政局を世代交代の空気に固めて小沢抹殺を謀る官僚とマスコミ
世に倦む日日
昨日(6/3)から今日(6/4)にかけて、テレビと新聞の報道で、今回の菅降ろしの政局騒動について、実はこうだったという「真相」が説明されている。テレビでは、3・11の震災と原発事故で仕事を失っていた浮薄な政局屋たちが、久しぶりに出番を得て嬉しそうにスタジオで舌を回している。消えて欲しかった面々が、再び元気よく登場してハシャぐ姿を見ると、こちらは意気消沈して暗澹たる気分に落ち込む。無意味だが大きな政局が動き、そこには謎が多く、国民一般が真相を知りたいと思うのは当然だ。その関心にマスコミが「情報」を注入して商売し、政治家が思惑で便乗して騒ぎ、大衆の興味と関心を増幅させ、世間の空気が出来上がる。空気が原発から政局に入れ替わった。当面、テレビと新聞のトップは、政局報道で埋められる毎日になるだろう。無論、マスコミが報道で流す「真相」は、全て後づけのストーリーであり、政権側の政治家や官僚たちが、国民にはこう説明しておけと組み立てた架空の作り話を、政治部の記者が代筆して「真相」に捏造したものに過ぎない。マスコミと評論家たちは、先に野田佳彦を早く後継に据えたいという思惑があり、小沢一郎を政界から抹殺するという宿願があり、大連立を組ませるという目標があり、その方向に世論を落とし込むべく「真相」を解説してくれるのである。この事件には物証が乏しく、関係者の証言だけで事実を構成しなくてはならないのであり、真実を究明するためには推理の力が要る。
昨日(6/3)の朝日新聞の5面記事に、6/2の代議士会で菅直人が発言した内容の全文が掲載されている。菅直人は、この挨拶が活字におこされることも、映像が何度もテレビで流されることも、十分に承知した上で、言質を残し与えないように曖昧な言葉を並べ連ねている。しかも、顔だけは目を真っ赤にして半泣きの形相となり、さも重大な決意を述べているように迫真の(下手な)演技をして。まさに百戦錬磨の政治家の手口だ。目標はただ一点、聴く者に「辞任表明」だと信じ込ませ、造反議員の投票を白票から青票に切り替えさせるためである。不信任案否決という結果を3時間後の本会議採決で得るためだ。私は、これをNHKの生中継で見ていた。そして、すぐに菅直人が何をしているのか、玉虫言語の真意と目的を察した。会場の議員たちは、若年といえどもプロの政治家である。彼らが、菅直人の発言の内実が理解できないはずがない。彼らは、日常を玉虫言語の技術を磨く環境の中で生きている。どんなに若僧でも、選挙区から来訪した陳情団の要望をさばくときは、相手に「イエス」の意味で受け取らせて納得させ、言質は取らせず曖昧にして、実際には「ノー」の結論で始末するいうことをする。それが政治家の技術であり仕事だ。言葉を玉虫色にして、相手をその気にさせて騙し、その場その場を巧く逃げるということは、政治家の日常であり習性であり本能であり極意である。だから、あの菅直人の挨拶の言葉だけで、単純に「辞意表明」だと鵜呑みにした議員はいなかっただろう。疑ったはずだ。
そこに信憑性を与え、事実関係をクラリファイし、議員を安心させたのは、次に続いた鳩山由紀夫の発言である。菅直人の挨拶の最中は、会場は特にざわめいた様子はなかった。議員に動揺が走ったのは、鳩山由紀夫が「確認事項」の一件を具体的に紹介し、菅直人との間で事態収拾の合意ができたように説明を始めたときである。生中継の映像では、前に座っていた若い議員が、鳩山由紀夫の話を一言も聞き逃すまいと、そして真実かどうか見極めようと、首を後ろに曲げ、じっと鳩山由紀夫を見つめている。言葉の中身が嘘か真実か、それを判断するためには表情が重要な情報要素になるからだ。何も事前に情報を掴んでいなかった議員たちには、突然の衝撃的な方向転換の一事であり、判断を迷わされながらも、上同士が「和平」を結んだ状況を察した瞬間だった。「上同士で話をつけたか」と認識し、即、不信任案採決が否決に流れるという情勢予測を持っただろう。それは、造反議員にとって心中で期待した流れであり、本心では解散総選挙を避けて欲しい議員には、安堵する「渡りに船」の絶妙の展開だったはずだ。代議士会が終わる前の時点だったと記憶するが、NHKのニュースが、小沢一郎の「議員の自主的判断に任せる」という情報を流した。ここで、不信任案否決の前途が確定したが、この素早いタイミングと指示内容と、山岡賢次の司会進行を見ていた私は、小沢一郎が事前に全てを了解していたに違いないと確信した。
前回の記事で「三方一両損」と表現したが、この政治には各者間の微妙な騙し合いと、その騙しに乗って手を打った駆け引きのバランスがある。菅直人は鳩山由紀夫を騙したが、鳩山由紀夫の方も菅直人の騙しについては内心で承知している。騙しに乗っているのだ。党分裂の回避と自身の政治生命の保全のために。同じく、鳩山由紀夫は小沢一郎を少し騙したが、小沢一郎の方も、鳩山由紀夫からの合意内容の電話報告(6/2午前)の騙しの部分は、政治妥協のマージンの範囲なのであり、「騙された」と激怒するほどの問題(譲歩)では決してないのだ。小沢一郎は自民党を騙したが、こちらの方は、かなり手の込んだ騙し方であり、一杯食わされたと腰を抜かして泡を吹くものだろう。爆笑させられる。非常に巧妙で大胆な騙しであり、見事に自民党を引っ掛けた。WSJのインタビューを見れば、普通に考えて、小沢一郎が自民党と組む腹なのではないかと疑うし、政策白紙と私怨感情が際立つのだが、自民党を信じ込ませて誘い出す布石だった。高等戦術であり、森喜朗も騙されてしまった。不信任案の政局を早くから準備し、自民党に不信任案を提出するよう催促していた仕掛人は小沢一郎なのだ。これで、自民党からの不信任案提出はなくなり、小沢一郎とすれば、「菅直人の進退表明」という成果と「レイムダック」の状況の上に、党内抗争に限定した政局で棋板の駒を動かせる。こうして見ると、小沢一郎は今回の政局で菅直人を追い詰め、満足できる戦果を得たようにも見える。
