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土の記 読書感想

髙村薫 「土の記」

私が髙村氏の本を読むのは、「土の記」で2冊目である。
前回は2015年の「空海」であった。
髙村氏のミステリー作品としての書籍は未読である。
「土の記」を読むうえでは、作品への先入観がなかった
為に、フィルターが無く読みやすかった。

これまでの髙村氏の既存作品の感想をネットで読むと
実際の事件から小説という構成術と表現方法を駆使して、
より真実に肉薄するという手法であると空想している。
短絡的に言えば「土に記」はその逆の手法を試行して
いると思う。

日常を、精緻なネット状に多層構成すれば、その
作品は自然へと繋がり、美しく写し出される。

つまり断章を多層集積して、写しだされた結果として
の小説へというベクトルを試行しているのではないかと
想像を逞しくする。


凡庸な日常を固定し断章とし、その分散する事実を
反復集積した結果から何が救いとなっているのかを
表現しようと試みる。
なぜ、髙村氏がこのような神秘的な挑戦をするに
至ったのかは、前作「空海」の思索に起因している
ではないかというのが私の感想です。

書籍「空海」の概要
空海の人となりを求め現地取材を重ねた思索エッセイ

主な内容
*空海の山林修行と身体体験
*入唐求法
*社会事業家としての空海
*最澄との関係(天台宗と真言宗の違い)
*高野聖とお大師さん
*民衆の中で息づく空海

作品「空海」の印象的な文節とキーワード
*仏の智慧を直観し、その不思議な身体体験に住する傍らで、
 言葉でそれを分節し、体系化する試みを空海はすてなかった。
*三密修行で即身成仏の世界に住する真言宗僧侶の秘儀の
 すべてがもとより衆生済度のためにあるのだとすれば
 私たち衆生はありがたく法会に参列し、ご本尊に手を
 合わせ、少しばかり喜捨すればよいだけだろう。
*空海が「六大無礙にして常に瑜伽なり」と記した宇宙が
 私たちの想像を絶するうつくしさに満ちているという
 夢想は、毒にはなるまい。
*「重重帯網なるを即身と名づく」
 あらゆる身体が帝釈天の持つ網につけられた宝珠のように
 幾重にも連なり合い、お互いに写しあっていることを即身
 と名づける。


翻って、「土の記」を見てみよう。
各断章のなかで繰り返される概念

*好奇心とわずかな嫉妬を練り込んだこの土地の暮らしの
 薄昏さというものがあるだけ。=土の記憶
*死者たちの方もあえて欠けたところだらけのあいまいな
 記憶に逃げ込んで、完全な姿をさらそうとしない。
 =生と死のあわいを生きる。
*生きものたちのある者は近くで根源的な自然の営みが
 起きているのを察して息を殺し、ある者は生命の波動の
 ようなものと共振するのか。
 =宇宙の中で自然は一体化している。

内容(ペーソスとユーモアが基底)
妻が交通事故で植物状態となり16年間介護し、正月にその
妻も亡くした70歳を超えた老人の記憶と親戚や垣内(
家族より親密な村の寄合)の人々との暮らしの断章。

主人公
大手電機メーカーを退職後は、稲作とお茶などの耕作をして
暮らしている。趣味は、地層学だった。
軽い脳梗塞により時々記憶障害を起こす。

小説の舞台
奈良県宇陀市の棚田のある山村。
生前、妻には交際相手が居たが事故で植物状態となり
真相は不明、周囲は確信している。その交通事故も
自殺ではないかとの疑いもあったが、真相は不明の
まま交通事故の被害者として扱われた。
事故の関係者が、皆、亡くなり老人の記憶もあいまい
となってゆく。

 

宇陀の陀は、陀羅尼 曼陀羅など仏教サンスクリットの
「ダ」の音を表す際に使われる。
陀の意味は、ななめ。くずれる。おちる。

 

