どこかで見たこと読んだこと -27ページ目

井上ひさし「絶筆ノート」

文藝春秋 2010年 07月号 [雑誌]/著者不明
¥750
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「いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から
軽んじられる。」

「先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば
未来は見えてくる。」

井上ひさしさんが昨年末にガン闘病中あることを公表
して今年4月9日の夜に亡くなるまでの、ノートやメモを
奥さんの井上ユリさんが、絶筆ノートとしてまとめた文章が

文藝春秋7月号に掲載されていた。


まず、驚くのは、残された文字の少なさである。
闘病の辛さが解る。また進行性ガンの転移の早さである。

診断を受けてから5ヶ月余りであった。

この体調の酷い井上さんが、残した言葉は、
東京裁判の見直し、自省を国民に促すものであった。
井上さんが人生の折々で述べている考え方であった。

私も、未来を考えるのであれば、過去の事実を再認識
する過程を必要とするというロジックに、賛同です。

未来は、過去から蘇るのだ。過去のブログでも述べた
共通可能性への概念と同じである。

井上さんは、山形県川西町の出身、ふるさとへの思いを大切に
していた。7年前に川西町のフレンドリープラザを訪問した。
井上さんが企画した劇場、遅筆堂文庫がある。

「遅筆堂文庫堂則」の一文(下記掲載)は
「我等は只今より書物の前に坐し、
読書によって過去を未来へよりよく繋げんと欲す」と宣言されている。


今年、オープンした鶴岡市立藤沢周平記念館には、
藤沢周平さんと深い親交があった井上さんとの写真と
海坂藩シリーズ本から井上さんが起こした海坂藩の町の
絵図が展示されている。

物語から形を作るのは、ふるさと、遠い過去への憧憬、強く深い自省を
持たねばならない。


遅筆堂文庫堂則



どこかで見たこと読んだこと
(C)川西町フレンドリープラザ 遅筆堂文庫

映画「クレージーハート」

クレイジー・ハート~オリジナル・サウンドトラック/サントラ
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映画「クレージーハート」監督スコット・クーパー初監督作品

キャスト
バッド・ブレイク:ジェフ・ブリッジス
ジーン・クラドック:マギー・ギレンホール
ウエイン:ロバート・デュバル
トミー・スイート:コリン・ファレル

スタッフ
原作:トーマス・コップ
プロデューサー:ロブ・カーライナー
音楽:T・ボーン・バーネット
スティーブン・ブルトン
映像監督:バリー・マーコウィッツ


スコット・クーパーは、俳優で、本作品にも出演のロバート・デュバルを
師匠と仰ぐ、映画監督は、今回が初挑戦。

50代後半になった新作が出来ない落ちぶれたアル中カントリーシンガー
バッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)が、音楽記者ジーン
(マギー・ギレンホール)との恋から、新曲を生み、人生を変えるお話。

アル中の孤独な老シンガーをジェフ・ブリッジスが見事に演じる。
アル中でもステージに立つと、やたらとカッコイイ。

マギー・ギレンホールも、4歳の男の子を持ったシングルマザーを
知性と情熱的な雰囲気をバランスをもって演じて、心が惹かれる。


50代となり、落ちぶれている。
離婚や恋を経験したロクでもない50代男性にとって、この映画は身に迫る。

恋の出会いで人生が変わるのではなく、その恋を諦めた時、人生が変わる。

カントリーの音楽は、人生を歌い、心に沁みる。
この映画のテーマソングは、The Weary Kind 



ホメオスタシス


どこかで見たこと読んだこと



ホメオスタシス
生物学での恒常性。生体の内部、外部の環境因子の変化に、生体の
状態を一定に保うとすること。
体温調節などがそれに該当する。例えば、病原体が熱に弱いという
特性から、病原体が体内に入ると発熱して因子に抵抗する。


ホメラレタイ欲望も、ホメオスタシスである。
宮沢賢治は、「雨ニモマケズ」で、
(ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい)と、
言って、性格の温和な日本人からホメラレている。
このロジックは、芸術心として確信犯であるので、非難する様なことではない。が、
事実は、そう甘くはない。

