どこかで見たこと読んだこと -7ページ目

見えないもの

Le plus important est invisible

「大切なものは、目に見えない」は、
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの有名な文章です。

山崎朋子さんの 2006年作詞・作曲で「大切なもの」という
合唱曲がある。

ニュース番組で、陸前高田の小学2年生の女の子が、歌っていた。
この少女は、仙台で被災し、両親と姉、祖母を亡くし、一人になっていた。
今は、父方の祖父祖母と3人で陸前高田で暮らしている。

昨年の11月頃から、やっと落ち着き、母親が好きだった歌を、歌うようになり、
今は、合唱も勉強している。

その放送で、歌っていたのが、「大切なもの」であった。

卒業式などで良く歌われている合唱曲なので、学校で習った人も多い
ようだ。作曲の山崎さんは、歌い易いメロディーと、解り易い
歌詞を心掛けて作品にしているという。




特に、女の子が歌う2番の歌詞は、肉親を失った絶望感から
空へ上昇する様な心の感覚がTVからも伝わって来た。

------------2番の歌詞-----------------------

くじけそうな時は 涙をこらえて
あの日 歌っていた歌を思い出す

がんばれ 負けないで そんな声が聞こえてくる
ほんとに 強い気持ち やさしさを教えてくれた

いつか会えたなら ありがとうって言いたい
遠く離れてる君に がんばる ぼくがいると

大切なものに 気づかないぼくがいた
ひとりきりじゃないこと 君が教えてくれた
大切なものを・・・・・
---------------------------------------------

この歌を歌っていた母を、必死に思う少女には
そのままの心情だというのが直に伝わる。
この歌詞を、一言一言、大切に歌う少女は、誰にでも
その意味で、見える。

子供の心には、感じられている生命とか真実の愛を、大人に
なって相手に表現しようとすると、見せることは難しくなると
サン=テグジュペリは確信を持って述べた。

自然に、心身を委ねて感じる事柄である為、大人は、自然から
離れて行くと、生命と愛を心から感じる機会が少なくなる。

しかし、心から大切なものを感じている子供には、良く見える。

津波で亡くなった肉親に、いつか会って、ありがとうを
言う為に頑張ろうとする少女は、納得して自然な心で歌っている。

この少女をTVを見て、共感できるのであれば、大人にも、見えた
のである。
その事は、大人の側には、個別な複雑な事情が多々あるだろうが、
震災のダメージから復興にするには、自然に心身を任せ、その中で
発見した理性的な事案を優先して、追求するべき理由がある。

もし、そうでなければ、「大切なもの」を歌う少女に、大人は、
共感以外、何を、糺すことができるのだろうか。


高村薫・復興を問う NHK ETV特集

2012.3.18 NHK ETV特集「生き残った日本人へ 高村薫・復興を問う」


高村氏は、17年前、阪神大震災に被災し、大地震など災害が
元々、被災地に存在していた問題を浮き彫りにすることを指摘する。

その中で復興を考える時、理性が今後最も、必要だと言う。
しかし、最後に、活動を起す時は、理性だけでなく、情熱も必要な
状況もあることを指摘していた。

東北の2011年3月は、神戸の1995年とは日本の経済も、世代も違って
いる。つまり、災害の以前の状況が異なるのでる。

経済成長の終焉、つまりまだ名残があった時代の1995年と
日本の製造業主体の経済は、グローバル化で国内は空洞化が進み、
TPPなどにより第一次産業の農業、水産業の生産性も経営的に
対外有意性が問われ始めた2011年であった。

特に、東北には、高齢化、過疎化による僻地医療問題など
地域社会の崩壊の方策も議論され、原発誘致も、放射能の問題より
地域経済の基盤の方を優先すべきという意見もあった。

東日本大震災の津波被害には、そのことを理性を持って対処する
復興策が求められるという考え方であった。


番組内で対談された東北学の赤坂憲雄氏も、中央政権は、一時的な
方針で、インフラ整備の計画を進めるが、何か、問題があれば、
直ぐに予算を撤退させることを東北では多くの事業で見て来たと言う。
つまり、東北のインフラは、中央政権の都合で変遷して来た歴史がある
ということだ。