小説は、妻を亡くしてからの約1年半の日々の暮らしと
どたばたな出来事を天気など細部を添えて、宇陀の
棚田や自然を風景へと何度も描き多層的に重ねる。
その反復が、老人の思い出と混ざり合うことで老人の
凡庸な日常も、美しい自然環境であることが相対として
小説から写しだされ、読者に伝わる仕組みとなっている。
特に若い頃の妻との思い出では隠微なエロスと自然が
多層化し写され、万華鏡の様に美しい。

老人はそれを失った原因として家族への配慮の欠如を
意識し自省もするが、その記憶と半生には全く後悔は
していない。


身体体験の記憶が、その時の風景と関係性を切り抜く。
凡庸さはその反復多層としての結果として表現できている。

その記憶もいつしか土に練り込まれた。

 

その遍在する記憶が棚田に美しく写ることに気が付いた時

「六大無礙にして常に瑜伽なり」
「重重帯網なるを即身と名づく」
の境地を体感し、直観的に感得したと言える。


記憶が練り込まれた土地は、自然と一体となり美しい。

 

 

同じ手法で構成された小説は、森敦氏の「月山」がある。
「月山」の舞台も山村の真言宗派の注蓮寺であった。
小説のキーワードは、論語の「未だ生を知らず、焉んぞ
死を知らん」であったが、小説の構成は、曼陀羅を
意識しており、本作と同様に空海の思想に影響を受けて
いることが読み取れた。


つまり美を構成する方法論を活用する空間構成概念を
空海の「即身成仏義」が提示していることが推察される。

今年はブロックチェーンやヴァーチャル空間への
環境づくりのネットワーク革命元年となるであろう。


その際、「重重帯網なるを即身と名づく」という
空海の言葉は、人間の記憶と自然を含む宇宙との関係性を
革新的に構築する上で、追体験するに値のある時代に、
とうとう至ったことを、この小説を読んで考えさせられた。

 

各断章のどの文字を編集しても、この小説の鑑賞は成立しない。
作者のみが校正を許された唯一の美しい自然であり、
小説の未来への可能性である。

 

 

土の記(上)土の記(上)
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土の記(下)土の記(下)
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地方創生への古代からの提案

日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント/東洋経済新報社

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年末の選挙では全候補者が地方創生を訴えかけていた。
地方都市の消滅への警鐘なのか、多くの書籍が出されている。

また、資本主義経済に関して、格差問題への書籍も
書店で複数見かけるようになって来た。

その中で、池田信夫氏の「日本人のためのピケティ入門」を
読んでみました。ピケティ氏の厚い専門書を読むのに躊躇し
ている私には、丁度良い解説書であった。
ピケティ氏の分析によると、グローバル化し、移動する資本の
収益率が、国民所得の増加率を超えれている為、資本主義には
格差を生む根本的な矛盾が元々ある、との指摘で明快。

格差補正の策は、国際的な協調から資本累進課税の
仕組みを構成することとあり、これも解かりやすいが、
実現には透明性のある国際協調という難題があるとの
指摘も抜かりない。

これを参考にすれば、東京と地方の格差とは、東京と地方の
資本の格差と見なせば、地方創生の対策もフォーカスが
しやすくなる。

事業計画が各地方の既存のインフラ整備として
地方の内部に蓄積させるという発想が、重要ということだ。
これを地方循環型資本主義と呼ぶこととする。

この地方循環型資本主義を実効値のあるものにする基盤が
必要だ。地方住民が、透明性の高い意思決定をすることが
重要になる。
具体的には、本質的な民主主義を構築することである。
それには、全会一致の合意形成を目指すことではないだろうか。

本質的民主主義と地方循環型資本主義との同時実現は、
民主的な、大企業の資本主義とは、異質である。
逆に言えば、大企業と同じ指標で事業計画では実現できない
事業計画の観点が各地方で、多様に生じる可能性を生む。
脱経済合理性は、地方からしか生み出せない。

現在、政治経済の中心は、経済的合理性により東京である。
今後、地方では脱経済的合理性の事業に資本を投入するの
が自然である。

ボロボロの地方都市の循環型資本主を規範としたヨレヨレの
事業でも、全会一致の合意をしている民主的な住民の姿は、
本来の民主主義であり、不幸とは思えない。
人口が減った分で、全会一致の民主主義を実現する可能性は
地方で広がる。

