どこかで見たこと読んだこと -3ページ目

世間ではよくある「正義が、、困ったことに」

白川静先生の「字統」からのご紹介。

最近、政治家の発言で他人を冒険的に傷つけたり、あえて誤解を
受け易い言説を使いながら、批判が増えると本意と違う言い出す。
自分を褒めないメディアには誤報があると非難する。
メディアも依怙地になって政治家の足を引っ張る。
この場面が多くなって来ているのが、気になっている。

つまり、政治家という庶民意見のイデオローグを
専門とする職業の人々が、最近、マスコミとの共生と
一人相撲の間を彷徨いながら声高の者だけが人気を
持つ傾向が気になる。

そして、アメリカから小言を言われると急に静になる。
右派政治家は、アメリカとは元来、仲が良い筈なのにどうも、
子供扱いされている。左派政治家には子供扱いすらない。
先の大戦の敗北で、アメリカから子ども扱いされるのに慣れて
しまっているのか、日本の政治家の類型として昔から困った
傾向である。

政治家は、憲法上、市民から権力を付託されているのだら、
権力実効理論の職業公人として、もっと自立し成熟して欲しい。
権力自体を自らの才能、能力と勘違いし、正義を我が物に
言するのは、グローバルな世界常識からは幼稚で、感情的な
精神のカテゴリーと安易に無視されてしまう。

人間の社会での正義とはなんだろうか?
社会一般生活の中で正しいと思われること、または、その合意の
中、普通に暮らせるという程度のものだろう。


その程度で十分だと思う。人間の言説など、通常いい加減で、
他人を簡単に傷つけるのが普通で、他者から正義の人だと
呼ばれることなど、日常では全くと言って期待もしない事柄である。
それでも、社会生活をなんとか楽しもうと周囲に気を配る、それが
普通ということであり、アバウトに正義である。

正義を我が物に言い張る政治家へ感じる見苦しさは、多分、
この日常の清濁合わせ飲む覚悟で、臨機応変体制いる実体が、
正義的正しさとの居心地の悪い「かい離」への羞恥心を
市民は直観として感じるからだと思う。

例:政治スローガン「世界に燦然と輝く新しい日本を作ろう」

何か恥ずかしい、何か違うと思ったら、なんと間違いがあった。

白川先生によると、「新」は、会意文字で「あらた」と読む。
だから、「新しい」は、正しくは「あらたしい」ということだ。
たしかに自然の流れから、言われてみれば、その通り・・
ごもっともだと思う。
「あたらしい」は、どこかの慌てものの言い間違いなのだそうだ。

正確に、物申すのであれば、「あらたしいにっぽん」である。
修辞的にも、歴史的にも、これが正しい。もちろん正義である。
しかし、だれが最初に間違ったか知らないが、「あたらしいにっぽん」
と読むのが普通の現代社会である。

普通であること=政治家が正義であること。という公理に本件を
当てはめると政治家は、誤報を恐れず「あたらしいにっぽん」と言う
べきだなのが判明する。これで、上記公理も、真として証明される。

しかし、最大の疑いは、こんなこと、アメリカ人にとっては
どうでも良いことなので、それで、「これでいいのだ」という
ことなのかもしれない(笑


困ったことに普通である事に飽き足らない現代の政治家の発言を
疑うことが、より正義へ近づける気がする。

5月の空には、風が似合う

木々が一番輝くときは新緑の季節
風に新緑が翻る。

木々に風は善悪の彼岸。

風に枝は折れる。

風に種は運ばれる。

幹は、枝を伸ばし、緑の葉は、更に伸びようとする。

光を探し、風に煽られ、ただ、光を受けるだけ。

$どこかで見たこと読んだこと



4月に「夢海路むかいじ」というCDが発売されていた。
演奏は、夢幻華紋(むげんかもん)

尺八の三橋貴風さんと映像音楽家の手使海ユトロさんが
組んだ伝統的なアジアの楽器を編成したインストの
グループだ。メンバーも固定していない。

今回のアルバムは、これまでの公演活動と東日本大震災への
鎮魂歌、支援曲なども含まれている。
一番有名な曲はのは、世界ウルルン滞在記メインテーマ。

日差しが熱くなるこの風の季節感に非常に合っている。

各曲には、日本語と英語とのタイトルが付いている。


7曲目が「善悪の彼岸」~Beyond Good and Evil~

9曲目が「光を探して人は彷徨う」~Nomad Song~
これは、ウルルン滞在記のテーマ曲のヴォーカルヴァージョン


しばらくは、このCDと共に暮らすことになりそうだ。


葛城一言主神社

どこかで見たこと読んだこと-吉兆か?到着時にハロー現象

葛城に到着すると太陽のハロー現象。吉兆か?

