どこかで見たこと読んだこと -15ページ目

Tomodachi

原子炉事故の危機管理において日本の政治の脆弱さが
露呈し、危機対策の手法・機能を持っていないことが実証され、
原子炉を推進したい欧米各国の首脳やメーカー首脳を動かしている。


管理出来ない原子炉の恐怖は、人類の危機を意味する。

特に、アメリカ、フランスは、個人主義の国であるが故
危機管理に関しての戦術は、常に念頭にある。


日本のドラスティックな対処への目に余る欠如ぶりに、
火の粉の気配を真剣に感じているのだろう。

正しい判断であると思う。


アメリカ国防省の日本支援作戦のコード名は
Operation Tomodachi と呼ばれている。

ドラスティックな危機管理上の支援であろうが
システムに欠如した日本の現実は、支援を有り難く受ける必要がある。


なぜら私たちも、被災者へメッセージを届け続ける必要があるからである。


【作詞】永 六輔
【作曲】いずみたく

1.君の目の前の 小さな草も
  生きている 笑ってる
  ホラ笑ってる

2.君の目の前の 小さな花も
  生きている 泣いている
  ホラ泣いている

3.君が遠く見る あの雲も山も
  生きている 歌ってる
  ホラ歌ってる
  踏まれても 折られても
   雨風が吹き荒れても

4.君の目の前の この僕の手に
  君の手を重ねよう 
  ホラ友だちだ
  踏まれても 折られても
  雨風が吹き荒れても

5.君の目の前の この僕の手に
  君の手を重ねよう 
  ホラ友だちだ
  ホラ歌おうよ
  ホラ友だちだ


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予備システムの破壊

3月30日現在、福島第一原発の放射能漏れ事故は、
大量の放射能汚水で、作業が困難となり、漏れの
原因の把握と、対処が進まない。

東電の会長が、事故を起こした原子炉の廃炉を
表明したが、なにか空々しい。11日に廃炉を表明
すべきだ。

大災害の直後は、混乱を回避する為、行政の機能不全や

災害による連鎖事故の責任者を罵倒したり、糾弾することは、

避けなければならない。
これは、阪神大震災の際、大変良い市民の理性として評価された。

しかし、当時の兵庫県知事の貝原氏の行政官としての
リーダーシップや人柄の影響が大であったことが幸運だった。
更に被災地が、神戸・淡路・明石を中心とした兵庫県行政管理内の
一部分に集約していたのも、不幸中の幸いであったと今は、思う。


超広域が被災した東北・関東大震災は、その意味で
リーダーシップだけでは収まりきれない。
首相がそのリーダーシップを、発揮できる場面がないし、政治に

そこま戦後は期待する方が怖かった。


被災後20日が過ぎようとしている。
そろそろ、行政や事故責任者への批評も、すべき時期に
入って来た。

国家リーダーや行政官、東京電力のプレゼンテーションの
下手さが、大変気になるが、その点は、言及するのも
情けない程なので、後回しとする。


今回は、原子炉事故の初動対応について、大きな疑問がある。
これまでの経緯を見て、結果論だが、将来の検証の時、参考にして欲しい。


1.保守
2.メーカー技術者
3.想定外の際のマニュアル

保守とは、システム継続、つまり生かす為の平時の作業だが
もう一つ重要な意味がある。システムの細部も実体験できることだ。


システム保守を体験するという意味で重視しないと
イザという時にルーチン化した保守は、なんの役にも立たない。

障害が出た時、オペレーターには、限界がある。
ボタンを押す手順とシステム、プラントを熟知していることに
相関がない。実際に設計、施工したメーカーの技術スタッフ
でなければ、知らない経験知が必ずある。

想定外の被害を原子炉が受けた場合、プラント・システムへの
信頼は、経験知と日常保守での信頼の総和となる。

つまり、今回の事故は、原子炉の冷却システムへの補助ポンプが
破壊され、復旧用電源が断たれたことが原因である。
予備バッテリーで稼働している11日の時点で、状況は、把握できた
はずである。