東京では難しいだろう。多数決で決めるのが精一杯である。
東京の人口流入も含め、今後もメガポリスとしてグローバル
企業を強力にブラッシュアップするのが、日本全体を救う方策だ。
大企業は、専制的なカリスマ経営者と最新経営技術で拡大して
行けば良い。成長戦略に邁進して頂く。
その代償として、自然環境と本質的な民主主義は諦めて頂き、
その分は、豊かな自然の地方で料金を払い精神のストレス解消
すればよい。


古代豪族と武士の誕生 (歴史文化ライブラリー)/吉川弘文館

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森公章氏「古代豪族と武士の誕生」は、発掘された木簡などから
古代の地方豪族の支配の状況を分析し、実態に迫っている。
日本の地方行政の歴史という面白いジャンルの書籍である。

古墳時代のヤマト政権の地方支配体制の変化から、現代の
地方再生への方法論的な示唆も読み解ける。

5世紀、6世紀頃のヤマト政権は、まだ地方豪族との連合政権
状態であり、威信財や外交権だけが、政治的イニシアティブの
キーであった。正に少数与党のヤマト政権運営であった。

このころの吉備氏、葛城氏、息長氏など、有力豪族と政権の関係を、
本書で森氏は、多元的通交と二重身分制と表現している。

ヤマト政権の国家統一への指標は、各地方における豪族の支配であった。
邪馬台国の時代から、ヤマト政権は、武力を背景にした専制国家
ではなく、むしろ共和制政権に近く、地方豪族同士の連合政権で
首長崇拝を国家形成の規範にしていた。
(私は、ここに自然、精霊崇拝の縄文文明から精神的継承を感じる)

各地域の国司は、中央から赴任されて来るが、郡司は、有力地方豪族が任命
されていた。この支配構造は、中国や朝鮮半島から伝えられた統治制度を
表面上流用しているが、実態は、地方に住み慣れた豪族の多様な存在力を
許し、多重的に活用するというヤマト独自の修正が入り込んでいる。

中国、朝鮮半島から多様なルートで、儒教、仏教を含めた統治システムが
入ってきたが、宦官、科挙などの制度には、全く興味すら示していない。
縄文的地方豪族の支配に効果がないと、ヤマト政権が考えたからだろう。

結果、地方豪族という多様、多重的首長崇拝の文化は地方に維持された。

9世紀後半、異常気象が原因で、東アジアでは王朝交代が席巻したが
(唐滅亡、渤海国滅亡、新羅滅亡)、結果的には、日本では王朝交代が
起きなかった。なぜか?

この時期、地方の郡司と、その氏族が経済的富豪層の中心となっていた。
(奥州藤原氏など)
また、良吏と呼ばれた善政時代でもあった。郡司が地方行政のリーダーとして
最も機能していた時期と偶然重なる。菅原道真らの少し前の時代で、
徳治主義の理想的地方支配を郡司が実行した短くも幸運な時代だった。
地域の飢饉に対して、地方の郡司が徳治性を発揮し、住民救済を実行した。
つまり、富豪層として資本を郡司が蓄積し、その余裕を遺憾なく救済に発揮した。
森氏は、これが、結果、ヤマト王朝の維持につながった理由と挙げている。
しかし、この時代は短く、専制化と共に不正、横領が横行し、悪吏の蔓延へと
変化し、平安時代から鎌倉時代への武家政権への転換の契機となって行く。
今から見れば、リーダーの倫理の欠落と片付けられない程、現代の日本人に
繋がっている。

