どこかで見たこと読んだこと -35ページ目

岡林信康「レクイエム」

レクイエム~我が心の美空ひばり~/岡林信康

¥3,000
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50歳代の世代には、岡林信康をフォークの神様とマスコミに
呼ばせたことに多少の罪悪感がある。
音楽産業に関して、若い世代は、当時の文化への影響力の強さが、
良く解っていなかった。個人的な趣味と、たかをくくっていた。

マスコミに偶像化された歌手の心の中の息苦しさは
その当事者以外には計り知れないという思いやりが無かった。

NHKのSONGSで、ピアノ山下洋輔、ギター平野融らの演奏で
岡林信康が山谷ブルースを歌っていた。素晴しいセッションだった。

歌を醸成した時間のブルースです。美しいセッションだった。

岡林信康が、偶像として=役割として、歌う必要が無くなるのに
長い時間が必要だったのだろう。

先月リリースされた岡林信康の最新アルバム「レクイエム」は
美空ひばりのカバー曲アルバムである。
今、流行のカバーアルバムであるが、山下洋輔が参加していること
からも想像できるとおり、時間の背景のスケールが大きいカバーである。

美空ひばりのボーカリストとしての幅の広さ、レベルの
高さを再評価させるアルバムだと、岡林は言う。

最後の曲、「レクエム ~麦畑のひばり~」は
加藤和枝(美空ひばりの本名)から35年前に送られてきた詩に
作曲されたと岡林信康は述べている。

歌詞は、明るいとは言えない、「暗闇深くひろがり 遠き死の谷が」
と、美空ひばりの華やかさとは、対極の暗さがある。


女王と比喩された美空ひばりの心の生き様を見せられたようで
その詩には、神様 岡林でさえも、楽曲化は、至難の業だった。
女王の死に様を見届け、加藤和枝の心に思いを馳せてようやく
35年の月日を経て、作品となった。

山下洋輔は、日本の音楽史に残るアルバムとして参加を
快諾したという。
この曲が、良いか悪いかという問題は通り越し、はじめから
日本の歴史の歌となっているのです。

試しに一度、聞いてみては如何でしょうか。

音楽業界から偶像として、担がれていた二人が、1975年頃
お互いの立場を知りながら交流していたのは、偶然という
より何か、運命というものなのだろう。

元々、楽器や謡、詩は、神々と人々の交流が目的であった。
その本来の目的に近い歌が、2010年に発表されたということです。

昔の香り


どこかで見たこと読んだこと-梅の香り

故郷とは、再び訪れる場所。
その場所が自らの遠い思い出と重ならないと
心落着かないのは、止むを得ないこと。

普段、その場所に居ないで、変化があったからと
嘆いたところで、故郷は日々生きているのだから
仕方がない。

もしも、留めおきたい、留めるべきものがあるのなら
それは、今、この場所から始めることもできる。

そうなのだろう、多くの裏切りと失望は、僅かの希望と
適当な賛辞を拠り所に、孤独な心の内に償われて行く
ものだろう。

損害を補えず、喪失を補填できず。
蓄財もままならぬ。人生、存在の意味を苦悩する。

心に浮かぶ花の儚い香りが、その無様な背中を押す。

そんな思いを、まだ寒い梅林で感じていた。


「人はいさ 心も知らず ふるさとは
       花ぞ昔の香に にほひける」 紀貫之


梅や杏など、実のなる樹木は、保存食の蓄え、薪として
植えられて来たものだろう。
戦乱、強盗、誘拐、凶作、貢物、争いの中での生活。
安全とは程遠い民の生活がその歴史にはあった。

人を呪い、恨み死ぬことも、多々あったろう。
しかし、生き残った人々の多くは、先祖神を祭り、
仏に祈った。その場所へも、同様に木々を植えた。

拠り所は、遠い遥かな思い出、先祖、神、浄土。


政治は、沖縄の基地問題を解決すると言いながら
明確な答えが出せないでいる。
日本政府は、辺野古基地起案から10年以上現地の反対も
先送り(放置し)ここまで来てしまった。


そもそも沖縄での米軍の事故、事件を防ぐ意味は
いつから忘れられたのだろうか、沖縄地域振興と
新基地造成を安易にセットにしたことは、忘れよ
うと画策しているのではと疑いたくなる流れだ。

