと。
夢を描く事も立派な欲じゃないかと
あの日の自分に言ってやりたいです。
昔からずっと考え続けていることがある。
死んだらどうなるのかという事だ。
「身体」
「魂」
「心」
に分けるのだったら
「身体」はこちらで処分されるとして
「魂」と「心」はどこにいくのだろう。
天国地獄があると信じて
その先に幸せや苦しみがあるのなら
「魂」に「心」が乗っていくのだろうか。
「魂」と「心」は全くの別物なのだろうか。
分裂してしまうのなら「魂」があの世だとして「心」どこへいくのだろうか。
たまに聞く「前世の記憶」を持つ人や「あの世を見た」と言う人がいて
それが事実だとするのなら
魂に心は存在しそこに記憶も残されているという事なのか。
本当に不思議でたまらない。
神様というものがいたのなら
僕たちはその存在からこの人間という存在で今まで進化して歩いてきた中で
ただひたすらに遠のいている存在なのではないのかと思う。
また、「死」ぬという事を疎かにしているような気がしてならない。
「生」を何かしらの形で全うして「死」する人間に
何らかの形での恩恵があるような気もする。
恩恵といってもここで恩恵を信じるのならそこには神がいて
恩恵は神からの慈悲と愛という事になるだろう。
そもそも人間や動植物の生命の仕組みというものに疑問を抱かない人間が不思議でならない。
どうして繁殖により産まれたものが、特に人間なんて
何もない血と肉の塊の「身体」に「魂」と「心」をどこから与えられてくるのだろうかと。
そういう疑問は持たないのだろうかと。
持つだけ無駄かも知れないけれど
持つ事が大事だと私は考えている。
全て自分自身の経験や出来事が「脳」によるものだとするのなら
それは物質世における事象だろう。
前者に述べた「前世に記憶」や「あの世へ行った」という話。
後者が脳によるものだとしたら
前者は脳によるものではないようにみえる。
じゃぁ前者のそこには何があるのか。
やらせなのか?虚実なのか?愚かな嘘なのか?
宗教がかった輪廻転生信者による愚者の言葉なのか?
その可能性は限りなく低いのではなかろうか?
勿論それは本人にしか分からない事であるが
本人は本人として在する以前に何を任された、もしくは許しを得たものではなかろうか。
「時間」は存在する。
目に見えないものだとしても私たちはそれにしたがって行動する。
「時間」を見えるようにするために「時計」を作った。
「魂」や「心」は物質では見ることができない。
そこには私たちの「生」と「死」の間の壁があるからに他ならない。
ただ壁があるだけで同じように存在しているような気がしてならないのだ。
この世界と並行して存在しており
そこには「時間」という概念はないのかもしれない。
時間がなければ生も死もそこにはなかろう。
その世界がもしあったとしてそこに存在するものがあったならそこが神の場所なのだろう。
皆気づいていない事は
この地球そのものが記憶媒体であり
この宇宙自体が一つのものである事だ。
人間の力で広がる空にデータを保存できる日がくる。
滅びない限りいつの日か必ず訪れる。
それが叶わない理由は考えれば分かるだろう。
私は宗教は嫌いだ。
神にそれぞれ好き好きに名前をつけて
崇めあって
争い
罵り
殺し合って
そんなもの名前を付けられてそれぞれの崇める神全て悪魔と変わりないではないか。
真に信じなければない神は心の内側にいる。
名前なぞつけなくても構わない。
目の前にある全てに対して感謝してやれば
内にある扉も開くだろう。
それができないのが今の世だ。
皆死を曖昧にされ
隣の火事を見るような目で人の死を見る。
人の死は自分に訪れる死と何ら変わりはない。
その死を自分に置き換える事のできない人間に
誰が手を差し伸べようか。
そんな都合の良い神なんて存在しない。
信じるのならそれは悪魔だと思った方がいい。
この世は人の世。
喜怒哀楽溢れ悲しくも苦しい人の世。
人の世?