ここで、ピケティの資本の利益率と所得の増加率のアンバランスに戻って
考えてみると、構造的に格差の補正(矛盾を解消するものではない)
する方向性が見えて来る。

現代の課題は、資本の利益を余裕としてどこに蓄積するかである。
東京の資本富豪がタックスヘブンで利益を隠ぺいし続けるのが
最悪のシナリオで資本が循環しない。
現在の日本の企業では、あらゆる「リスク」に備え、企業内部預金へと
蓄積されている。(想定外リスクにも備えるらしい)
義理人情で生産地を地方に移転しても、利潤を資本家がタックスヘブンへ
移動し、経営者が内部預金していては、地方は疲弊するだけである。

この状況で地域循環型資本主義を、目指すのは、大企業中心の東京では
無理である。それよりも、地方に存在するインフラを地方で資本化し、
地方独自に古代の「多元的通交」を復活させ、資本を地方で循環させるのが
最も効率が良いと考えられる。

地方豪族が徳治主義的な地方行政視点に戻せばよいだけである。
市町村の首長は、新規事業の立案可能な経営能力を持った人物を
地元で選出する。
地域の人材に不安のあると思うリーダーは、海外から人材を派遣、
または移住させ、国際シンジケートを構成しても良いと考える。
地域首長は、その移民の母国との通商を国とは別に独自に展開する。
移民は効率よく相手先国との談合で調整する
移民の必要がない地域は、住民の全会一致の施策で、事業化を
進めればよい。

この事業化計画で新たに生まれた利潤(または税金)は、東京の企業の
内部預金とならない様に地域の自然環境整備へ再投資できる経営母体を、
地元に設立する。つまり地元環境整備維持として蓄積させる。
里山を含めた山林、田、畑、河川、海岸など自然環境の維持、
野菜生産工場、養殖工場、観光資源などの地方独自インフラ
整備に再投資する。
人口減に対して、国際シンジケートの活用は非常に重要なると考える。

一方、東京ではどんどん自然を人工化し、合理化する開拓型都市計画を
推進し、世界最先端の都市化をグローバル企業に進めてもらう。
地方は、それをサンプル事業として国からデータを提出させ、地元、住民へ
最新都市化のメリットとリスクを、明示し、東京への転出、地方での
定住の指標を分析することで、各地方の多様性を維持する。
インフラ整備の延長として、メリットがあれば、地方同士の統合もあり得る。

今後、国が策定する地域創生も、地域リーダーの育成を標ぼうするのは
目に見えている。それを逆手に流用して、海外とのシンジケートまで
手を広げるのが、最も、リスクの少ない地域での産業政策となる。
ヤマト政権の中華文化の取り込み方を参考にすればよい。

地域創生とは、日本が世界へ新しい全会一致型民主主義、循環型資本主義を
表明する丁度良い機会と捉えるべきである。

また、地方で一人で起業し、事業を継続するのも、全会一致型民主主義
循環型資本主義の萌芽と言える。
全会一致と地域循環で、やりたい事業計画をスピード感を持って実行する。
これが地方に必要なリーダー、起業家の姿と考える。

国家形成

柳本の黒塚古墳から、行燈山古墳、渋谷向山古墳を、秋散策して来ました。
画文帯神獣鏡



行燈山古墳は、崇神天皇凌。渋谷向山古墳は、日本尊命の父、景行天皇陵。
何れも、龍王山の山麓、扇状地に造られた古墳群。
最近の邪馬台国の跡ではないかと注目の纏向遺跡に隣接した柳本古墳群である。

3世紀に突如現れた纏向の大型建築群は、邪馬台国なのか、
それとも全国規模の市場なのか、と古代史学会や、マスコミなどから
注目されているエリアです。

一方、崇神陵は、実在の最初の天皇とみる説が定説となっている。
つまり、邪馬台国以後の倭国またはヤマト政権の王として実在したと
認識されている最初の王である。



大和朝廷の史実上の初代天皇と言える。
崇神天皇は、日本書紀では、ハツクニシラススメラミコト(御肇国天皇)と
呼ばれている。
没年は、記紀の干支から、318年または、258年と推定されている。その為
邪馬台国の台与の摂政、または、卑弥呼の弟などの説も出ている。

