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東北の村々の伝統


どこかで見たこと読んだこと

NHK BSプレミア 4月30日22:00~23:30

番組のキャプション
ハイビジョン特集「三代友達~大地の祈り 黒川能の絆(きずな)~」
山形県・月山の麓に“奇跡のムラ”と呼ばれる集落がある。
室町時代から続く神事「黒川能」で知られる、黒川。
1600haを超える田圃には耕作放棄地がない。
娘だけの家は今も婿を迎え、村を出た人のUターンも毎年のことだ。
三世代同居率は日本一を誇る。黒川に“三代友達”という独特の言葉がある。
三世代の絆が家族だけでなく、黒川能を通し地域全体にも張り巡らされ、
暮らしを守ってきた。東北の農村の底力と知恵を見つめる。


1年間の黒川の王祇祭豆腐祭りの当屋を中心とした村の営みをハイビジョン映像で、追う。
村の、米と大豆作りは、中心作物となっているその生産の日々。

東北が震災に見舞われて、被災地の映像が多い中、東北の村の典型が
映し出される。その映像が美しいが、農業だけでは生計が苦しい現実。
それが東北の現実でもある。

それらの日々の営みを見守るような、霊峰月山。
王祇祭へと、大地へ祈る能舞台へと向かう。

口承による謡の練習。
手作りの衣装。小道具。
全てを能の舞台へ。

厳しい冬を迎え、年が明け1月となった。
蔵開きの時に、当主の謡が景色に同化する。

王祇祭の能は、大地に捧げる神事なのだ。

庄内は、大和朝廷以降の中央権力に壊滅的に武力制圧を受けたことがない
奇跡の場所である。明治維新でも政治的に敗れはしたが、制圧はさせていない。
鎌倉幕府も、室町幕府も、江戸幕府も、この地を武力制圧する必要がなかった
のか、激しい吹雪か、仏神のご霊験か、知る由もない。

大いなる恵みを与える自然、しかし、人は超えられない自然が、そこにある。
ただ、心から神に祈ることは、一人では適わず、村人の絆のみで成就する。
それが三代友達であり、能舞台である。

500年もの伝統は、東北の姿である。
多くの被災した村々に同じように自然や神に祈る人々が住む。
東北の村々に、再び皆と心を合わせ祈る日が必ず来ることを確信した。



どこかで見たこと読んだこと



流れ着いた桜


どこかで見たこと読んだこと
六甲アイランドの岸壁に、一本の桜の木がある。


「ある」と言うのは、計画的に植えたものではないという意味です。
神戸の震災以後だったか、それより数年後だったか、記憶は定かでは
ないが、公的に管理されている岸壁に、流れ着いた桜の木が定着した。

始めは、こんな所でも、花は咲くのだろうかと不安なほどの状態だった。
潮風の強い突堤でも、それが少しづつ、枝を広げ、葉を増やしていた。

強風のせいだろうか、枝は横に広がり、地に広げる様に育っている。
見上げるような大木の桜には、ほど遠い妙な樹勢だ。

が、しかし、花が咲くと、美しいし、愛おしい。








この花を見上げるには、体を横にして、体を木の下に潜り込ませば、
可能だ。一人花見という趣向だ。

港の管理者が、なぜ、伐採しないのかは、不明なのだが、
春が来ると綺麗な花を咲かせ、一人、花吹雪を興す、風情が心に残る
桜の木だ。


海を渡り、季節を巡って来たことへ、思いを巡らせると
何か復興めいたことを、連想するのかもしれない。

しかるべき場所ではないが、しかるべき時を、信じらせる心を
励起させる桜だ。想像を超えた災害は絶望と不安を呼び覚ます。

その不幸からの復興は、長い時が必要で、
それを信じつづけらる幸運が必要なのだ。



「 みちのくに 舞い散る桜 夥し 」(CARNE作)


どこかで見たこと読んだこと

笑えない

首相官邸災害対策ページで、原子力災害専門家グループの記事で
チェルノブイリ事故との比較 というコメントが4月15日出された。



(1)官邸災害対策ページ使って、何やっているのだろうか?
(2)誰に安心を与えようとしているのか?

これは、某首相ご本人の企画だと断言できる。
IAEAの「レベル7」同士で、どれだけマシか検討するのは
災害対策の具体案が何も出ない某首相の企画と直ぐ、解る。
つまり、この記事読んで、安堵するのは日本人で首相だけである。

小学生の成績で「がんばりましょう」となった子供が、腹いせに
先生に、もう一人の「がんばりましょう」の友達の性格が如何に
悪いかを比較してもらっている記事内容です。

「がんばりましょう」の意味がまるで解っていない。
こんな時に、ロシアへ喧嘩売って、なにしてるんですか!
戦う相手は、福島第一原発の放射能です!