人の世なんて言っている限り
一生人の世で生き続けるだろう。
この世の生と死に含まれる意味を考えなければならない。
人の世である限りこの世の争いはなくならない。
世界平和なんて誰でも言える。
誰でも言えるのに全ての人類がそれを口を揃えて言える日は来ない。
私たちは人間なのだから。
生と死の仕組みを
解明できたとして
それを公表したとしても
脳で理解した所では何も変わりはしない。
一番深くて一番近い所に
わたしたちが知らなければならない生と死の本当の意味があるのだから。
死んだらどうなるのかという事だ。
「身体」
「魂」
「心」
に分けるのだったら
「身体」はこちらで処分されるとして
「魂」と「心」はどこにいくのだろう。
天国地獄があると信じて
その先に幸せや苦しみがあるのなら
「魂」に「心」が乗っていくのだろうか。
「魂」と「心」は全くの別物なのだろうか。
分裂してしまうのなら「魂」があの世だとして「心」どこへいくのだろうか。
たまに聞く「前世の記憶」を持つ人や「あの世を見た」と言う人がいて
それが事実だとするのなら
魂に心は存在しそこに記憶も残されているという事なのか。
本当に不思議でたまらない。
神様というものがいたのなら
僕たちはその存在からこの人間という存在で今まで進化して歩いてきた中で
ただひたすらに遠のいている存在なのではないのかと思う。
また、「死」ぬという事を疎かにしているような気がしてならない。
「生」を何かしらの形で全うして「死」する人間に
何らかの形での恩恵があるような気もする。
恩恵といってもここで恩恵を信じるのならそこには神がいて
恩恵は神からの慈悲と愛という事になるだろう。
そもそも人間や動植物の生命の仕組みというものに疑問を抱かない人間が不思議でならない。
どうして繁殖により産まれたものが、特に人間なんて
何もない血と肉の塊の「身体」に「魂」と「心」をどこから与えられてくるのだろうかと。
そういう疑問は持たないのだろうかと。
持つだけ無駄かも知れないけれど
持つ事が大事だと私は考えている。
全て自分自身の経験や出来事が「脳」によるものだとするのなら
それは物質世における事象だろう。
前者に述べた「前世に記憶」や「あの世へ行った」という話。
後者が脳によるものだとしたら
前者は脳によるものではないようにみえる。
じゃぁ前者のそこには何があるのか。
やらせなのか?虚実なのか?愚かな嘘なのか?
宗教がかった輪廻転生信者による愚者の言葉なのか?
その可能性は限りなく低いのではなかろうか?
勿論それは本人にしか分からない事であるが
本人は本人として在する以前に何を任された、もしくは許しを得たものではなかろうか。
「時間」は存在する。
目に見えないものだとしても私たちはそれにしたがって行動する。
「時間」を見えるようにするために「時計」を作った。
「魂」や「心」は物質では見ることができない。
そこには私たちの「生」と「死」の間の壁があるからに他ならない。
ただ壁があるだけで同じように存在しているような気がしてならないのだ。
この世界と並行して存在しており
そこには「時間」という概念はないのかもしれない。
時間がなければ生も死もそこにはなかろう。
その世界がもしあったとしてそこに存在するものがあったならそこが神の場所なのだろう。
皆気づいていない事は
この地球そのものが記憶媒体であり
この宇宙自体が一つのものである事だ。
人間の力で広がる空にデータを保存できる日がくる。
滅びない限りいつの日か必ず訪れる。
それが叶わない理由は考えれば分かるだろう。
私は宗教は嫌いだ。
神にそれぞれ好き好きに名前をつけて
崇めあって
争い
罵り
殺し合って
そんなもの名前を付けられてそれぞれの崇める神全て悪魔と変わりないではないか。
真に信じなければない神は心の内側にいる。
名前なぞつけなくても構わない。
目の前にある全てに対して感謝してやれば
内にある扉も開くだろう。
それができないのが今の世だ。
皆死を曖昧にされ
隣の火事を見るような目で人の死を見る。
人の死は自分に訪れる死と何ら変わりはない。
その死を自分に置き換える事のできない人間に
誰が手を差し伸べようか。
そんな都合の良い神なんて存在しない。
信じるのならそれは悪魔だと思った方がいい。
この世は人の世。
喜怒哀楽溢れ悲しくも苦しい人の世。
人の世?
人の世なんて言っている限り
一生人の世で生き続けるだろう。
この世の生と死に含まれる意味を考えなければならない。
人の世である限りこの世の争いはなくならない。
世界平和なんて誰でも言える。
誰でも言えるのに全ての人類がそれを口を揃えて言える日は来ない。
私たちは人間なのだから。
生と死の仕組みを
解明できたとして
それを公表したとしても
脳で理解した所では何も変わりはしない。
一番深くて一番近い所に
わたしたちが知らなければならない生と死の本当の意味があるのだから。
情報は誰しもが簡単に手に入れられまたあらゆる手段で入手できるようになりました。
情報というものは主体の部分からみると
【利益】
でありそこには
【権力】
が存在します。
情報が溢れすぎて事実無根のものも溢れておりそれにだまされないように、
という事をよく聞きますが正にその通りです。
情報というものは容易く他社を操作でき
【戦を勝するものは情報を勝す】
という言葉があります。
情報の使い道で一番利益が動く時は
【嘘をつく】時です。
事実無根の事を事実として流す事よりも
事実を事実無根の事として流す、または流さないようにする事に利益が働きます。
特に戦争をおいては相手にどう勘違いさせるかの【嘘】が一番の要です。
そこからどう【事実】を探り合うのかが戦争です。
マスメディアにおいてもそうです。
インターネット上の情報とTV雑誌等の媒体は内容があまりにもかけ離れてしまっています。
それをごっちゃにしてしまって余計にわけが分からなくなっているのが現状です。
ただしTV雑誌等の情報はインターネット上の情報には必ず載っています。
インターネット上での情報はTV雑誌等ではないものが多いという事実。
この矛盾が謎なのです。
マスメディアもインターネット上の情報も見る事でしょう。
裏がとれないからどうする事もできないのでしょうか?
裏をとる事ができない事情があるのでしょうか?