台与との関係では、天照大神の斎宮となった豊鍬入姫命は、崇神天皇の皇女。
この豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)の豊「とよ」が台与からの引用を思わせる。
また、天照大神を卑弥呼を神話化させた姿という説は、明治の頃、白鳥庫吉などから論文
も提示されている有名な説である。


二人の共通点としては、
天照大神と卑弥呼は、女性の独身で弟が居る。宗教的権威をもっている。
大和と邪馬台国の音が似ている。など、類似点が多いという考察は、現代でも学会内で
評価されているが、そもそも卑弥呼自体の実在性や考古学的な遺物が発見されていないので、
考察の範囲に留めるしかない。


日本書紀では、崇神が四道将軍の派遣により、大和盆地内の王国からヤマト政権の日本列島
への広がりを初めて、実現したことを述べている。神武から開化までが、ヤマト盆地内での
政権の物語であることを踏まえると、日本列島での政治センターの本格的な機能が大和盆地
で開始されたのは、崇神天皇からと日本書紀から伺える。

近年の古代史の書籍では、邪馬台国を初期的な国家として考える学説も出ている。
人口の集中と、政治、経済、宗教のセンター機能の有無を評価することで
初期的な国家機能を認めるという考え方を邪馬台国に適応させるという考え方である。

以上から、日本の国家形成の萌芽を、ヤマト政権の3世紀後半に求める傾向が強く
出て来ている。つまり、国家形成では崇神天皇の時代にフォーカスされているである。

国家形成の発端というべきエリアは、奈良の東側の三輪山から龍王山に掛けての
狭い山麓の扇状地、所謂里山という地域から始まったことになる。
現地へ行ってみると余りに長閑で、意外な印象を受ける。
しかし、邪馬台国後の東アジアとの関連、縄文文化と弥生文化の消長などが、
この柳本遺跡、纏向遺跡からスタートしたのは、日本にとって良かったことの
様に思えるのでした。



当時のアジアで強国は、専制君主の中国だけである。
その強大な国に押しつぶされることもなく、高度な中華文化を受け入れつつも、
ヤマト政権独自の文化を育んだこの不思議な国へのエモーションは、何だったのだろうか?

スコットランド独立への民主的な選挙、宗教という名目で暴力への恐怖から国家を
運営しようというイスラム国などの世界の国家形成への報道に接していると、
中華文化や朝鮮半島文化に圧倒されながらも、漢字を独自の日本語へ流用し、
政治手法を真似ても宦官や科挙は、導入しないで独自の縄文文化を融合して行く
弥生文化を卒業した国家形成時の日本は、非情に逞しく、したたかと思えて来る。

先の見えない国家形成と大和盆地への見晴らしの良さの対比が、面白い山の辺の道だった。


いつ見でもいい。

先月末、高校の恩師、金井一雄先生が亡くなられた。
高校時代の3年間お世話になった。
古文の先生であった。
学業では落ちこぼれの私には、期待することが無い由縁で
大変穏やかに永くご厚誼を頂きました。
改めて、感謝を申し上げると共に、先生のご冥福をお祈り申し上げます。

先生は、退職後も、鶴岡市の市民講座で古典の講義をされていた。
年賀状を整理して、その文面から、古典の世界観から常に、日常を洞察
されて来たこと、温故知新を自ら実践なされていたことに改めて気づか
された。


年賀状を頂いて、すぐに解釈できず、古典を読み直した
ことが何度もあった。すぐに理解できない愚鈍さは
即、調べるという癖が、インターネットの仕事でも、
大変、有益であることを発見させて頂いた。
特に思い出が残っている年賀状をご紹介致します。
2008年では古今集、2010年では万葉集の情報が必要でした。

古今集年賀

万葉集年賀



私は、高校を1975年に卒業して、39年になる。
卒業後は、電子工学を勉強し、映像システムの会社で15年
セールスエンジニアとして企画立案、施工技術を経験した後、
ITシステムのサービス会社を興し、19年が経って現在に至る。
日常は、専門技術の情報を収集、整理し、仕事をしている。
その合間に、趣味として、日本古代史や古典に興味を維持して
楽しんで来れたのは、先生の影響が多大でありました。