ホメラレタイ欲望も、ホメオスタシスである。
他人からホメラレタイの自分自身のイメージ(頭が良い、指導者、演技力、
容貌など)と、外部からの評価が合致すると、その時は嬉しい。人間という
生物をやって行く自信にもなる。
しかし、外部から過剰な評価が来ると疑う。ホメラレタイ欲望を満足させる
ことは、数少ない、逆の非難や無視の方が、圧倒的に起きる確立が高い。


ホメラレタイ欲望ホメオスタシス論からすると、これで合っている。
反復性の評価や、惰性の評価に、有能なスターが、記事を疑い、自分には
才能がないと理解し、ホメラレタイ欲望をマイナスに振らすのは、よくある
出来事です。

ホメラレタイ欲望が、全く外部から評価されず、無視された場合は、
もっと簡単です。
評価されないと自信をなくし、それも広範囲の才能に及ぶと、人間という
生物をやって行く意味すら解らなくなります。その際は、さっさとホメラ
レタイ欲望、そのもが無かった様に振る舞い、全く世間を気にしていない
風を着飾れば、ホメラレタイ欲望そのものが無かったことにもできる。

以上の考察から、人間のホメラレタイ欲望は、外部からの評価
(心無いお金でも可)はホメオスタシスの性質を持って、人間の心に存在する。


せめて子供の時ぐらい、ホメラレタイ欲望を正規に満足させてあげないと
個性が伸びない。5歳児位に成長すると、ホメラレタイ欲望が個性をもった
ホメオスタシスになって行く。
この頃に、ホメラレタイ欲望が0付近にホメオスタシスする個性を伸ばせる
人生を歩ませないと、+50や、-80にバイアスされたホメラレタイ欲望ホメオ
スタシスでは、周囲にストレスが掛かります。
本人にとっては、個性だから、ホメラレタイ欲望ホメオスタシス0へ
修正するは、一旦、自己否定しないと無理なので、ある意味、人生的決断が
要ります。
問題は、その評価すべき才能が外部という社会へどれだけ貢献できるかです。


「悪」と戦う

「悪」と戦う/高橋 源一郎
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高橋源一郎著 「「悪」と戦う」

世界から拒まれている者と、それに復讐する者とが居た場合
それぞれの対象は、「悪」と呼ばれるが、その「悪」同士が交差し
てしまうと、「悪」対「悪」、「善」対「善」という2項対立も
生まれてしまい、無関心だと、世界の構造がやぶれると著者は警告する。

更に、空想イメージ世界が、それに参戦してくると、対立項は
複雑になる。しかし、現実としては一つの世界しか知りえない。
著者は、知りえないだけで、見えない世界は実は、複数存在し、
それぞれの世界観が破綻しないように「悪」と戦っていて、
いま、ここにある退屈な日常も、見えない世界の必死の攻防
(だれとだれの攻防かは知りもせず)の上のやっとこさの勝利で
保たれているのでは、と、作者は本書で企てる。

その見えない世界は、落ちるという現実映像として文章で提示する。
一緒に落ちて行く物は、目の前に止まって見えるように
ゆっくりと、上下左右も知らず、落ちて行く。
その感覚を見事に文章にしている。(本文P253)

著者は、小説家という職業を、鳥瞰しながら作品を残すことを
得意としているようだ。
大学で教鞭を取っていることも影響しているのだろうか、
解説をすることが当たり前のような綺麗な文章が組み込まれる。
現代小説において、自らの創作のプロセスを私小説ではなく
装飾的文章で美しく飾ったのは、森敦氏の作品が記憶に残る。
森敦氏の「月山」を思い起こさせる創作プロセスの提示である。

「ミア」ちゃんのおかあさんと公園で、出会うシーンではP65 

風が吹いていました。
心地いい、昼下がりでした。
資本主義の中心みたいな都市の、ぽっかり空いた空間、そこの
忘れ去れたみたいなちっちゃな公園で、疲れてベンチに腰かけて
いるおじさんとおばさん、それから、砂場で遊んでいる子供たちが
三人。

