未知と心理の社 -2ページ目

未知と心理の社

時間とは残酷なものです。

割とアニメや漫画は好きな方でした。
今ではほとんど見る事がなくなりましたけどね。

まぁ色々とこういった分野に関しては感受性という言葉で締めくくられて
個人の感じ方で面白さというものが違うという終わりになりますよね。

それは間違いないです。

他の人が読んで自分も面白い。
自分が面白いものは他人も面白い。

そんな事あるわけない。

音楽や書籍等もそうですが芸術は千差万別の受け取り方ができ、
評価する側も幾千通り。

同じ考えになるわけない。

とここで思うのは

よく泣ける漫画・アニメというものが最近まで流行ってましたが、

感動の良作

と呼べるものほど人が死にます。
最近のものは人が死ぬ漫画やアニメが本当に多い。

ここで結構色々書きたい事もありますがまた今度に。



キャラクターが死んで泣ける作品になる。

勿論良い作品に間違いはないのかもしれません。

この作品は良いという評価が多いのであれば良いものでしょう。

ただしこれは作者、製作者側からすると十分に考えられる評価なのです。

感情移入できる人間を泣かす一番の方法は

キャラクターを殺す事です。

これだけで泣かせる可能性は十分に出てきます。



ここからは自論で申し訳ないのですが

漫画で一番難しいのは




キャラクターを殺さずに泣かせる作品を創作する事だと思います。





特に目の肥えた読者なら尚更。

作者、製作者側はそこまで考えずに作りたいものを創作しているだけかもしれません。

そこに泣ける作品が色々と生まれてくるのだとは思います。

ただ考えてみて

読者を感動して泣かせる作品を作ろうと思った時に

なかなかこの手段ってないと思います。

手っ取り早いのはキャラクターを殺すことなのですけど

じゃあその次にとなった時に思い浮かぶものがない。

勿論殺して後から復活というのも無しです。


作者、製作者側も泣かそうと思って作品を創作しているわけではないので

そこに涙が生まれれば感無量だと思います。

これは創作者側も御の字だと思います。



後から価値や評価はついてくる。

これが芸術です。

これはただふと思っただけです。








キャラクターを殺さずに泣ける作品を意図的に作る事ができる作り手がいたら

天才なのだろうなとふと思いました。







霊は存在するのか?

これについての解答は未だにありません。

霊自体に聞ければいいんですけどね。


霊能力者というのは些か胡散臭い。
そう思いますよね。

霊能力者っていう存在は表に出れば出るほど胡散臭くなります。
それぞれの地方にいって霊能力者と呼ばれる人がいれば会いに行ってみてください。
それだけで不思議な事に

あれ、本物っているのかな?

って思うかもしれません。

これは実際に自分自身が本人を目の前にしてみたからです。
話に聞いたり媒体で見たりというだけでは胡散臭さしか感じなかったのに
実際に目の前にすると

あれ、あるのかな?

と感じたりするかもしれません。
ここでは肯定も否定もとりあえずしません。




霊っていうのは

「置き去りにしてきた念」

「置き去りにしてきた自分自身」

「まだそこにいる自分自身」

だと思います。



生霊というのは生き念であり自分の半身をそこに置いてくる行為です。
執着、後悔、失念の思いの念から生まれるものです。

地縛霊も同じです。強い念を持ち続けている体です。
上と同じです。

普通の霊というのもおかしな言い方ですがそれは向こうの意思で念を投射する行為です。
以外に人間みたいな存在です。


よく虫の知らせや亡くなった身内が現れて忠告しにきた
という話もありますが

これは残してきたその強い念から産まれた半身

もしくは向こうの意思で向こうからこっちにきた存在

なのかもしれません。




が、後者の場合

向こうの意志で本体、もしくは念で半身を送り忠告できるのだとしたら

記憶はまだ本体にはあるという事なのでしょうか?