沖縄県の基地問題を考える時は、安全保障と地域産業の
振興という計画も施策されねばならない。

沖縄人は、歴史的に日本列島と繋がり、中国大陸と
繋がり生きて来た独自の民族です。

沖縄県の問題は、東アジアで日本が安全保障で何を企画
するのかでおのずと注目されている。
実のなる木々は、生き残って来たその地域の安全保障の
誇りの香りとなった歴史がある。

政治家、行政官が、日本の安全保障という実のなる木の
育て方を知らないのではとの疑いが出て来た。
彼らは、シンクタンクを持ち、情報を持ち分析し、答えが
出せない。情報不足なのではない、能力が低いのでもない。
香りのあるローカルな情報を無視する傾向があるだけです。

あなたなら、なんの木を植えますか?



どこかで見たこと読んだこと-梅の林



沙羅双樹の花の色



どこかで見たこと読んだこと-沙羅双樹



沙羅双樹の花の色に喩えられた盛者は、平家であったが、

今は、トヨタ自動車、小沢一郎、朝青龍という感じです。
彼らが、「民間の憂うる所と知らざりしかば、久しからずして
亡じにし者達」なのであるかは、論証途中だが、「必衰の理」
の適応事例へ、物語を押し込もうとしている雰囲気も感じます。


ハイブリッド車、反米反自民政権、勝負のみに徹した横綱
たしかに、既成の概念を覆す思いに根ざした者達なのです。
しかし各分野での合理性から論証して、この程度で、反体制として
括れるほど、高度な思想や理論があるのかは不明なところです。


朝青龍は、引退会見で、思い出の取り組みと聞かれ、
三役時代に横綱武蔵丸を倒した事だと言っていた。
正に、アメリカから来た黒船の横綱を、スピードと技で
倒して、朝青龍が横綱を目指す切っ掛けとなった勝負でした。


ハイブリッド車のトヨタは、アメリカの自動車業界を圧倒
しそうな勢いがあったので、リコールへの集中砲火。


アジア外交に軸足を移す気配の民主党の実力者、小沢一郎は
自らの政治資金団体の経理から、検察の強い追求を受けた。


みな、アメリカに対抗したい思いを持った者達とも言える
特徴はあることは、理解できるし、その点は、評価もできます。


しかし、彼らが会見で、明言している相手は
トヨタの場合、市場の声。小沢一郎の場合、世論。
朝青龍は、大勢の方々の声なのです。
ここがローカルで、海外では、異臭なのです。


これらは、日本的にまとめて言えば世間の声ということです。
毎度お馴染みの世間とは、規模も構成要因もはっきりしない、
会員資格もない、見えない声です。この世間は、日本人ばかり
ではなく、諸外国やマスコミ論調や飲み屋での談笑まで
含まれ益々見えないし、見極めようようともしないイメージです。
言葉の責任逃れとして都合の良い「見えない世間」なのです。


沙羅双樹とは、インドや東南アジア原産の木で、一つの根から
二股の幹を持つことから双樹と呼ばれています。
2~3年に一度しか花は咲かず、開花を見ることは、大変
まれで、珍重されます。

釈迦が入滅した時、四方に沙羅双樹の花が咲き、白い色に
変色し、鶴の姿に変わったのだそうです。


「必衰の理」の事例にしては、大変貴重なものであることが
面白いです。日本のそこらじゅうにある梅や桜でも良かったと
思うのです。


平家物語を詠う琵琶法師は、多分、見たこともない沙羅双樹の
花の色を引き合いに出して、人々を完璧に魅了したのです。
日本人は、語るほうも、聞くほうも、見たことも無い花の
色の変化を、その時々の勢力争いでの強者の運命を予想して
共同幻想で楽しむ人々、正に落語に出てくるすこし慌て者の
町の人々そのものなのです。

琵琶法師に、沙羅双樹って何?とは、聞いては失礼というのが
「世間」です。それを糺す人は、日本の植生にない木なのに
日本人扱いされないという不条理を味合う羽目になるのです。


この世間の声というお気軽な共同幻想が、不況の反動で活性化すると、
その不安の伝染性から合理性を忘れるヒステリーを発症する国民であることは、
終戦の日以外でも時々思い出し、自覚しましょう。