赤坂氏との対談で、両氏は、無理に、復興としてインフラを整備する
のではなく、一旦、海岸線を自然に返すことも、念頭におくべき、と
提議する。

地元の被災者には、地元への復帰を望む声もある。
しかし、それは地域社会として秩序が再構成可能な恵まれた場所でしか
望めないのではないだろうか。

言うのは、簡単なことだとは承知の上で、「土地を捨てる勇気と理性も今は、
必要な時代である」と言う時代認識が、高村氏の考察である。
特に、放射能漏れを孕んでいる原発の周辺は、否応なく、住めないことが
現実となりつつある。逆に、その危険範囲への国の線引き近辺の住人の
心情が鋭く対立を生む事態となっている。

一体、土地は誰のものだったのか、被災地では、訳が解らなくなっている。
その為の心の喪失感こそが、大震災の実体である。

連れ合いを亡くし、親を亡くし、子を亡くし、遺体も行方が分からない。
その現実に、土地への喪失感が追い打ちを掛ける。
さらに、その復興の際に、土地を自然に返せという意見を言う番組であった。

高村氏は、夏に、原発事故を見て、クーラーを使う気にならないと言う。
自宅を耐震改造してていた。阪神大震災での経験からすれば、当然であろう。
野良猫に餌を与えていた。人間嫌いな飢えた猫が、気になるようだ。

つまり、土地を自然に返すという理性は、戦略としては、
人口が拡散してしまった東北を、再編成、集約することである。

私も、この意見に理性として賛同する。


自然に頼ろうと言うことである。
これには、自立を受け入れる社会思想を東北が創造することになる。
かつて、東北には、マタギと言う狩猟を営む集団が居た。
このマタギという社会構造は、自然が生んだものである。
それは恐らく、縄文の時代が残した自然な生計であったと思う。
東北は、縄文時代から中央集権的ではなく、ムラ社会を構成して来た。

中央集権の意向に従って、今まで良かったことなどは、東北には
一度として無かったことを、再確認する必要がある。

今度の震災と津波は、特に、津波は、東北は、何世紀にも渡り
何度も被害を蒙って来た。
それでも、その土地に生き続けて来たのは、その悲劇的な津波の後にも
自然の海の幸には、恵まれて来たからである。

その自然との関わりに耐えられなけば、東北から去ることも
理性的な判断であると私には思える。
現地の自然は、慣れない人には厳しい。

冷たいようだが、自然の中で東北人はもう一度、自立すべきと考える。
10年後、再生した自然の中から、自然利用発電、自然災害防災事業研究、
自然海岸の生態系研究と養殖事業化などの産業を実現するのが東北の
未来と考える。

日々苦悩する被災者に向かって冷たい意見と思うかもしれない。

しかし、私は、感情面からも、それで良いと思う。
なぜなら、私も、そうして来たからだ。
私も、神戸で被災し、神戸で会社を一人で興し、自然に身を任せて来た。

経営はもちろん下手なので、赤字ばかり出しているが、多くの人の
厚意で17年間つづけている。
何故、被災地で会社を興したのか、それは、時代の要請でもあった。
製造業の役目が、変わり始める時代で、色々な試みを始める時代だった。
私は、大手電気メーカーの大阪支店に勤めていた。
新規事業の検討に没頭していたが自分のやりたいことと、
会社の技術力がかみ合わなくなって会社に居ることが不自然だった。

1995年、時代は、パソコンとネットの幕開けの時代でもあった。
最小限の会社でパソコンとネットがあれば、テレワーク
として活動する論文は出ていた。自身の分析でもテレワークもは
ネット社会の自然であると推察できていたし、また、それを理解
した人間は、自立すべきと考えていた。1994年会社に辞意を表明した。
辞めた会社(本社は東京)の現状を見ていると、私の考え方は、
理性として間違っていなかったと判断している。
会社に残っていても混乱をさせ不自然さで破たんしたと想像する。
グローバル化する日本では、テレワーク的会社の存在意義は、
益々高くなると考えている。
顧客は、病院であり、ユーザーは、殆どが医師である。