$どこかで見たこと読んだこと-一言主神社

葛城一言主神社



古墳時代とは、西暦200年頃から始まり、仏教が伝来し始めた
西暦500年頃までを考古学では呼んでいる。
弥生時代が終わり、魏志倭人伝で紹介された卑弥呼が
活躍した頃である。最近の考古学の発掘で、箸中古墳を中心
とした纏向遺跡に大規模な宮殿跡が出て来て話題になっている。
纏向型前方後円墳全国に広めた都市として探求が続けられている。

古墳は、首長霊継承の祭祀としてヤマト王権の継承儀礼の場でもある。
後の天皇制での大嘗祭の根幹をなす儀礼の始まりと捉えることもできる。
古墳時代のヤマト王権は、纏向で始まったと見ることも出来る。
この纏向のヤマト王権は、強権の覇者が居た訳ではなく、まるで
民主主義のように連合共和国として祭り上げられた王である。
その為、現代との同質性もあいまって、思いのほかフォーカスが
合わせにくい。
それは、4世紀の中国との交流の断絶により、忽然と中国の
歴史書から消えているのが最も大きな原因でもある。

纏向でもう一つ宗教的な場所は、三輪山がある。
現在でも神聖な場所として山頂へは限られた人しか行く事が出来ない。
大物主大神が山ごと祀らている。この神は、地主神で弥生時代から
この地の神であった。
そこに太陽神、天照神系列の大己貴神(大国主命)が祀られる。
連合国家ヤマト王権の主神である。三輪山での合祀は、ヤマト王権が
倭国を全国に伸長させる政治手法を生んだとも思える。

武力のみで地方の豪族や弥生文化国家をヤマト王権へ征服するよりも、
地元の地主神と主神を習合させることで、豪族を取り込んで行く。
これは、中華の徳治主義とも異なるヤマト王権独自の拡張手法でもある。
これで、明治維新まで、日本では各藩を国という発想でいた。
現在でも権力欲で政治家になると、選挙区を国元と呼ぶのが面白い。

陰陽神仙思想での2元習合のプロトコルとも言える。

古墳時代が飛鳥時代に替わると、首長霊継承の儀礼は、寺院へと替わる。
最新のイデオロギーへプロトコルを古墳から寺院へ乗せ換えただけとも言える。

日本の民衆の仏教は、法然らが出て来るまで、待たなければならない。
王権の政治プロトコルでの首長霊継承は、地主神と王権主神の習合で
地域に浸透して行った。

それらの原型は、奈良盆地に残っていた。葛城の一言主神社である。
元々は葛城氏の神であった一言主が、雄略天皇により認められ
若武尊(=雄略天皇)と習合される。この神社には、神武天皇に
抵抗した土蜘蛛を封じた石なども残っている。
これは、奈良盆地でヤマト王権へ豪族の葛城氏が、連合したことを
示すのであろう。
ヤマト王権は、東へ東へと覇権を広げていったことが伺われる。

もし、天照神を主神としたヤマト王権と邪馬台国の卑弥呼が、
関係しているのであれば陰陽の神仙思想というプロトコルであろう。
シャーマン、巫女は、自然と王権を繋ぐプロトコルであったと想像出来る。
二律背反を習合させるのが目的であった。

古事記、日本書紀で卑弥呼は記述されない。
王権に反旗を翻した者は、抹殺されるのは当然である。
連合王権から覇権を日本国として実現し、律令国家となった天皇制には、
二律背反を解決するシャーマンは、黙殺すべき分類と想像できる。
しかし、そのプロトコルは、各地に神社として残ってしまっている。

消えた文章と日本のスポーツ界

東京オリンピックで、国立競技場に日の丸の旗を上げた選手は
マラソンの円谷幸吉ただ一人であった。
2020年に再度東京で、オリンピックが開催されても、国立競技場で
国旗を揚げることは、容易なことではない。

円谷選手は、元々トラック競技の選手であった。
マラソンは1964年オリンピック開催年に3度走っただけの専門外で
周囲の期待は、それ程、高くはなかった。
君原選手の方に大会前の期待が集中していた。

結果は、トラックでイギリスのベイジル・ヒートリーに追い抜かれは
したが、堂々の3位で、表彰台に上り、国旗の掲揚を見上げた。
一夜にして「英雄」となった。
自衛隊の陸上部に所属して、英雄になったのだから、精神的にも
大いに高揚感を得たことが想像できる。

この結果、4年後のメキシコオリンピックでの活躍に国民的な期待を
一身に集めることになった。
競技の成績は、腰痛の悪化もあり思うように得られない。
ピークは東京だったのではという声が聞こえて来た。