「レベル7」は、上限値は設定されていないので、同じレベル7内で
比較しても何の意味もない。6以上で、最悪という意味以外なにも
出て来ない。

首相のめっきり少なくなった取り巻きでは、もう手におえない印象。
官邸のゴミ箱、清掃スタッフの方、こっそり教えてあげて下さい。

遠い菅さん


どこかで見たこと読んだこと


震災から1か月の節目に、復興構想会議の開催を会見で告げている菅首相が
とても遠い存在に見えて来た。

首相の会見なのだが、言葉に重みもなく、内容が伴っていない。
あえて、中身を纏めると、
1.「復興構想会議」では、英知を結集するので、夢を語って欲しい。
2.被災者から過度の自粛ムードに陥らず、被災地の産品を消費して欲しい
との声が届いている。消費することも被災地の支援となる。
3.原発事故を国際的な基準から「レベル7」と本日発表を変更した。
4.しかし、原発は、一歩一歩、安定化に向かっており、放射性物質の
放出も減少傾向にあるとの認識をしている。

国民は、首相の会見以前に、これら全ての情報を知っている。
国家のリーダーからの遅い告知に、心を寄せる国民がどれだけ居るかの
判断が出来ていない。告知なら時間の無駄でしかない。

統一地方選で民主党が敗退したことによる与党と既存政党への不信。
原発の事故対処の政治による危機管理の混乱。
この1か月で菅首相が、この2点を反省し、それを改善する具体的な努力が
菅首相の頑張る点であり、そこから会見で具体策が無ければ、国民は納得しない。

そこに思いが至らぬ手遅れの告知会見に、言葉が遠くなり、倒れそうに
なる。前日、石巻の被災地を見舞って、被災者に「一緒に頑張りましょう」
と声を掛けていたが、心なしか被災者は、「頑張るのは、あなたでしょう」
という気持ちが表れていた。
普通、心を寄せるリーダーが見舞いに来たら、被災者の方から集まって来る
だろう。楽天の星野監督の見舞いの時の仙台市民の表情との違いが、明白
だった。

最後に、菅首相の会見での問題点
3.と4.の論理的な不整合に、国家リーダーとしての退行現象が見える。
つまり太平洋戦争末期のリーダーと同じ思考に退化している。
「我が日本軍は、南方洋上にて、亜米利加艦隊を猛攻する」
「我が日本軍は、インドシナ戦線へ、2個師団投入、敵を一斉攻撃する」
しかし、現状は、戦線は兵站の補充すらままなず、崩壊し、戦死者を放置し、
現地司令部は、次々と退却、または玉砕していた。
この作戦理論と、3.4.の理論は同じ不整合を持っている。

安定化しているのが事実であれば、国際基準を見直す必要はない。
レベル7であるのが正しいのであれば、当初の判断が間違っており、かつ
初期判断にエビデンスに基づいていなかったことが結論付けられる。

つまり事故の初動で楽観的なバイアスが入り込み、最悪を設定して行動して
いなかった、または素人として混乱していたことを証明している。

危機管理とは、最悪の想定に対して対策することが本義である。
正確なエビデンスが集計出来ない状態であれば、最悪の数値で対策するのが
セオリーである。

恣意的な数値判定とセオリーの黙殺は、戦中の首脳の考え方と一致している。
また、エビデンスの無視は、情報の非公開と同じ行動パターンを持つ。

黙殺した事実は、真摯で正確な反省なしには、乗り越えられない。
既に論理性から退行したままの告知会見に、国民の心は、1mmも動かない。

この政治主導の混乱は、他の政治家から見れば、歴史的な汚点となることが
自明であり、責任逃れと他山の石と喜んでいる様子だが、野党も含め全ての
日本の国家・政治の国際評価も、「レベル7」であると、判定されたと認識し
なければならない。また、その認識がなければ、国民のリーダーの資質を
持ち合わせないことを自己証明している。
国難に際し、自らの力で助ける為、リーダーになろうする政治家が居ない国民は、
情けない。東北の復興の次は、個々の政治家の復興であると覚悟しなければ
ならない。

日本人は、国民を守る意思が溢れる政治家を育成する為に、ああ、なんと
多くの時間を使わなけばならないことか。気が滅入る。
権力に憧れる幼児性そのままの政治家を駆逐する苦労もしなければならない。