不況で不安な時は、政治的な考えを敢て試み、相互に批判し、
日和見的でも構わないので、意見を交換するべきです。
自己の意見を世間の前で修正できなくなる人が、従来の島国型の
日本人です。いやが上にも、グローバルな世の中です。
今の日本では意見を積極的に生み出す独自性、先見性が大切です。

見たこともない沙羅双樹の花の色で、周囲を納得させることが
できる先見性であれば、それは慣用句、比喩として意思を強調
する政治的アジテーションにもなるのです。
もっとグローバルな政治的演出用語を創造しても良いと考えます。

新説:普天間問題


どこかで見たこと読んだこと


普天間基地問題での提案


今年の5月までに移転先を決める為、現在ゼロベースで
検討をすると鳩山首相は述べている。

昨年末に、岡田外相が嘉手納基地統合という私案なども
出てきて沖縄県外という民主党の選挙マニフェストでの
理想論も、なし崩し的に混迷を深めている。

更に名護市市長選挙で、辺野古への普天間基地移転反対
の市長が誕生し、地元住民の反対という民意要素も加わり
基地の移転を難しいものにしている。

日本国民は、この問題を真剣に考えなければならい課題です。
どうもメディアは、政府や首相の政治課題として、高見の見物
という論調です。
この問題は、ここにこそ、問題があると私は、考えます。

大前提が論点から抜けているのです。

1)日本とアジアにおける安全保障の問題としてアメリカ軍を
軍事的に認識する必要がある。
2)沖縄にアメリカ軍の基地が集中することを改善する。

以上が、大前提の目標なのです。

ここから考え始めると、辺野古へ新しい海兵隊の基地を作る
ことは、アメリカ軍の将来の再編計画と、日本国内での米軍
新基地を容認する意味から計画案としては、白紙に戻すべき
です。

海兵隊の基地の問題と、飛行場(ヘリポート)の問題は
分けて考え、アメリカへ提案を検討すべが、日米間の正しく
お互いの国益、韓国、フィリピンなどアジア安全保障に影響の
ない交渉ができると考えます。

基地移転ではなく、
1)基地は統合
2)兵站、訓練飛行場を新に増やす。
米軍海兵隊の活動の本質を支援する計画でないと実現しないと考えます。


先ずは、普天間の"基地機能の移転"が 日米両国の政府間
合意事項とは、1996年SACO(沖縄に関する特別行動委員会)
での最終報告書の中で普天間に関する特別作業班の3つの具体的
代替案があったことを再確認する必要がある。
(1)ヘリポートの嘉手納飛行場への集約
(2)キャンプ・シュワブ(辺野古)におけるヘリポートの建設
(3)海上施設の開発及び建設について

SACO特別作業班が案を作成した時期は、2001年以前で
アメリカがテロ対策へ、軍事行動の方針転換する以前だった。
ある意味で、アメリカと普天間基地の返還を協議するには丁度
良い時期であったので、今は時期を外しているのです。

現在は、アジアでの対テロの軍事活動が沖縄のアメリカ軍の
性格も大きく変えている。


その沖縄本島内部での普天間は、嘉手納空港と那覇国際空港
とは違い、海兵隊の航空基地、飛行場という性格である。

飛行場としては、沖縄の伊江島にも米海兵隊は、訓練場として
保有はしているが、普天間がある為、未整備です。

米軍沖縄海兵隊の普天間の基地機能と飛行場の機能を分けて
返還を考えればアメリカとは協議する点が見えてくるわけです。

もう一度、SACOの3つの具体案を読み直してみよう。
基地機能の移転と言っているのである。アメリカは、将来、
海兵隊としての基地機能は、移転、統合する予定なのです。
これはグアムへの基地統合を示唆する将来像なのです。

つまり、普天間を基地として返還することは、計画上の範囲
なのであり、アメリカからすれば環太平洋の軍事基地の再編は
冷戦後の軍事費削減の方向では、避けられないことなのです。
しかし、アジア太平洋のシーレンで軍事的な効果が低減することは、
アメリカは望んでいないし、韓国駐留アメリカ軍の再編と相まって、
効率的な編成と戦略を沖縄周辺友好の各国へ担保したいのです。