その把握時点で、冷静にプラント・システムを信頼出来ていれば
マニュアルとは違う初動があったと考える。

特に、1号機において、予備システムではなく本冷却システムを
稼働させれば良かったのだ。

その為にはメーカーの技術者に状況を確認し、燃料棒を再度下げ、
1号機の発電を再開させる。これが、緊急時の選択肢の一つである。
原子炉は、普段の保守の成果とメーカーの技術力で動く、
マニュアルは想定範囲内での出来事のルーチンでしかない。

津波に破壊された原子炉をオペレーターが心から愛せていなかった
ことと、東京電力の原子炉の廃炉を惜しんだ12日の判断(現代日本人
の合理的と言われる判断でもある。)に文明史観的哲学が無かった
こと、この2点の為に、原子炉の熔解事故は、起こるべくして起きた。


未曽有の災害は、多くの貴い人命を無残に奪い、街を無に帰する。
心が折れた国を復興するには、文明的な反省と叡智が必要なのだ。
日常の叡智の集約が復興の礎となり、次の文明を目指す。



どこかで見たこと読んだこと

未曽有の広域災害


どこかで見たこと読んだこと

2011年3月11日14時46分 東北・関東大震災
被災災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

震災後、10日が経ち、現地は復興への一歩を進め始めている。。
この東日本の窮状を助けるのは、被災地外へ被災者を一時集団
疎開させることが効果的なようです。
ボラティアの継続的な集結にも利点があります。
ただし、難しいのは、被災した自治体が、地縁として維持できるかです。
復興計画の策定に疎開者が参加できるかです。

現在の問題は、被災地が広すぎるのです。
日本の国政、行政や企業活動ルーチンでは、アプローチ
する構造が無い村が点在しているのです。
国政、企業が誤差範囲とみなす場所が現場だったからです。

ここまで家屋が倒壊し、生計の場を失った広域を、復旧させるには
大きな計画と時間が必要になる。
その長時間経過で、個人的な血縁への移住という問題、高齢化に
よる生産性の低下、産業復興の定着という問題への対策と指針作りが
必要になり、地域の再復興に大きな課題が予測される。
その計画が空中分解した場合、行政的な復興を断念することも予測される。

地震と津波に強い町づくりは、基本的に、個別家屋ではなく
集合的な高層ビルが適しているのが、今回、明確になった。
海岸に隣接地区に居住は、今後は避けることになる。

また原発隣接地区は、特段の国家的な公共財の見直しと電力産業の
再構築が必要となる。原発への依存度の見直しは必ず、地方自治体の
財政縮小とのアンビバレンツを解決しなければならい。

1000年に一度の経験です。
それに対処するには、大きな叡智が必要です。
特に、一本調子の経済成長をもって国家を運営して来た日本と、日本人は
地域の再開発に関して、大きな方向転換を余儀なくされている。

しかし、それは、世界に先駆け、やらねばならない長期的な戦略であり
より、日本が得意とする職人的、新技術的なものでなければならい。

日本の宿命であろう。民主主義と経済優先主義を、自らの人民の歴史とは
多少、異なる、欧米諸国から原理を応用して来た近代化の中で、評価して
来たが、ここで、国の進め方を再点検し、長期の戦略に耐えうる原理を
再構築する必要がある。世界もそれを日本の歴史文化に期待している。

2400年程前、墨子という人が中国の魯国に居ました。
丁度、孔子と同じ国で同じ頃、活躍した思想家です。
思想家というより、職業専門集団だったようです。

標榜した言説では、兼愛などが有名ですが、社会の貢献についての
言葉も残していますのでご紹介致します。

「君子なら、だれでも富貴を欲して貧賤をにくむはずである。
では、貧賤から抜け出て富貴を手に入れるには、どうしたら
いいか。いうまでもなく、才能の優れた人物となることである。
才能の優れた人物は、どんな生き方をするか。
 力のあるものは人を助けることによって、財力のあるものは
人に分かつことによって、学問を身に付けたものは人に教える
ことによって、それぞれ社会に貢献するだろう。
 そうなれば、人々は飢えや寒さにせまられる心配から解放され、
社会は、安定をとりもどす。」