しかし、それはメダルの一面で、裏側には別の現実も垣間見える。それは、小沢一郎の弱気であり、力の衰えである。不審に思うのは、なぜ、議員の自主判断に任せたのかという問題だ。自主判断に任せれば、青票、棄権、白票の三つの選択に議員が分かれてしまう。それぞれの立場の塊ができる。政治戦の戦場で、将たる指揮官が兵の議員にこんな指示を出したら、その時点で部隊は敗北と潰走という意味ではないか。終わりなき政局の戦闘を続ける以上、軍団は一致結束を貫かなければならない。当然、全員揃って棄権の指令を出すべきだった。70名の一糸乱れぬ棄権で軍団の統制と士気を示威し、同時に、可決票のボーダーラインを下げ、「薄氷の否決」の結果を演出すべきだったのである。そうすれば、不信任案否決後の党内政局で、中間派を怯ませ靡かせる脅威となり、一気に主導権を発揮できただろうし、軍団の戦意を高揚させたまま、両院議員総会の本丸攻撃に突入できただろう。報道では、両院議員総会の開催は岡田克也の首穫りが狙いと伝えられている。何となく、小沢一郎のファジーな戦略戦術の心底に、トロイカ再生の選択肢なり終着構想が見え隠れするように感じるのは、それを提案している私のバイアスの投影だろうか。政局の今後は、菅直人と小沢一郎の怨恨の対決構図であるように見えて、実は、世代交代と大連立の新体制へ固めたいマスコミ・官僚と、トロイカ復活で民国社連立のマニフェスト路線を蘇生させようとする小沢一郎との、その二者の対立こそが底流であり本質なのではないか。
小沢一郎が、70名全員一致の棄権を指示しなかったのは、おそらく、軍団結束の自信がなかったからだ。党の処分を恐れ、選挙公認時の考課のマイナスを恐がり、脱落する議員が出るのを恐れたのだろう。厳しく締めつけすぎて、軍団にひび割れが生じ、決戦を前に内部が纏まれなくなったら元も子もない。タフな政争を戦い抜けない。6/1夜のニューオータニの決起集会では、小沢一郎が、議員に「カネのことなら心配するな」と言ったと報じられた。本当は、カネで困窮しているのではないか。軍団を維持する潤滑油が枯れているのではないか。同じく、鳩山由紀夫が僅か20名の派閥を束ねられず、民主党のオーナーであるにもかかわらず、この政争の中で派内で孤立する不面目となり、82名に届く数を固められなかったのは、鳩山由紀夫の金庫が空になっていたからだ。と、私は推測する。例の鳩山安子の裏金パイプが検察に押さえられ、資金の流れが切断され、子分を飼うカネを十分撒けなくなったのだ。金の切れ目が縁の切れ目。政権のポストに強欲に執着する鳩山派の子分たちは、簡単に鳩山由紀夫を裏切り、派閥は体を成さなくなった。今、鳩山由紀夫はカネのありがたさを身に染みて感じているだろう。小鳩新党を立ち上げるにも、そこには先立つものが要る。検察による封印を解除し、安子の裏資金で再び金庫を満たすためにも、権力を奪還する必要があるのだ。カネの工面もつかないうちに、拙速に小鳩新党は立ち上げられない。鳩山由紀夫には党を割って出る選択肢はない。その台所事情は、小沢一郎も基本的に同じである。
剛腕を支えてきた物質的土台が掘り崩されている。6/2の当日、菅直人に退陣表明による収拾を迫った亀井静香が、しみじみとした口調で、「政治家が弱くなったんだよ」「日本人がみんな弱くなっているんだ」と報道陣の前で呟いた。その言葉が妙に印象的で、私はずっと意味を考えていたが、一つの解釈を披露することができる。なるほど、この「弱くなった」という意味は、「財力がなくなった」という意味に違いない。そう置き換えれば、意味が腑に落ちて響き、今の日本の政治を透視した言葉に聞こえる。亀井静香の嘆きに悄然とさせられる。政治のリーダーが小粒になり、砂粒になり、存在も概念も地上から消滅してしまったのは、様々な理由があるけれど、一つにはカネを配れる人間がいなくなったという点は見逃せないだろう。政策を実現するには派閥を作る力が要る。田中角栄は言った。政治は力、力は数、数はカネ。この命題は、日本の保守政治の範疇と論理においては、どうやら普遍的に妥当する政治哲理のようであり、官僚やマスコミや米国に抵抗して、それなりに国民の利益になる政策を実現させようとすれば、指導者として子分集団を維持する買収的契機が必須なのかもしれない。そうした政治家が欠けた瞬間、政治はなくなり、官僚とマスコミと米国が政策の一切を仕切り、法律と予算を決めて運ぶようになる。マスコミは、菅直人に早く退陣しろと言い、代表選をして世代交代しろと嗾けている。野田佳彦と仙谷由人を次の総理候補だと書き立てている。冗談じゃないと鼻白むのは私だけだろうか。マスコミの魂胆は見え透いていて、官僚の木偶人形を飾りにしようと工作しているだけだ。
ばかな、政治家が多すぎる・・・