年賀状の解釈の正誤は、直接先生には、お聞きしていません。
ここで私なりの年賀状の解釈を先生に、捧げたいと思います。

解釈の正誤採点は、私が、そちらの界隈へ、お邪魔した折に、
改めて、ご教授を、よろしく、お願い致します。


「2008年の年賀状の解釈」

これは、古今集 巻20と記載があるので、明白の様ですが
どうも単純ではない。

記載和歌
「青柳の片糸によりてうぐいすの縫ふてふ笠は むめ(梅)の花笠」
青柳を片糸にして、うぐいすが縫うという笠は、梅の花笠である。
という状況描写の様な和歌である。
巻20は、大歌所御歌という分類で、公式行事での歌を管理する
部署が整理した歌であるので、なんらかの祭祀的祝祭的テーマがあるの
だろうが、祭礼な本義や音節としての祭祀効果は、私には分からない。

このままでは、鶯と梅の花笠関係を語っただけの所でしたが、
古今集の仮名序を再度、読み直し、ハタと思う。
「花に鳴く鶯の声を聞いて、人は歌を歌う」
鶯の繋がりを調べてみよう。
古今集を読み直す。

巻1に、下記の歌を発見する。どうも先生は、この和歌から
公式に目出度い行事(=正月)での鶯にまつわる神の和歌を
読みなさいと言っていると推察した。
その鶯に託した本心、先生が伝えたかった和歌、意味であった
のではと推察した。

巻1 春歌

「鶯の笠にぬふといふ梅の花 折りてかざむ 老いかくるやと」

鶯が笠に縫うという梅の花を、折って翳せば この老いも隠れ、
春の陽気で(和歌)若々しく見えるだろうか。

(金井先生の解釈)
年齢を重ね、体は衰えてゆくが、春の気配に、心は若返る。
鶯の春の歌は、そのくらい目出度いものだぞ。
鶴岡で梅といえば、湯田川だぞ。
湯田川の梅林で鳴く鶯を想像してみて下さい。



「2010年の年賀状の解釈」

山はいい。青い山脈。とりよろふ山。いいものはいつ見でもいい。

とりよろふ山。という意味が解らなかった。
ネットで調べると、万葉集の巻第一に用例があった。
高市岡本宮に宇御(あめのしたおさ)めたまひし天皇(すめらみこと)の代
舒明天皇(629-641在位)が香具山に登って国見をされた時の御歌(長歌)

大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち ・・以下略

岡本宮は、現在の明日香村、雷丘(いかずちのおか)の近くにあった。
蘇我氏で有名な甘樫の丘の北側です。

そこからは、大和三山では、香具山が一番近い。雷丘の北側。
1Km程度、自転車で10分。標高153m


という事で、「とりよろう」は、「取り寄ろう」語義未詳であるが、
①宮からもっとも近いとの訳が、この長歌の多くの解釈では、
採用されている。

他の解釈では、②とりわけてよいさま。③すべてのものがあつまり整う。など

万葉集の本質的として、この語義未詳の語彙が沢山ある。
万葉集自体の編集方針は明確ではないし、また、伝承も含め、方言なども
そのまま採用されていて、語義の正確な注釈がないケースも多々ある。

万葉集は大伴家持(718-785)が編纂とは言われているが、家持は藤原種継
暗殺事件の首謀者として死後ではあったが追罰され、冠位を剥奪され、
埋葬も禁じられた。その為、万葉集も一時は、政治的に没していた。
逆に言えば、万葉集が800年頃、再評価されて、家持は恩赦で復権できた。

大伴家持は、陸奥出羽按察使として、多賀城で亡くなった説と、平城京
で亡くなった説がある。
金井先生であれば、多賀城説であったろうと推察する。

年賀状に戻る。
とりよろふ山は、とりわけてよい山。
大和三山に対応するのは、出羽三山に決まっている。
先生の青春時代の映画、青い山脈は、先生にとっては、出羽三山に決まっている。
大伴家持は、出羽按察使だったので、出羽柵で、出羽三山と鳥海山を見て
感動しているに決まっている。