勿論身体は燃やされ灰と骨になり心臓も脳もありません。

しかし記憶があるとすればそれは魂に記憶と心が宿るという事の裏返しなのかもしれません。


「成仏」とは「仏と成る」という事です。

勘違いしないで欲しいのは

「天国に行く」という事ではないという事です。

それなら「昇天」という言葉になります。


天国というものはないのかもしれませんが

「死後の世界」というものは何かしらの形であるのかもしれません。

「死後の世界」と文字で見るとあまりいい気はしませんが

「死んだ後の世界」という事は

「もう一度別の世界に行く」という考えで解釈しておけば何てことはないかと思います。

人間はここで差別化を図りたい。

悪いやつと良いやつが同じ世界にいってたまるものか。

そこに「天国」と「地獄」という言葉が産まれたのかもしれません。

子供が悪い事をしない様に

「天国に行きたかったら悪さはしない。」

「悪さをしたら地獄にいく」

という産まれもよく聞く話です。



死んだ後の話は結局この先解明されるかどうかはわかりませんが

そこには必ず生きている間に培った

「念」と「意志」

この「念」と「意志」に関係してくるのが

生きている日々の「徳」と「罪」の質です。





霊やあの世を信じなくても構わない。

それでも日々の「徳」と「罪」から産まれる「念」と「意志」は

必ず何かに作用されることでしょう。









一番覚えていて欲しいのは



貴方が死んだ後も

この世に残した貴方が残した「徳」と「罪」は

この世に残された誰かに生き続けます。



自分の行いは自分自身のためだけにあらず。

日々の行いは全て後世に続く導である。




全ては目に見えぬ「念」と「意志」で動いているのだから。
はい、皆既月食は曇りでしたの見れませんでした。

いや、思い出した時間にはもう終わってたので関係ありませんでしたけどね。



それはおいといて







生きていく日々の中で必ず良い日と悪い日が回ってきます。


その二つにおける半分の割合は



実は自分のやった事であります。





もう半分の割合は


運であります。








やったらやった分だけ返ってくる事はほぼありませんが

必ず良い事をすると半分は返ってきます。

それとは反面やらないだけやらずにいると

ほとんど返ってきます。





日々を良くするのは自分である事。

それと同時に

その最悪な一日は回避できるという事。



何もやらないのに結果を求めても結果はでない、では済まず

マイナスの結果がもれなくついてきます。




最高の一日は自分の努力と運から生まれます。

最悪な一日は半分は自分の怠惰と運の無さから生まれます。




その波を小さくするためには運だけではカバーできませんが

自分のやり方しだいで小さくする事はできます。




一つ。

今日やる事もあるでしょう。やる事をやったで終わる時もあると思います。

心に余裕があるときは

明日のために何かをやる必要があります。

それと同時に今日やっている事は明日から先の自分のためにやっている、

そう考える事が大事です。


二つ。

意味がない事に後から意味がついてくる事が多いです。

手が空いているのなら意味がない事もどんどん行っていきましょう。

街をブラブラしてみるも良し。知り合いに連絡とるも良し。部屋の掃除するも良し。

人間とは変化を求めれば求めるほど成長し変わっていく生物です。

何時もと違う事もする事でいつもと違う結果が出て己の力になります。


三つ。

自分がやりたいと思った事はできる限りすぐやる事です。

後からできないのではもったいない。

やりたいと思った時にやっておかないとチャンスは訪れない事が多いです。




総じていうと

自分のやりたい事はさっさとやっておけば良いと言う事です。

自分のやりたい事ができなかった一日はその時点で最悪な日に感じます。

何か一つで良いからやる事。

これで半分は回避できます。

やればやった分だけ自分が回避すると同時に周りも回避に向かいます。

最高の一日はここに運がついてきます。

その運も自分が日々行ってきた事象が力を影響させてきます。

あの時のあれが、もしかしてあの時あれをしていたから、

そう思えれば最高の一日です。





良い日というものは最悪な一日をどう回避するかという事です。




他者からの影響を受けて悪い一日になる事もあるかと思います。

その時は

今日は運がなかったなぁ

位で流すのが得策です。

一日そんな事で引きずらないこと。

そんなの時間がもったいないだけです。

自分のやりたい事やって忘れましょう。

忘れることができれば何てことない一日です。





少し前に流行った「鈍感力」っていうのも大事かもしれませんね。

「空気が読めない」まではなりたくないですけど。








「明日は明日の風が吹く」

「成せばなる成さねばならぬ」






「明日は今日に後悔しないように」

「明日できなくなるけど今日ならできるかも」





そうやって数珠つなぎに日々を過ごしていきましょう。