今日は涼しいといいますか
少し寒かったですね。
皆様、お身体にお気をつけて🙇
「三寒四温」なのですかね?
私などは、かなり寒く感じました💦
きのうは、AkaRi先生のセッション、今日はゆんちゃん先生のセッション、おとといはASKA先生のセッションを受けました。
(全部、先払いしていたものです、今は若干キツイので、先に払っておいたものでないと受けられません😅)
仕事と並行して自分を癒さなきゃと思っております。
5月連休はチャック・スペザーノ先生が、日本にいらっしゃるので毎年、受けていたのですが、
今年は、用事でいけないので残念です。
かわりといっては何ですが、
栗原弘美先生のセッションを受けようと思います。
あかり先生は、「未来マグ」といって、未来の自分に磁場を置いて、そこから引き寄せる、というアートをされていて、
描いていただきました↓
チャネリングらしく、「ますみん ならではの色づかい」とおっしゃっていました。
あすか先生はめっちゃ魔法使いという感じです。
ゆんちゃん先生は、私がひいおばあさんの「スミ」さんのお写真に似ていて、どうやら、そこに私の課題があるとおっしゃっていました。
ちょうど、祖母の戸籍を取り寄せましたので、その母親である「スミ」さんが出てきていました。
私は仕事の名前を「マスミ」にしていますし、たしかに、「スミ」さんとはご縁が深そうです。
スミさんは、誰か別の人との子どもを連れて、「邦さん」の所にお嫁に行ったと思っておりましたので、
スミさんと一緒に写真に写っている人は、ひいおじいさんではないと思っておりました。
ところが、祖母の戸籍には、その人こそがひいおじいさんと書いてありまして、
子ども(私の祖母)が産まれたときの届けは、邦さんがしていたのでした。
入籍が遅かっただけのようでした。
ゆんちゃん先生に、
「この因縁の、いわくつきの人が、
やはり曽祖父でした💦
曽祖父は、終戦後、益田市と津和野のあいだの山の中に引っ越して住んだようです」
と、申しますと、
「才能を隠して、山の中に住んでいたのはもったいないですね」
と おっしゃいました。
まさに、です。
曽祖父の邦さんは、出版もしていましたが、晩年はずっと農家で暮らしたようでした。
曽祖父とスミさんのあいだには、子どもが3人いたのですが、末の女の子は、京都女子大教授の塚田満江氏でした。
満江氏の名前は、ある場所の地名から名付けられたようだと思うのですが、
私の本名の「ますみ」も、どうやら、その場所にちなんで名付けられていたようだったのでした。
それを、父はのちに「『真善美』から、ますみと名付けた」と上書きして言っていました。
父の、その言葉は、なぜか私には、あまり響かなったのでした。
たぶん、真実かどうかに、とても敏感になっていたのだと思います。
あとづけとして、
山口県の役場に勤めていて、しかも戸籍課に居たという父が、
「真善美」と名付けたかったら、その名前は通ったと思いました。
のちに、塚田満江氏がなくなった時に、親族ということで情報が来たとき、私の名も、その地にちなんで付けられたと悟ったのでした💦
子どもにとって、母親がなくなるということは大きいことで、
スミさんの子どもたちは離散し、1歳だった満江氏は、塚田家の養女になったのでした。
スミさんは享年26歳。
母方の曾祖母は享年37歳で、そこは、ほぼ、共通していると思いました。
そして、スミさんの長女は、私の祖母ですが、すごく自由に大らかに暮らし、
一方、母方の曾祖母の末の子であった私の祖母は、
すごく几帳面に真面目に暮らしたと思います。
2人とも、幼くして母親をなくしたという点では同じですが、
スミさんの子どもである祖母は、「あんま屋」という仕事を持っていたので、
独身で養子までもらって、けっこう余裕ある感じで、
島根、東京、岡山と引っ越していました。
私は、この祖母と小学校2年から5年まで一緒に過ごしたのですが、
ものすごく明るくてパワフルでした。
やはり、スミさん、そしてスミさんの娘であった私の祖母、
このあたりの影響を私はすごく受けているのかもしれません。
今日、雨でしたが四天王寺にお参りに行って、曾祖父母と祖母とを供養してきました。
いよいよ、私の先祖供養も終わりに近づいた感じがしました。
今日は雨で、今、電車に乗って帰っていますが、寒いです。
皆様もお気をつけてお過ごしください🙇
皆様がお元気でいらっしゃいますように🙏