(金井先生の解釈)
現代、時代の先端に進んでいると思っているグローバルビジネスは
語義未詳を切り捨てる事でしか、自己正当化出来ない詰まらない
ビジネスが主流である。
語彙未詳を切り取り拾い上げる勇気への評価が、
日本のグローバルスタンダード構築には不可欠であると断言出来る。

いいものは、いつ見でもいい。(万葉集に従い方言はそのまま採用)

1200年も掛けて多くの学者が研究しても語義未詳なものは、いつ見でも
語義未詳に決まっている。
だからこそ、そこから意味を見出す勇気を持ちなさい。

以上

ということで、古典の解釈に関しては、金井先生の影響に加え
自分勝手流が出来るので、今後とも邁進することになります。

古典を読むには、古代史(文献研究、発掘研究)時間系列の
再評価など情報解釈過程のコミュニケーション研究応用が必須です。

透明感という才能

RISA Plays CINEMA/キングレコード

¥3,240
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最近、関西のラジオなどで時々、耳にしていた
クロマチックハーモニカ奏者 南里沙さんの
アルバムが2枚同時に出ていたので購入しました。
買ったのは、RISA plays CINEMA というアルバム

南里沙さんは、宝塚市生まれで、神戸女学院で
オーボエを学び、在学中にクロマチックハーモニカに出会い、
多くのコンテストで入賞し、メジャーデビューし、関西の活動から
全国へとコンサートなどの活動を広げている27歳である。

(公式サイト)
http://southrachel.p1.weblife.me/index.html


今回のアルバムは、クロマチックハーモニカを
広める為の工夫がされている。
選曲が、1970年代から80年代のどからかと言えば
懐かしく、親しみやすい映画音楽を選んでいる。
もう一枚のRISA plays J-SONGSも、「時代」や「人生いろいろ」、
など、やはり1970年代の楽曲を選んでいる。

たしかに、定年後の趣味で、クロマチックハーモニカを
演奏するという年代を狙っているとは思われる。
昭和と青春が重なる世代の情緒にはハーモニカの音色の
哀愁は、良く合うのでしょうか。
はたまた、高度なテクニックに裏付けれた情緒豊かなビブラートでしょうか。

南さんの経歴からすれば、クラッシクから音楽の世界に入り
活動の裾野を映画音楽や演歌、ポップスへもレパートリーを広げているのは、
クロマチックハーモニカの演奏人口を増やしたいという思が強い事が、
番組などでのお話から伺える。

裾野の広がりは、その結果として、クロマチックハーモニカの
楽器としての音域の広さや、音色の効果を如何なく発揮していると思える。

ただし、わざとらしい「うけ狙い」ではない事が、アルバムの
南里沙の音楽性オリジナルとして発揮され、心地がよい。
多分、普段のミニコンサートなどでのリクエストへの対応から
増やして行った方向性と結果の古い世代のレパートリーが自然と
増えたのではと想像できる。

コンサートの様子を見ると年齢層が、団塊の世代が多いのである。
図々しくリクエストもするこの世代の、曲は、昭和で古い。

親御さんの年代をコンサートで相手にしているのである。
その古い楽曲をハーモニカで、再構成して、年配者へ届けるという
情報の自己解釈過程が機能し、本人の音楽性の帯域を広げている
ことが解る。

JAZZでは、トゥーツシールズマン リーオスカー
ブルースでは、ジミーリード、スティーヴィーワンダーなど
錚々たるハーモニカ演奏の個性豊かな大御所は居るが、南さんは何か違う。
多分、音楽の再生力と伝達力を自分自身の音楽に、極力、雑音を
排して自分自身の音楽性からの演奏を試みている点だ。
その素直な演奏と原曲に忠実なアレンジで、アルバムとして心地よいのかもしれない。

YouTubeで見つけた桑名正博の「月のあかり」。
関西テイストで、ブルージーなこの楽曲の本質である透明感を
見事に表現する才能を感じる。
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