アメリカの台湾政府への武器輸出は、沖縄の基地環境の変化と
密接に関係しています。

日本は、安全保障上、このアメリカの基地再編と軍事力の維持
には、協力関係を保持する必要があるのは当然です。

そこでは、基地の移転を問題視する必要はないのです。
SACOの具体案でも、飛行場をどうするのかということなのです。
普天間の返還と、飛行場の整備、訓練飛行場の増設整備をセット
で、計画を提案すべきなのです。

飛行場の支援は即応体制であり、整備は継続体制です。
更に、軍事訓練が並行的に飛行場には期待されるのです。

普天間の場合は、航空機でもヘリを主力である点が特徴です。
戦闘機は、既に岩国基地へ配備されいるからです。

第1海兵航空団司令部飛行隊
36海兵航空群普天間航空基地飛行隊
第36海兵群第152海兵給油輸送飛行隊
第36海兵群第262海兵中型ヘリコプター飛行隊
第36海兵群第265海兵中型ヘリコプター飛行隊
第36海兵航空群軽/攻撃ヘリコプター飛行隊
第36海兵航空群重/ヘリコプター飛行隊
第31海兵遠征部隊第262及び265中型ヘリコプター混成飛行隊


戦術的重要性は沖縄の位置にあります。太平洋における戦略
中心地とシーレーン(海上交通路)に近接しております。
と、第三海兵遠征軍のホームページでは沖縄の兵站基地として
パフォーマンスを誇示しています。

アメリカという国は、合理主義の国です。
1996年頃は、普天間は、嘉手納と基地としては統合するのも
課題解決策としては、一つの候補だったのです。

将来のグアムへの大再編への準備としては、既定の路線だった
のです。そこに日本政府からの辺野古案が出たので、それに
乗っただけです。
もし、米軍海兵隊の基地が、沖縄から全て、グアムへ移動しても
沖縄の基地がなくなるのではなく、作戦本部機能がグアムへ移動
するだけのことです。
現在の沖縄の海兵隊の規模からすれば、伊江島の飛行場が整備
され普天間基地を移動させれば、アジア友好国への安全保障に
も影響は全く出ません。

問題は、訓練、支援施設としての飛行場の確保の問題です。
岩国、横田、三沢では、現在以上の訓練増は、空軍との問題
もあり現実的ではありません。
今後、沖縄から岩国、三沢へ主力装備は移動してゆきます。

岩国、横田、三沢を支援する訓練飛行場を日本が、提案すれば
良いのです。

現在、各自治体では、赤字の空港を抱えています。
この赤字空港を、米軍海兵隊へ岩国、横田、三沢への訓練支援
飛行場として、貸し出し、兵器庫の保安は、米軍と自衛隊の
共同管理とすればよいのです。基地の提供ではなく、支援空港
の増設となるのです。
訓練支援空港ですので、宿泊は、周辺の民間宿泊施設を利用
すれば新しい設備は最小限で済みます。
有事の際の利用は、事前協議の対象空港にすれば、対応は可能
です。

乱造した地方空港は、路線の拡大の望みは少ないのです。
折角の開発した周辺地域や施設を、みすみす、赤字を累積
させる必要があるのでしょうか。

もし、地元の軍事利用に反対する声が上がれば、沖縄の
普天間周辺住民の苦痛の僅かの分担であることで、理解
して頂けると考えます。それも反対するのは、地域エゴ
として世論に問えばよいと考えます。

海兵隊の性格上、海岸線に近い空港であれば、より訓練の
オプションが増えます。これは沖縄米軍にとっても一番
望ましい姿ではないでしょうか。

現在、赤字を抱えて、自衛隊が使っていない海岸に近い空港は
「佐賀」「関空」「神戸」「中部」「庄内」以上空港は
海岸線に近い海兵隊向きの訓練が可能な空港となります。

「佐賀」は、伊江島の支援
「関空」「神戸」は、岩国の支援
「中部」は、横田の支援
「庄内」は、三沢の支援
として位置づければ、沖縄米軍のみならず、アジア環太平洋の
シーレーン確保、安全保障の向上に繋がり、新しい基地は
全く作らずに実現できます。

自治体の首長では、橋下知事が「関空」の活用に積極的です。
沖縄の県民ばかりが、日本の安全保障、アジアの安全保障で
訓練飛行などの騒音で苦痛を感じているのであれば、日本
国民は、皆で、その痛みを分かち合うのが、正論だと思います。