社員一人の会社が、病院と直取引を実現できるいるのは、
ネット業界では稀有である。先見性と発想の違いがここにある。

私にとって、被災地で一人、自分の思い通りの仕事をしているのは
多くの人の厚情がベースあるとは言え、自分の能力に合っていて
自然なことであるのが一番大きく、今後も進むべき道であると
確信している。

東北の被災地の皆さんの中で、このブログを読んでる方の
参考になれば幸いです。
被災地を復興させようと思うのであれば、形はどうであれ、自然に任せる
姿勢を崩さないことも選択肢の一つであると信じて欲しい。
なぜなら、復興は、長期継続を旨とすべし、である。

私は、17年経ったが、まだ、復興が始まった頃と、意識が変わっていない。
のんびりしたいとか、裕福になりたいとは全く、思わない。
だから、今のテレワークを今後も続ける。なぜか?

私の理屈を理解できているユーザーがまだ殆ど居ないからである。(笑)

まだまだ、復興とは、自然に身を任すことであることを
ネットワーク技術を駆使して見せつけて行かなければならない。

インターネットをただのビジネスフィールドとしてしか見ない
成功したと言われる企業家達の会社とは、ここで一線を画す。
復興することの意味をシステムを通して考えているのである。
医療分野は、儲ける為のビジネスをするフィールドではない。
医師と看護師と本音で本当に必要なITは何かをディス
カッションすると解ってきます。IT系ビジネスマンは、
その様な場面を知らないので、利潤として医療を捉えようと、
日々勘違いして墓穴を掘っている。

被災地を経験した人であれば、この程度の覚悟は簡単に、できるはずである。

多くの人が災害で命を落とし、親族皆失い一人残された子供、
子供と夫を失って涙の止まらない母親、・・・・・。

この方々を心から復興させるは、不可能です。
その側に居る人が、少しでもやれる気力の残っている人が、
被災地で復興をする。その契機は、自然に任せる勇気と理性だと考えます。
やれる人から始める。他者と比較しない。自然に任せる。

今日と言う日を迎えられなかった霊たちを慰めるのは、残った私達が、
私たち被災者自身が、自然と理性を取り戻すことに他らないと信じています。
結果が、復興だったというのが理想です。



過去を変えるということ

過去を変えること

私たち、人類は、何事かに立ち向かう時、自信が持てず、
不安になることがある。それは幸いである。

パスカルは、「人間は考える葦である。」と記している。
葦は、自然の力に、対し繊維と、空洞で、柔軟に対峙し生きて来た。
人間は、柔軟な思考で、葦と同様に生きているという洞察である。

してみれば、人間は他人の為に「真剣に考える」ということは
綺麗ごとである。他人の為に考えるのは、柔軟にはできない。
他者の目というバイアスがないと他人の為に考えることは出来ない。

では、なぜ孔子の論語や、墨子の哲学、キリストの聖書が現代に
残るのだろう。彼ら自身の執筆は何も残っていない。
弟子たちとの対話が、弟子達によって残されているだけである。

それは、対話であり他者の為に考えた訳ではない。
人間は、未来に不安を覚えた時、真剣に考える。
自分自身の直観から発動する。

個人が不安に対し、内観して、深く、広く、考えた結果が、
他人の内観と共通感覚として認識されて初めて、同期する。
それが他者の為に「考えた」と共感、尊敬されただけである。

考えることは、未来への不安が基礎である。
しかし、未来は、なる様にしかならない。未来は、結果的に過去
として追認されるだけである。

何人も未来を変えることは出来ない。

人間は、慣れた行為に無心で行動する。
強打者は、投手のボールを無心で打つ、その結果で打率が残せる。
集中して打つだけで、無心である。素人の打者は、考える。そして
考えも及ばぬ現実を感じる。ボールは、既に通り過ぎて行く。

