【正論】国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄
中国に翻弄され続けた国交40年
2012/09/28 03:09 産経
明日29日、日中国交樹立40周年を迎える。本来なら日中友好の節目を画す祝賀ムードに包まれるはずなのに、尖閣諸島問題に端を発した反日デモなどで、在留邦人は身の危険にもさらされている。進出した日本企業の工場や店舗も破壊された。中国は、10月にも予定される次期中国共産党大会の日程さえまだ発表されないという、内政上の異例の不確実性の中にあり、国民の間に潜在する様々(さまざま)な不満も鬱積している。反日デモが反体制の動きを引き起こしかねないことを恐れる中国当局は、デモを規制しつつ、国民の不満が全土の反日デモで燃え尽きてくれたなら、と期待している。
≪正しい歴史的選択だったか≫
この40年、日本外交はほぼ一貫して中国との友好に努めてきたにもかかわらず、その結果がこのありさまである。となると、尖閣国有化といった個別の問題を超え、日中国交樹立そのものが正しい歴史的選択だったのかが、今こそ、原点に遡(さかのぼ)って問い直されるべきだと私は考えている。
国交が正常化された1970年代初頭は、周知のように、中国をめぐる世界情勢が雪崩を打ったように動いた時期であった。当時は米ソが世界の超大国として対立、文化大革命に揺れていた中国は、同じ社会主義陣営のソ連を、「社会帝国主義」覇権国家と見なして激しく非難していた。そうした状況下で、中国は、多数派工作の先兵として、「東欧の孤児」アルバニアを最大限に利用した。71年秋の国連総会では、中国(中華人民共和国)を加盟国とし、台湾(中華民国)を国連から追放するというアルバニア決議案が、多数の賛成で可決されたのである。
中国、尖閣国有化に反発 国交正常化4…
中国、領有権主張で台湾統一工作も利用
中華人民共和国が大陸を実効支配し、台湾は亡命政権のような形で「大陸反攻」を掲げていたとはいえ、国連の原加盟国で安全保障理事会常任理事国、第二次世界大戦の主役でもあった中華民国を、数の力で国連から葬り去ることは正しいのか、アルバニアに重要決議を提案する資質があるのかも検討されずじまいで、国連は急旋回したのであった。そこに、当時の国際社会が犯した大きな誤りがあったといわねばならない。
≪台湾との断交は戦後の過ち≫
中国をめぐる国際社会の急激な流れは、ニクソン米政権下の71年7月のキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)による北京隠密訪問、そして翌72年2月のニクソン訪中による米中接近につながり、世界を驚かせた。
そこに登場したのが、日中国交を引っ提げて人気絶頂の田中角栄政権である。わが国政財界もマスメディアも、「バスに乗り遅れるな」と中国との国交樹立に動いていった。産経新聞を例外として、マスコミによる報道は過熱し、それに乗って田中首相と大平正芳外相の訪中が実現、北京での中国ペースの「日中復交三原則」に基づく日中共同声明で、一挙に国交が樹立されたのであった。
同時に、北京で公表された大平外相の談話によって、わが国は中華民国との間の日華平和条約を一方的に破棄し、台湾との国交を断絶したのである。国際法上も日本と台湾との歴史的に極めて深い結びつきからしても、戦後日本が犯した大きな過ちであった。
以来、わが国はひたすら中国に跪拝(きはい)し、中国を刺激しないように低姿勢を貫いてきたにもかかわらず、いや、それがゆえに、今日の事態に立ち至ったのである。この間、中国側は、靖国、教科書、歴史認識の諸問題で常に日本側に問題を突き付け、内政干渉まがいの立場を改めなかった。わが国が供与した多額の政府開発援助(ODA)資金や超低利の円借款、様々な経済協力も、結局は、中国の経済・軍事大国化に寄与してきただけだったように思われる。
≪尖閣で何もしなかったツケ≫
尖閣問題はご無理ごもっとも外交の典型である。中国が領有を唱えだしたのは、68年に、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の海洋調査で尖閣海域の豊富な海底資源の存在が明らかになってからだ。中国は、国交樹立前年の71年12月30日付の「釣魚島(尖閣諸島)に関する中国外交部声明」で明確に領有を主張していた。にもかかわらず、日本政府・外務省は国交樹立への流れの中で、何ら文句を言うことなく、国交樹立時にも、尖閣問題はここでは避けようという周恩来首相の提案で一切論議しなかったのである。
さらに、79年1月、副首相のトウ小平が来日し、「(尖閣問題は)次の世代、またその次の世代で解決すればよい」と語ったことに、日本側は安心してしまった。当時の中国は華国鋒政権だったが、その華国鋒が失脚して実権を握ったトウが改革・開放の「南巡講話」を発表した92年2月、中国は全国人民代表大会の常務委員会で「領海法」を制定、尖閣諸島を中国の領土に組み入れてしまった。
事ここに至っても、日本政府・外務省は形式的な抗議にとどめている。秋の天皇、皇后両陛下ご訪中に賭けていたのだ。「日中友好」でいかに大きな代償を支払わされたか再確認すべき秋(とき)である。(なかじま みねお)
公立大学法人国際教養大学
中嶋 嶺雄学長
プロフィール
国際社会学者。公立大学法人国際教養大学理事長・学長。東京外国語大学学長、オーストラリア国立大学やカリフォルニア大学サンディエゴ校大学院の客員教授などを歴任し、2004年より現職。

011年2月15日 朝刊 東京新聞
中国が国内総生産(GDP)の規模で日本を追い抜いたことを受け、「日本から中国への政府開発援助
(ODA)は不要だ」との声が政府内外で高まり そうだ。ただ、日中関係を重視する外務省は
「中国の環境対策や両国の交流が進めば日本の国益にかなう」と主張し、当面は対中ODAを継続したい方針だ。
(桐山純平)
日本の中国支援は一九七九年の大平正芳元首相の訪中を機に始まった。二〇〇九年度までの
援助総額は約三兆六千四百十二億円。このうち約九割は途上国に低利、長期の資金を貸し付ける
円借款の形で行われ、中国は資金を鉄道や発電所などの建設に充ててきた。
日本政府は中国援助の大部分を占めた円借款については、中国経済の発展の象徴となった
〇八年の北京オリンピック開催を境に打ち切った。その結果、ピーク時の二〇〇〇年度に
二千二百七十四億円だった中国向けのODAは、〇九年度には約四十六億円まで減った。
ただ、外務省はODAの配分を決める尺度として「国民一人当たりのGDP」を重視。
中国はこの金額が少ないため「途上国」として扱い、当面は援助 を続けたい考えだ。
外務省はODAには中国からの留学生の受け入れに伴う経費も含まれることも指摘。
日本に影響を及ぼしかねない環境問題や感染症対策での 中国への技術支援も「必要だ」と強調する。
他の先進国が、中国への経済支援を増やしつつあるのも日本が援助をやめられない理由。
ドイツやフランスなどは、むしろ中国向けのODAを増やしており、援助額は日本を抜いたとみられる。
独仏両国には、中国経済とのつながりを強めたいとの思惑もあるようだ。
日本のODA予算自体は二〇一一年度予算案で前年度比7・4%減の五千七百二十七億円。
厳しい財政状況を受けて十二年連続で減っている。
減り続ける予算の中で行政刷新会議の事業仕分けはODA予算に関し
「案件選定の透明化」の判定を下した。
政府内からも「もう途上国でない中国に支援はいらない、との声もある。
だから援助理由をもっと明確にしたほうがいい」(財務省幹部)との指摘も出ている