普天間基地司令官(第3海兵遠征軍司令官)は
テリー・G・ロブリング米海兵隊中将ですが
ランサーの一員として「トップガン」コースを受講し岩国へ
2度展開した実践パイロットです。訓練飛行隊の司令官も
歴任しています。上記の空港の訓練飛行のオプションの
増加は、評価できるものと理解されると考えます。

特に、庄内空港は、朝鮮半島の状況に即応する距離にあり
日本の自衛隊においても有意義な合同訓練が可能であると
考えられます。

各自治体の飛行場へ米軍機が飛来することは、沖縄の基地
問題を全国で共有することに繋がり、また軍事的な安全
保障の意味を耳と目で体感するのは、政治的に成熟する
地方自治には大変有意義なことだと考えます。
目の前にあるものが、日米安保の本質なのです。

以上の計画案は、普天間返還問題なのです。
各支援空港の弾薬の貯蔵と保安は自衛隊の活動として
認められる範囲です。

・米軍に新しい基地は、提供しない。
・沖縄の県民の痛みは、国民で分散する。
・赤字空港の活用と、周辺施設、雇用の活性を図る。

この3点を統合した「普天間返還計画2010」と呼びます。
是非、政府、行政で、普天間基地問題に係わる方々への
参考になればと考え、ご提案致します。


2010年1月28日 立案者 CRANE 
私が作成したオリジナル計画であることを証明する為
二つのブログに同じ内容で掲載致します。



どこかで見たこと読んだこと

小沢氏会見


どこかで見たこと読んだこと-小沢氏会見


なんじゃこりゃ?東京地検特捜部!
参考人聴取された小沢氏が、「資金団体の経理は知らない」と
元秘書の証言と反する会見を疲れ気味にしていました。
小沢氏の秘書切りの方針が確定した会見でした。

聴取という詰めの捜査活動を終わって、次回の聴取すら確約
させていない特捜部。これで幕引きならば、今回の特捜部の
活動は小沢氏の秘書、元秘書を逮捕し、トカゲの尻尾を切って
収束することになる。

小沢氏と検察の密会で、終わるのか?こら!

行政機関である東京地検特捜部のこれまでの小沢氏への捜査は
ただの官僚の権力誇示となってしまう恐れが出て来た。
リーク情報に躍らされたマスコミなどは、全くの笑いものなので
続報なども少なく、意気消沈ぎみです。

特捜部も手が出せない小沢幹事長を演出する権力抗争劇が国民の
悲劇とならないことを祈るばかりだ。

拮抗した権力の談合が、日本の庶民史では、不幸を生んで来た。
多様な権力を並存させるセンスが、日本人には欠けているようだ。
多様性とは、孤立することも辞さない高い独自生活能力のことである。
特に、権力の中枢に居ると自身が権力と思い込んでいる官僚や、
政治家は、国家戦略という名の戦争で、自らが銃を取ることがない
ことは、もっぱら、日本の権力者の流儀である。

庶民にとって迷惑なことは、ただ権力を保持する為の権力の談合は、
権力集団が、殲滅を希求する孤立した寂しい一本の木となることだ。

今、特捜部の各職員へ願うのは、個々に高い生活能力があることです。
秘書や元秘書を苛めても意味が無いのはこれで判明したのです。
小沢と言う政治家の大樹を倒す気があるのなら、多様性を持った
戦略で公正な捜査と逮捕を実現して欲しいものです。
(そもそも税金の政治資金で、政治家個人秘書の住宅兼事務所で
土地や建物を建てるのは政治資金法に禁止されても良いのではない
だろうか?それとも、選挙に落ちたら国に返してくれるの?)

情報リークでピエロ役のマスコミは、今回の会見で、小沢氏という
大樹のコネを探す嵌めになり、政治と金問題には、コネが見つかるまで
トーンが下がる一方です。これまた日本の社会生活の規範としての政治
意識の鏡なのだろう。

もちろん、マスコミを笑っている場合ではないのは確かです。

世界は、小沢氏が日本政治の実力者と見ているのです。


このままでは、日本国民の世界観など、もともと持っていないことがバレ

エコ政策など企業エゴと区別の付かない絵空事に終わります。