雪の降る町の「思い出だけが通り過ぎて行く」だけで、考えは及ばない。

人間は、未来の不安に対してしか真剣に考えない。
過去の失敗に深く考えることは出来ない、何故なら思い出になって
いるからである。

ひとり、未来への不安をもつ今しか、真剣に考えることは出来ない。
その今の考えの継続の結果でしか幸福を得ることは出来ない。
今、幸福を得た時、過去の思い出は、事実の累積の出来事として
時系列の解釈が出来る。

過去の解釈は、今の結果で可変である。
未来は、解釈では変わらないし、知ることもできない。
あくまで、今の不安から予測を立てることしかできないが、その考える
行為は、過去を救う可能性を孕んでいた。

悔い改めよとキリストは言った。
一方、人間は、今、悔い改めることしかできないのである。

未来は、人間が生きて行く上で、考える契機を与える為に、想像されて
いるだけである。今を生きることが、唯一、未来を迎える可能性を高める。

今は、夏なのだろうか? それとも冬なのだろうか?
未来は、その程度の不安でも構成される。


どこかで見たこと読んだこと

どこかで見たこと読んだこと


個人主義な会社


どこかで見たこと読んだこと-神戸六甲アイランド梅林
2012年2月12日 神戸六甲アイランド 「1分咲きながら梅が香る」


私がなぜ、個人主義な会社を続けるのか。

多分それは、故郷からの逃避に始まっている。
そこは東北の自然に囲まれた穏やかな庄内平野だった。
水田やリンゴ園、畑と、白い雲を浮かべた青い空。

何の不足もない場所だった。
しかし、自分自身への不安が拭えず、自己評価が混乱していた。
自ずと、村社会では居心地が悪かった。
何かに急かされるように、平野を囲む山を越えたいと願った。
私自身を探す旅が必要と思われた。

故郷と自分自身を捨てる様に、東京へ出た。
孤独は嫌ではなかった。他者と違う道を発見することに夢を見ていた。

一方、都会と言う社会でも、挫折感しか味わえなかった。
結局、自分を発見する事など及びもせず、出来ず、企業へと足は向かった。

企業と言う日本国家で平均的な暮らしのベースとなるムラに住むことに
なった。1980年、時代は未だ経済成長の過程だった。故にそれは意外と
情熱的な心情にも上昇気流を感じられる時代でもあった。
自分自身の能力とは余り関係ない構造の中に居たことにも気が付いていなかった。

1995年阪神惰震災を神戸で体験する。
転変地異ということを初めて体験した。
都市社会の現実が、地中から揺り起こされたことを感じた。

前年の暮れ、会社というムラからも決別する覚悟を表明していた。
成長の技術を喪失した企業に、自分自身の居場所を作ることは
経済原理からありえなかった。観念的な構造を事業化することに
余裕を失った社会は、好意的ではなかった。
よりロジカルな経済活動に指針の方向性を持ち始めた時代でもあった。

個人という観念では、経済規模を追究するのは無理な時代。
個人は、あくまで経済活動の突破口を開くベンチャー企業として
存在し、ステップアップしてロジカルな経済活動へ規模を拡大することが
社会が評価するものである。

個人の経済探求など、現在の日本では、無用と言われる。
多様性の存在意義は、低成長社会では、無用なのだろうか。
あくまで、経済は、社会の構成員からの認知でしか成立しない。
逆に言えば、経済が成立すれば、個人の経済活動も存在できる。

今、岐路に立つ。
余りに特殊な市場での経済は、拡大させることが難しいが
特殊であるから個人規模の企業体が最適化する。
全体の経済からすれば、多様性への食指でしかないが、
その細かな食指であることに、個人の存在価値と企業活動を一致
させることができる唯一の形態であると言える。

食指とすら認められない状況となった。
しかし、その軽量化故に、継続に援助の手を出す人も現れた。

過去を振り返ると自分自身の存在をマッチさせる経済活動の探求は、
私の天性である。

捨てて来たもの、失ったものと現在は、バランスせずマイナスである。
しかし、捨てて来たものに、存在は出来なかったのも事実である。

天性を引き出すことが学びである。
欲望を自然に返すのも感情に節を持つことである。

今、起きていることは天性からの道である。
このことに正面から向き合うことが、私が排除したもの達の真実へ
報いる責任がある。

スティーブン・ジョブスが言う「過去へ振り返って観る点を繋ぐ未来」を
思うと、私も個人主義な会社を信じて行くことが出来る。
天性に従い、貪欲な感情を自然に返すことで経済的に生きる責任を
全うしたいと思う。