苦難を超える時、評価する言説は、現状認識と未来への方向性を
示し得る才能であり、それを人類の叡智と考える。

政治、経済が、リードしているかの様に見える平時の社会は
巨大津波で、政治、経済優先の社会の致命的な断層を露出させた。

広域とは、子供じみた仮想的均質空間ではなく分散的な異常値を
内包している。

被災地で、役に立たないシステム、構造物を構築していた日本人は
日本の国や企業が構成した人工物が津波に流されたのを忘れては
ならない。

名取の浜で、防風林も多数流されたが、多くの松が有史以来の
巨大な津波にも耐えて流されていないのも、見せつけられた。
阪神大震災の時の、地震で倒れた街路樹は少なかった。

放射線の漏れを起したのは、津波ではないだろう。
システムが役立っていないだけなのである。

世界で唯一の原子爆弾被ばく国、日本が、原発の安全システムの不備を
自らの自然災害で露呈させたという認識が国民に必要とれている。

システムの概念性を持った国民を増やす必要がある。
そのシステムの基本理念には、墨子の研究、深耕が求められる。

経済原理は、公共財としては発揮させるべき分野であるが、
投資費用と安全なシステムの創造力には、相関がないことが、
今回の原発事故で露呈した。


最後の武士

2011年3月5日NHK-BShiで、「生き抜く」小野田寛郎が
何度目かの再放送があった。
戸井十月氏のインタビューを中心にした現在の小野田氏が
語る自分史でもある。

死を覚悟し投降して来た
「最後の武士」小野田寛郎氏



どこかで見たこと読んだこと


印象に残る小野田氏の言葉は、
「自分は、軍国主義者ではない。中野学校での教育は
大変自由で、天皇機関説なども論じられ理解していた。」
「組織で生きられる人間ではないと自覚し、中学を
卒業して一人、中国漢口へ行き、商社に入り、商売で
成功を目指した。」
「負けず嫌いだったから、ルバングで戦った。」
「鈴木則夫は、全く、あっけらかんとして下心が全く
なかった。」
「殺しに来る敵を、躊躇なく殺さなければ、生き残ら
れない。」
「誰の為、30年もルバングで戦えたと言えば、日本
民族の為であった。日本という国の為ではなかった。」
「日本に帰国して病院に入院しても、看護婦がドアの
前に来ると気配で、目が覚めた。」

など、今は、温和な表情だが、持論は確固とした
構造を持っている。

・目的があれば、どこでも生きて行けるという信念

・日本人としての誇りを持っている。

・男としての負けず嫌い。


小野田氏の活動から右翼的な活動を想起されることが
多いが、思想の基本は、武道家に近いというだけで、
左翼、右翼とは、他人の評価でしかないようだ。

敢えて言えば、中道右派だろう。
ただ国家観に関しては、理想が高い。
国家から庇護されたという記憶が全くないご経歴を
持っていないのだら、国家観の理想は高くなる。

宮本武蔵が、どこの国にも仕官しなかったのと
同じ心境なのだと思う。

番組でも「ルバン(小野田氏はルバングでなく、ルバンと
発音している。)で、神や仏に頼んだことは、一度もない。
新年に一度、拝むだけだった。宮本武蔵も、神仏には頼らずと
言っている。」


なぜ、帰国して直ぐにブラジル移住したのか、解る気がする。

生死のやり取りの30年の日々で、命を救ったのは
武蔵の武士道の考え方であって、武士道で自尊心を維持して
いたのではないかと思う。
高度成長期で日本の国土と精神を、武士道とは違う規範で
変化させようとしている国、国民と一緒には生きて行けな
かったのが、良く理解できた。