今回の復興を期に、政治家の権力欲を上手く自省できる人物に政治を委ねる
実地試験を重ねるしかない。
日本人は、これまで国民自らが、権力に負けない心を育てたという歴史的な記憶が
ない。今から、やるしかない。今の政治家を責めても仕方がない。
それが彼らが育った政治環境と国民の歴史なのだから。


結果的に事実を歪曲する為の目的論の権力は、組織の悲劇でしかない。
混沌をして事実を、語らさしむる者こそ、日本の未来のリーダーである。

政治家が事実から目を背け、責任の擦り合いで国を混沌に貶めている。
国家権力は、これから誰を守り、避難民を、どうするつもりなのだろうか?
事実から目を背けている人間に、正しい情報を把握する理性は既にない。
バイアスを除く手順を、自ら手放した事に気が付いていないのだ。
本来、理性が主体の政治会見で、告知が中心になるのは、当然なのだ。

信じることさ



愛は勝つシンガーズ

震災後1か月が過ぎ、各アーティスト達も、色々な被災者支援の
大きな規模の活動を始めた。

被災地は、原発事故の解決が不透明、津波の被害の農地への被害も、
厳しい。まだ被害の全容を把握しているという段階なのだ。
確固たる復興計画は、まだまだ先が見えて来ない。

行政の仮設住宅の場所確保すら追い付かない。

破壊されたエリアの広域さと、行政のシステムが1ヵ月が経っても、
手さぐりの状況から進展していないのが原因だろう。

結果、日々の判断は各家や個人に委ねられている。

被災地を復興する為に残るか、安全の為に移住するのか
選択が迫られる。

復興を信じるのには、去っても、残っても同じという訳には
行かないだろう。例え残ったとしても皆が幸せとなるかは判然としない。

被災地ごとのシステムが必要なのが、どんどん判明して来ている。

一律の公準的な手法ではなく、個別対応的な手法、ルーチンをもった
システムである。

全く新しいシステムになるが、実際は、従来の営みを持った個人を
内包した地域である。

今まで、日本は均質なシステムを求めて来た。
今回の震災で、がんばる日本には、新しい合意、共通認識、感覚を
建てる必要がある。

営みを中断せざる得ない状況を、如何に継続的な収入を確保するか。
事業を1年後に再開することを前提にシステムを考えなればならない。
12か月を如何に収入を確保するか、会社、自営業、農業、漁業、
公務員など全てにおいて、相互扶助をベースに見なければならない。

システムを作る場合、入力と出力、処理の内容が重要だが
今回は、入力が限定される。
各地域には、複合的な被害と被害の多寡が混在するのだ。
全てを国からの援助では賄い切れない。
国の個別援助をプールして、共同投資をせざる得ない場合もある。
企業の事業を縮小する場合もある。

更に世代間における生産性と効率の差が出てしまうことも起きる。

結果、入力が少なくなる想定も、必要なのだ。
それは、営みの地域の縮小を意味する。
放棄するのか、残留するのか、その為の判断のシステムを復興計画に
盛り込む必要がある。

地元の人間だから出来ること、外部の人間だから出来ることがある。
しかし、復興は、地元の人間だけが実現できる。
国家、行政、被災者は新国家形成の覚悟が必要だ。
国を支えるシステムを新規に作ると言える。

異色な方法では、個人が、思うがままに、被災地で起業する、つまり
完全個人プレーである。大した補助もなく、自助努力のみである。
大変な能力が必要であり、リスクは最大限に高く成功率は大変低い。
しかし、私は、そんな危険も新国家構想として、被災地では認めるべきだと思う。

かつて、小野田寛郎さんは、終戦を知りながらジャングルで、戦闘を15年継続した。
今、被災地で、残留を覚悟し、ひとり戦う者が居るとすれば、
止めるのではなく、「必ず生きていてくれ」と声援を送りたい。

私は、神戸で、被災し、95年4月から個人事業を始めた。
それから16年年間大企業や、脚光浴びる有能な起業家達とは、全く縁もなく
思うがままの仕事を継続している。
ビジネスでは成功はしていないが、ユーザーから真に喜ばれる仕事として誇りを
持っている。

私たちは、誇り高い「武士」の歴史を持っている。

孤高の武士の生き様は、ビジネスマンや公務員など普通の日本人には、
既に、理解できない生き方であり、個人主義的である。
しかし被災者の癒えぬ孤独な悲しみに比べれば、思うがまま、孤高に生きることなど、
大したことではない。ただ人間を信じるだけのことである。

愛は勝つシンガーズの最後のフレーズは、
「信じることさ、かならず最後に愛は勝つ」であった。