また私生活では、結婚を約束した女性との付き合いを陸上の上官から
オリンピックが終わるまで禁止された。

1968年正月帰省すると、その女性が他の男性と結婚することを知らされた。
1968年1月8日 円谷幸吉は、後に有名となった遺書を残し、一人この世を去った。

ここまで、書いて最近問題となっているスポーツ界の指導者による暴力の問題は
この当時と同じ構造を持っていることに気が付く。

自衛隊での円谷幸吉の指導者は、上官でもあった。
戦闘の際の命令系統は、生還する上で、重要である。

それとスポーツの指導が混在している。
女性との付き合いを禁止するというのは、精神的な支さえを無理やり折ることである。

自らが望んで記録や動作に挑戦しないと成績は伸びない。
同じメキシコでボクシングで銅メダルの森岡栄治は、正にその栄誉に輝いていた。

指導者が、コントロールするべきは、本人の成績へのモチベーションである。
圧倒すべきは、相手選手でなければならない。

日本人は、スポーツ選手の集中力とモチベーションに興味を持たなければならない。


円谷選手の有名な遺書に、上司への言葉も残されていたのをネットで知った。
原文は、血糊が付いても判別できない訳ではなさそうだ。
有名な前半は、両親への思い、家族への思いが、確かに深い哀切と共に書かれている。
それに対比して、最後の4行は、余りにも事務的だ。
つまり反抗的だ。これが、円谷選手の言いたいことなのだろう。
世間は、なぜ、最後の4行を載せないのか。
期待を煽った上官やマスコミが円谷選手の反抗を感じたからではないだろうか。
その自省無き、スポーツへの煽りが、指導者の暴力を隠ぺいさせて来たのでは
なだろうか。

これからは、全文を遺書として掲載すべきと感じる。
そう思いながら、「一人の道」を聞きながら、円谷選手のご冥福を祈る。


「遺書」円谷幸吉 1968年1月8日
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。
干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。
モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

校長先生、済みません。
宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません。
企画課長、お約束守れず相済みません。
メキシコオリンピックの御成功をお祈り申し上げます。

神は過去にいる

$どこかで見たこと読んだこと


2月8日江副浩正氏が亡くなられた。
2年前に読んだ氏のリクルート事件への回顧本の感想をブログにも書いた。
改めて、江副氏の事件を思うと、日本の停滞の予兆を感じる。

ダイナミックな経済人とは、政治家と交流が生じる。
国家のプロジェクトと共に経済活動を集中させる経済は、韓国や中国の
経済成長を見ていれば、今であれば当然と誰もが言うだろう。

言えば、国家にプロジェクトを内示するのが、経済人の矜持とも言える。
しかし、癒着と国民が見ると、経済人と政治は、凶弾される。
国民はどこで知るのか、それはマスコミである。

その癒着に不公平感を感じる報道があった場合、その関係者は
自動的に反社会性の種族として囲い込まれる。
悪い人というジャンルへの固定化である。

検察は、悪い人に固定化された人に、罪を設定する努力をする。
曰く、世間が許さない。

日本のプロジェクトの硬直した現状
内部、外部を問わずプロジェクトに嫉妬した人が、足を引っ張る。
結果、無気力な仕事へと変容し、自省なき惰性へ向う。

自省無き未来は、夢でしかない。
計画を遂行して反省がなければ、未来はない。
プロジェクトの推進は、未来に対して孤独な作業である。

江副氏は、著作で、自分自身が孤独だったと反省している。
しかし、私は、この孤独を反省する必要は無いと思う。

その理由が、会社の将来を考え、個性的先見性の高い有能な人材を集めて
いたことに由来するからだ。
その有能な天才達に、江副氏は負けない様に一人孤独に努力や挑戦をしていた。
会社では、社長を超える人材は育たないというのが、私の持論である。
社長より有能な社員は、会社に残れない。

江副氏が常に成長していなければ、優秀な人材を集めることが出来ない。
それは、強迫概念も含めた、ダイナックな成長過程を生む源泉である。
そのダイナミズムと資本主義が連動している限り、経済は成長過程を
内包する。結果、リクルートからは有能な人材を生んでいた。

江副氏が孤独だったと回想は、反省点ではなく、成長へ向け戦っていた
証左でしかない。

国家プロジェクトと成長へのダイナミズムに、国民が嫉妬した事件だった。
江副氏に続き、日本に国家プロジェクトにダイナミックにコミットする
ベンチャーが育つ芽を断ってしまった。

リクルート事件をグロバール化の遅れの原因として検証するエコノミストも
出ることもなく20年も過ぎ、江副氏は亡くなった。

「未来にベンチャーの神は居ない。確かにいるとすれば、それは過去にである。」
孤独であった江副氏に奉げたい。