裏をとる事ができればビッグニュースな事も多々あるでしょう。
特に政治や芸能、宗教がらみのものは特にそうです。
自分自身体験した事があります。
私娯楽業界の人間でした。
ギャンブルもいささかながらやっていました。
その中で、パチンコ、パチスロにおける
【遠隔操作】
と言葉があります。
これは負ける人間の負け惜しみから生まれた言葉です。
特に最近の若年層が使っているのなら尚更です。
実際に【遠隔操作】というものはこちら側から見るとあまりにもリスクが高く
実行に移すのは至難の業です。
何よりユーザーが認知しなければならないのは
そんな事はしなくても十分な【利益】は確保できている事
さらには
パチンコ店が潰れていく中で残っている大手は
すべて在日の方が【代表】を務めています。
ホール店内の表向きはあちらの匂いはしませんが
事務所内には未だ
あちらの代表の写真が飾られているホールもありました。
あちらを嫌いながらあちらの企業のお世話になっている方々は
ガタガタと文句を言うのなら辞めればよろしいし、
ガタガタ文句を言う人ほど辞められない人が多いでしょう?
今述べた中で正直に言うと
【遠隔操作は9.9割は存在しない】
【大手はあちらの方が代表を務めている所がほとんど】
という所です。
上の二つはネットに流れている情報の中での大きな嘘と真実です。
あくまで例にあげたので参考程度に。
あちらの方も沢山接してきましたが悪い人はいませんでした。
その【利益】があちら側へ横流しされている
という事の真贋は確かめようが有りませんでしたがね。
とまぁその事実の裏をとり身で、肌で感じなければわからない事がほとんどです。
手で文字叩いて目で見てそれに手を叩いて返事をするだけでは知ったかぶりと同じです。
その知ったかぶりをどれだけ産むかが情報を作る側の【利益】であり【力】なのです。
よく考えて物事を判断しないと
駄目な人間になりますから。
くれぐれもご用心を。
情報というものは主体の部分からみると
【利益】
でありそこには
【権力】
が存在します。
情報が溢れすぎて事実無根のものも溢れておりそれにだまされないように、
という事をよく聞きますが正にその通りです。
情報というものは容易く他社を操作でき
【戦を勝するものは情報を勝す】
という言葉があります。
情報の使い道で一番利益が動く時は
【嘘をつく】時です。
事実無根の事を事実として流す事よりも
事実を事実無根の事として流す、または流さないようにする事に利益が働きます。
特に戦争をおいては相手にどう勘違いさせるかの【嘘】が一番の要です。
そこからどう【事実】を探り合うのかが戦争です。
マスメディアにおいてもそうです。
インターネット上の情報とTV雑誌等の媒体は内容があまりにもかけ離れてしまっています。
それをごっちゃにしてしまって余計にわけが分からなくなっているのが現状です。
ただしTV雑誌等の情報はインターネット上の情報には必ず載っています。
インターネット上での情報はTV雑誌等ではないものが多いという事実。
この矛盾が謎なのです。
マスメディアもインターネット上の情報も見る事でしょう。
裏がとれないからどうする事もできないのでしょうか?
裏をとる事ができない事情があるのでしょうか?
裏をとる事ができればビッグニュースな事も多々あるでしょう。
特に政治や芸能、宗教がらみのものは特にそうです。
自分自身体験した事があります。
私娯楽業界の人間でした。
ギャンブルもいささかながらやっていました。
その中で、パチンコ、パチスロにおける
【遠隔操作】
と言葉があります。
これは負ける人間の負け惜しみから生まれた言葉です。
特に最近の若年層が使っているのなら尚更です。
実際に【遠隔操作】というものはこちら側から見るとあまりにもリスクが高く
実行に移すのは至難の業です。
何よりユーザーが認知しなければならないのは
そんな事はしなくても十分な【利益】は確保できている事
さらには
パチンコ店が潰れていく中で残っている大手は
すべて在日の方が【代表】を務めています。
ホール店内の表向きはあちらの匂いはしませんが
事務所内には未だ
あちらの代表の写真が飾られているホールもありました。
あちらを嫌いながらあちらの企業のお世話になっている方々は
ガタガタと文句を言うのなら辞めればよろしいし、
ガタガタ文句を言う人ほど辞められない人が多いでしょう?
今述べた中で正直に言うと
【遠隔操作は9.9割は存在しない】
【大手はあちらの方が代表を務めている所がほとんど】
という所です。
上の二つはネットに流れている情報の中での大きな嘘と真実です。
あくまで例にあげたので参考程度に。
あちらの方も沢山接してきましたが悪い人はいませんでした。
その【利益】があちら側へ横流しされている
という事の真贋は確かめようが有りませんでしたがね。
とまぁその事実の裏をとり身で、肌で感じなければわからない事がほとんどです。
手で文字叩いて目で見てそれに手を叩いて返事をするだけでは知ったかぶりと同じです。
その知ったかぶりをどれだけ産むかが情報を作る側の【利益】であり【力】なのです。
よく考えて物事を判断しないと
駄目な人間になりますから。
くれぐれもご用心を。