という情景の固定は、森敦氏の「月山」の風景描写と同質の世界の
固定がある。その後の分解、回転、反転、圧縮するなどの技法を提示
する舞台をまずは上手に読者に提示する。
それらの処理を経て、終盤には、元の固定世界に戻してみせる。
そこに感動を埋め込むのが、小説家という職業ですよ。という愉快犯
なのです。

この手法は、商売の裏を見せる際どさがあり小説の技量が試されるが、
成功すると文章のリズムは、美しく音楽を奏でる。

この技法は、小説でありながら、結果、詩を構造するのが特徴だと思う。

「悪」と戦うを新幹線時速200Kmで関西と東京を移動しながら
読むのは、文章のスピード感がとても心地よいシンクロを感じさせた。
文章の技法が、音楽的なのだ。

そして、エピローグで、私は浜田省吾の「悲しみは雪のように」を
思い起こしていた。



産業構造ビジョン


経済産業省が日本の産業政策の指針となる「産業構造ビジョン」を
まとめ骨子案を公表した。(日本経済新聞2010年6月6日

ビジョンが実現したいことは、政府・民間を通じた4つの転換を上げている。

1.産業構造の転換~隠れた強みをビジネスにつなげる「新・産業構造」の構築~
2.企業のビジネスモデル転換の支援~技術で勝って、事業でも勝つ~
3.「グローバル化」と「国内雇用」の二者択一からの脱却
~積極的グローバル化と世界水準のビジネスインフラ強化による雇用創出~
4.政府の役割の転換~国家間の熾烈な付加価値獲得競争に勝ち抜く~


特に目に付いたのは「産業構造の転換」のビジョンを3つ上げている。
その3つのビジョンは、下記に上げた戦略5分野の発展へ繋げたいと
言うことらしい。

*産業構造の転換では
自動車依存の「一本足打法」から戦略5分野の「八ヶ岳構造」へ
付加価値獲得では
高品質・単品売りから「システム売り」「文化付加価値型」へ
成長制約要因では
環境エネルギー、少子高齢化から制約要因を「課題解決産業」へ


*戦略5分野
・インフラ関連/システム輸出
・環境・エネルギー課題解決産業
・文化産業(ファッション、コンテンツ等)
・医療・介護・健康・子育てサービス
・先端分野(ロボット、宇宙等)


この中で、「一本足打法」から戦略5分野の「八ヶ岳構造」へ
というのが理解出来ない。
「一本足打法」は、多様な投手を倒す為のメソッドである。
現在の世界経済で言えば、中国、韓国、台湾やインドの企業が
グローバルな経済指標で大きな伸びを見せている。
それらの多様な国の戦略に対抗するメソッドを構築するのであれば
「一本足打法」は、大きな示唆を与えると考える。
目的は、多様な対向者に合理的な対応をする為という点で同じである。

「一本足打法」というのは隠喩なのだろうか?
何を象徴してるのか不明である。
そして、移行すべきビジョンが「八ヶ岳構造」・・・また不明。
何を象徴した構造なのだろうか?
山のピークが沢山ある構造ということだろうか?
経済指標のピークとは、努力や幸運の結果、得られた結果である。
よく起きることだが、競争相手が勝手にコケル場合が沢山ある。

それでも、産業指標の市場規模が拡大していれば良いのである。
それが動的生命と同じ成長市場ということである。
火山は生きている。という意味の八ヶ岳でないと転換する意味がない。

ガン細胞というのは、生命の発生メカニズムに含まれた活動であることが
解明されてきている。生き残る可能性がある。だから治癒は難しい。
生きることが悪性腫瘍を内包しているのである。

成長市場も同じである成長したものには、必ず悪性の生命活動も
内包する。それ故に脱落したものが、悪とだけは言いがたい。
市場指標に君臨することが、市場生命を維持するだけでなない。
その意味でピークでなくても十分既存市場では生きて行ける。

現在の世界市場で日本が期待されるのは、新しい市場を作りである。
指標の分母を自ら作ることの方が、世界に貢献できる。
これをイノベーションという。

「一本足打法」ではなく、「分母へのシェアが低い産業」と言うほうが
正しい表現である。目指すのは、指標ではなく、世界へのイノベーションで
あり、新しい分母である。
相手に係わらず圧倒する。そして結果的に指標は改善する。
これが本当の競争力と私は思う。