ドラマ「キルトの家」


NHK土曜ドラマスペシャル「キルトの家」(2012/1/28前・2/4後編)
都会の古い団地での老人達の生き様と隠れる様に
引っ越して来た若い夫婦が交流する場、「キルトの家」での
人間模様のドラマ。

【作】山田太一, 【音楽】加古隆
【出演】山崎努, 松坂慶子, 杏, 三浦貴大, 新井浩文,
佐々木すみ江, 正司歌江, 緑魔子, 北村総一朗, 上田耕一,
織本順吉, 余貴美子, 根岸季衣, 品川徹, ヘイデル龍生,
福井喜朗, 田中恵輔, 田中耕二, 石井淳, 辺土名龍介,
片岡富枝, 佐藤登代


山田太一脚本のドラマということと個性的なキャスト陣に
惹かれてドラマを観た。

古い団地に隠れる様に越して来た若い夫婦(杏、三浦貴大、共に2世俳優)の
過去と孤独な老人や住人の過去が交差する。
このプロットだけで、山田脚本らしさが十分発揮していたと思う。
若い夫婦が、旅行中に東日本大震災に現地で被災して、持ち物全てを流され
地元人の厚意でなんとか被災地で生き延びたことをエピソードとして挿入
しているが、これは少し過剰な設定と思えた。
なぜなら被災地で旅行者が体験したことは、未曽有の災害でも生き残ったという
二人の間の問題であり、地元民の絶望感と対峙すれば、余りに個人的な体験だ。
被災者住民として人命、土地や財産を流された被害とは心労を悼むけれど
別次元である。

被災地から避難して来たというエピソード設定の方が良かったと思う。

今回のドラマは、都市の古い団地の中の孤独な老人達に光を当てることだ。

他者を受け入れたくない老人が、他者と関わる現実の物語である。

そこには、他者へ過去をさらけ出す未来がある。
若者は、未来は、南国の空やレモンの様に、変化も多く、遠く、広がる気がする。
老人の場合、その未来の広がりの終わりが、間近に迫り、かつ、過去から色濃く
投影されたものであることに気が付く。

しかし、東日本大震災の被災者の様に、現代と歴史の上に生身の姿を曝された
人々を観ると、老人個人の過去の呪縛など色浅い潤色だったと気付かされる。

被災者も孤独老人も相互に励ますしか、太刀打ちできないことがることを知る。
それがドラマの提示したかったことではないだろうか。

前篇で、山崎務の台詞
「魂のはなしをしましょう 魂のはなしを!
なんという長い間 ぼくらは 魂のはなしを しなかったんだろう――」

後編では、山崎務が、種明かしをする。
「あ、あれは、詩人、吉野弘の詩だよ」

この種明かし型の台詞構成は、山田氏のメッセージだろう。
他の台詞でも、「老人の昔話の自慢には、うそが潜り込む」だから自慢話は
嫌いだという老人の台詞も、脚本のメッセージである。
これも周知の事で、昨年の震災以降、だれかを励ます時、自分自身の過去の為に、励ます
言葉を掛けないぐらいだったら、誰かの使ったフレーズを丸ごと、真似て
励ますことができれば、それでも良いということなのだ。


胸が潰れる思いをした者が、もう一度、未来に向かい立ち上がるには
過去に語られたフレーズやリフレインで、恢復する。
傷ついた過去にしか人間の未来は救えないということだ。

NHKのドラマ「キルトの家」は、希望に満ちた若い世代には人気が出な
かったと思う。
未来が少なく過去に傷を負った者に偏った脚本には、全世代的な
興味を発揮させない。そういうドラマだ。

各キャストは、実年齢の演技で楽しそうだった。
加古隆氏の音楽も良かった。
そして、老後の緑魔子を観るだけで、ドラマを観た気になった。


$どこかで見たこと読んだこと