ブラジルで、また苦労の末、牧場経営を成功させ余裕が出来て
はじめて、日本と係ることを自尊心が許したのだと理解させる
番組であった。

すなわち、今を、生きている自尊心が、直面する困難への行動
選択や、サバイバル環境では、命を守る機序となる。

国が、立法で援助することは、不確定要素でしかなく、
サバイバル環境で、当てにしたら、確実に死ぬ。
国は、危険なものだが、寄る辺なき民族的紐帯にとっては、
具現化できる唯一の形態でしかない。


小野田さんを見ていると、日本を守っているのは、国ではなく
日本民族なのだと、簡単明瞭に教えて貰える。


日本民族は、日本列島に住んでいるから成れるものでないだろう
日本民族の為に働く、自尊心の多寡である。

日本に、左翼だ、右翼だと区分の必要はない。
必要なのは、日本民族という自尊心を持った野鳥が浮上する
為の両翼である。



失敗の条件

最先端でビジネスボリュームを開拓する多くのビジネスマンに
私は、取引の勝負に勝ていない。
それは、私の人間的な資質の欠如であることと実証されている。

人生つまり社会において、勝負に負ける=失敗をいつも発生させる
原因を内包しつつ、今も、ビジネスをしている。
勝者に比して、生活に困窮していると言える。

やせ我慢として言えば、この失敗の宝庫としての人生を
悔いることはない、なぜなら、反省して、やり直すより
このままの現況維持の方が、自尊心の維持に近似した
生き方であると諦観している。

他者から、金銭を伴う評価が、望めない人生の終盤で
余り、じたばたしても仕方がないようだ。

いずれ、時が至れば、じたばたするという覚悟が
既に必要な年齢なのだだろう。

この様に、勝負には成功者と失敗者が出てくる。
その分岐には、常に選択があった。
失敗への道を選択して来たとも言えるが、もう少し
冒険的な選択をして来た。
リスクとリターンの判断にバイアスが掛かっていたのだろう。
それを夢を見ているとか、適応力不全と評価が下される。

しかし、実際は、今の成功者でも、かつて失敗をしている。
また、失敗をしない様にすることで成功をしているとも言える。
成功の範囲に自分を分類できる様に、自尊心は、活動する。

逆に言えば、勝負に、負けた方は、勝負できたことを
幸せと美化して、失敗による自己否定を薄めて、自尊心が
生存の正当化に向け、自己の再解釈をする。

他者には迷惑だが、これが出来ないと、失敗のダメージから
回復できない。

過去の形式から、未来を予測するのは、感性である。
未来は、勝負に勝とうとする時、過去から投影された影である。

購うことができない悪事が、未来にあると同時に
過去の細部の希望が、未来にもある。

孤独に生きることを覚悟した時には、二人の影は一つに見える。
ところが実地に行動すると、自らの感性が稼働し、他者の影は
私の影から離れ、一人では生きれないことを過去からの光で
再認識する。

ビジネスにおいて、提案が事業の利益最大改善を支援するものと
相手に認識されれば、そのコストと品質において勝利する要因と
同期したことになる。

しかし、同期した順序ではなく、同期するインパクトを争奪するのが、
ビジネスの競合である。利益最大化を得たかは、厳密には問われない。

最新の技術は、最新であるが故にコストと品質が高くなる。

実際の導入は、最新であるよりも、コストパフォーマンスが
優れているだろうという条件付き効率的経営への予測でしかない。


技術は、理論から始まり、先端技術から汎用技術へと
コストを下げるトレンドを常に内包し、停滞した技術は
新しいトレンドの技術に淘汰される。

汎用化する技術をリエンジニア可能な部位にシステム化
できれば、コストは低下する。
メンテナンス可能な部位にセグメント化できることが品質を
安定させる。

基本的な考え方は、汎用化され、入手コストが低いもので
構成するということである。
その入手容易性というブリコルール性が、基本的にビジネスとしては
勝負の失敗の機序となっている。

品質管理が考慮されたブリコラージュの高度な選択は、
選択的意志を持った患者をユーザーに持つ医療事業での
効率性を求める経営では、高い効用を持っている。

つまり、ビジネスの失敗は、今しばらく続く。