さるすべり日記 -26ページ目

道教の美術 TAOISM ART @三井記念美術館

このところ過ごしやすい日もありましたが

今日は 久しぶりにジリジリと照りつけるような日差しにあせる

日焼け止めを塗って 仕舞おうと思っていたノースリーブのワンピースも出して

ぐずぐずしていたら 午後一番暑いときに出かけることになりました

それにしても 暑かったなあ。。 ふう~


とりあえず 昨日なくなってしまった紙を買いに東京駅へ


かなの紙を専門に扱っている「こきん」さんです

学生の頃からお世話になっているお店で

臨書用の料紙もいろいろ揃っています

ちょうどセール期間中で少し安くしてもらいました

合宿で使ってみて周りの先生方から反響の大きかった紙を一反 と 

初めて試す紙を 一反ずつ


買っちゃった


一反は持ち帰り 重い方は送ってもらうことにしました


そのあとは 日本橋の街を歩いて 三井記念美術館へ

ああ やっぱり憧れの街だなあ

三越のエントランスも 涼しげな藍色の暖簾

すっかりビルが立ち並んでしまっているけれど

大通りから入るとどうなのかな

今度はゆっくり歩いてみたいです

 
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もうだいぶ日差しもやわらいで 夕方になりつつあります

急いで三井記念美術館へ


特別展 知られざるタオの世界 「道教の美術 TAOISM ART」 -道教の神々と星の信仰-

 
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去年の夏の展覧会 も素敵でしたが

今年はテーマが道教ということでむずかしいのかなと思っていましたが

展示の後半から 陰陽道のあたりは 漫画「陰陽師」を読んでいたので

親近感が沸きました

でも やっぱり 道教の定義をよく理解していないために

丁寧に解説をして下さっているのですが 私自身 消化不良に終わってしまい残念です

そして 漫画「陰陽師」でさえ 途中から難解で置いて行かれてしまったので

なかなか ひとつひとつの展示をすっきりと理解するまでにはいきませんでした

でも すべてを理解する必要はないんですよね

展示品を見て感じることも大事なんだって はたと気づいて

戻ってじっくりと拝見しました

展示パネルの解説を資料として入り口に用意してくださっていました

いつもわかりやすくて丁寧な解説文を展示してくださるので

大変ありがたいことです


展示は9月6日(日)まで

http://www.mitsui-museum.jp/exhibition_01.html

堀内誠一 旅と絵本とデザインと @世田谷文学館

昨日は 芦花公園駅から程近い世田谷文学館にいってきました

わたしはこの文学館が大好きで 昔からよく通っています

いつもは自転車で行くのですが あまりに暑かったので車で行きました

文学館の地下に駐車場があって 夏は車内も暑くならないし大変便利です


さて 今回のお目当ては 企画展です

わたしにとっては絵本「ぐるんぱのようちえん」の堀内誠一さんの

多彩な制作活動が一挙に展示されていました

しかし 堀内誠一さんはぐるんぱだけではありませんでした

こんなことも あんなことも と 目からうろこが落ちるようでした

堀内さんが晩年に取り組まれていた雑誌の業績は

現在においても真新しく輝いています

また ボロボロになるまで読んだ 「ぐるんぱのようちえん」の原画も

数枚でしたが大変懐かしく その保存状態のすばらしさに感動してしまいました

堀内さんが幼い頃のお絵かきも きちんとスクラップブックに貼ってあって

ご両親の愛情を感じることが出来ました

しかも 幼稚園生ごろだというのに そのお絵かきの内容にも驚かされました

トークイベントもあるので また再訪できればと思っています


http://www.setabun.or.jp/exhibition/horiuchi/

 


さるすべり日記
  

1932年 東京・向島に生まれる。父は図案家で、幼少期より多くの絵本やポスター、映画に親しむ。
1947年 14歳で新宿伊勢丹百貨店宣伝課に入社。ウィンドウディスプレイや催事デザインを手がける。
1957年 アド・センター設立に参加。
1958年 最初の絵本『くろうまブランキー』(伊東三郎訳、福音館書店)を出版。
1959年 『週刊平凡』(平凡出版・現マガジンハウス)創刊。
アド・センター企画「ウィークリー・ファッション」のアート・ディレクションを担当。
1960年 はじめてのヨーロッパ旅行。約半年に渡り各地を巡り歩く。
1964年 『平凡パンチ』(平凡出版)創刊。「パンチ・メンズモード」ページのアート・ディレクションを担当。
1965年 『ぐるんぱのようちえん』(西内ミナミ作、福音館書店)出版。
1968年 『血と薔薇』(責任編集、天声出版)創刊。アート・ディレクションとロゴデザインを担当。
1969年 アド・センターを退社し、フリーランスとなる。
1970年 『アンアン』(平凡出版)創刊。アート・ディレクションとロゴデザインを担当。
1974年 ~1981年 家族とともにパリ郊外アントニーに移住。
多くの絵本やエッセイを発表する傍ら、パリを拠点に各地を旅した。
1980年 『ブルータス』(平凡出版)創刊。アート・ディレクションとロゴデザインを担当。
1987年 下咽頭癌のため死去。享年54歳。

お稽古もなつやすみ

これからお稽古場が2週間おやすみなので

わたしもお休みモードになってます・・・ぐぅぐぅ

 

いったん大きな作品制作の道具を片付けようかな

そのかわり 小さな原寸の臨書を書き始めようかな


暑さとクーラーで体がしんどいので

おうちで録画してあったドラマをみています


「白い春」

http://ktv.jp/haru/index.html #


大橋のぞみちゃんが出ているから とりあえず録画してみたけれど

見始めたら 何もかもがすばらしいドラマでびっくりしました

重い話なのに 毎回笑えるところもあって

涙もいっぱいでました

阿部ちゃんが不器用でチャーミングな男を 見事に演じていて

何度も心打たれました


三十路もすぎると 心打たれただけじゃなくて

自分と照らし合わせて こんな風に自分も美しい人生を歩んでいるかしらって

落ち込んだり恥ずかしい気分になったりもするけれど

まあ そんなダメな人生の一部を抱えながら

今からでも美しい人生を歩んでいくために努力しようって気になる

日々の暮らしでゆとりや贅沢を買えばなんとなく豊かな気になる

毎日がキラキラしているようにも思える

果たして人生はどうだろうか


お稽古を通じて 私は普通に会社で働くだけでは得難い経験をすることができ

さまざまな世代の先輩の背中を見ていて 皆さん大変だと思いますが

苦楽あってこそ人生が輝くのかもしれないと

言い古されてきたことではありますが 実感として身に沁みてきました


6月に広島にいったときの日記には続きがあって

原爆ドームや広島平和記念資料館を訪れて

短い時間でしたが原爆の恐ろしさや悲惨さを再確認することができました

どのように書いていいかわからなかったので

日記が途中で終わってしまっています

写真も撮りかけましたが カメラの中で野球のスタジアムの写真に挟まってしまうので

記憶に刻むことにしました


http://troisfaucons.tumblr.com/post/153511359


三十路を過ぎて もうひとつ身に沁みて理解が及ぶようになったこと

「東京物語」で原節子が吐露した女の性

どんなことでも 忘れていくことは止められない

忘れていってしまう

でも 忘れ難いこともある


忘れてしまう自分を責めるひと

忘れられない自分に苦しむひと


それを美しく切り取ってしまうこと

まだその切り取られた世界をこちらから眺めている


明日は日曜日でお休みだけど きちんとお休みして

来週に備えることにしましょう

まずは 疲れない程度に掃除からはじめようかな