セッション中、
お伝えすることのひとつに
自分で分かる思考は、
あまりあてにしないほうがいいよ~
という事があります。
自分で感じている思考や感情の下に、
必ず本当の思いが隠れているからです。
(潜在意識の中)
ここは丁寧に自分と向き合うことで、
ちゃんとみえてきます。
今日のタイトル、
怒りっぽい人の特徴のひとつに、
自分の思いの伝え方の
バリエーションが少ないという
こともあります。
だから、怒りを反応として
いつもつかってしまう。
(自分の思いが分からない故)
自分の思いが分からないので
人の思いもわかるはずもなく、
ちょっとしたことで、
勝手に責められていると感じたり
分かってくれないと悲しくなったり
そんな時の咄嗟の反応として、
怒りが防御となっていることも。
攻撃としての怒りになり
防御としての怒りにもなり
どちらも自分を守る方法として、
考えることもなく、怒りをつかう。
でも、本当に自分を守ってくれたでしょうか?
それで、
今までうまくいってきたのか?
怒りを通して何を伝えたいのか?
何を自分は感じたのか?
ここを無視して通過していないか?
そもそも論としては、
どんな思考も感情も
いけないものはなくて、
ただの、”種類”があるだけです。
それに、感情って
喜怒哀楽だけではなくて
実はたくさんあります。
怒りだって、
”ちょっと”むかついたという
強弱なんかもありますしね。
感情というのは、
一括りにはできないものです。
また、
思考・感情=自分自身だと
勘違いしやすいので、
ここは注意が必要です。
勝手に一体化するのはやめましょう。
感情をジャッジしてしまうのは、
思考や感情を自分自身だと
勘違いしているので、
否定したくなってしまうからです。
否定というのは、
自分の感情や思いと向き合う
機会をなくしてしまいます。
思考も感情も流れていくものですし
受け止めかたや見方で
形も変るものです。
ただ、その思考や感情が
今あるだけで、
今感じただけで、
自分自身ではありません。
自分というのは固定すると、
変化が止まりますし、
自分から自由を奪うことにも
なります。
なので、簡単に
”わたしは短気”とか
決めつけないほうがいいです。
どうせなら、
怒りん坊さんなわたし♡と
可愛く”愛情ある”表現をしてみると、
出るものが変わったりもしますよ。
どんな感情もジャッジすることなく、
ジャッジすることの意味もなく、
今はそう感じているわたしがいる
と、受け入れることができると、
どんな自分も受け入れることにも
自然と繋がっていきます。
そうしていくうちに、
怒りという表現や、
怒りという受け止め方も
形を変えていくものです。
セッション⇒☆