東京リーシングと土地活用戦記 -102ページ目

東京リーシングと土地活用戦記

ニーチェ・ツァラトゥストラの言葉「神は死んだ、神なんかもう信じるな」「強い風が吹く所に一人で立て!そこは非常に厳しいけれど、人間自分自身が主人公だ!風を受けて孤独になれ!」「真理などない。あるのは解釈だけ」いいねー。スバム読者申請コメント削除します。

$東京リーシングと土地活用戦記


株式会社ローソン 代表取締役社長CEO 新浪 剛史さん

自給率向上は国家的課題 コンビニも変わらなければ

日本の食料問題を考える上で、コンビニは無視することのできない存在。そこで、新浪社長にコンビニと食の未来について聞きました。農林水産庁

Profile にいなみ・たけし1959年、横浜市生まれ。81年、慶應義塾大学経済学部卒業、三菱商事入社。91年、ハーバード大学経営大学院修了(MBA取得)。95年に給食会社のソデックスコーポレーション(現・レオックジャパン)社長に就任。その後三菱商事に戻り、99年外食事業チームリーダー、2001年ローソン事業ユニットマネージャー、02年3月ローソン顧問を経て同年5月から社長。

「先進国中最低の39%という水準は、もはや『改善と向上』でクリアできるレベルの問題ではない。食料安全保障という観点から見ても、これは国家的な課題と言えるでしょう。危機が目の前までやってきたときには、もはや遅すぎるんです」

 株式会社ローソン代表取締役社長CEOである新浪剛史さんは、日本の食料自給率についてこう語る。

「新たに農業に参入したいという人をどう増やしていくか、農業の法人化がうまくいかないのはなぜか……国、産業界、国民が一緒になって真剣に考えるときです。昨年の食品偽装事件や今年初めの冷凍ギョーザ事件の影響などもあって、消費者の『少々コストがかかっても安心して食べたい』というニーズは確実に高まってきている̶̶国産品の消費を拡大するには絶好のチャンスなんです。この機会を活かして『品質の高い国産品を応援しよう、国産品を食べよう』という国民運動にしていかなきゃならない。私たちもコンビニエンスストアという立場から、何ができるかを常に模索しています」

 その言葉どおり、ローソンでは2003年から、全国17の都道府県と提携し、各地域の食材を使った商品づくりを行っている。

「各自治体に地元のおいしい食材を紹介していただこうという試みです。日本各地には、良質でおいしい食材がたくさんありますから。“地産地消”はすでに行われています。これからは“地産外消”が重要だと私たちは思っているんです。つまり地域独自の良質な産品を東京、大阪、名古屋といった大消費地のお客様に紹介したい。例えば、昨年9月に長野県産のリンゴを使ったジャムパンを名古屋のローソンで販売したところ、たいへんな好評を得ました。『信州産リンゴのジャムを使ったジャムパン』といった、食材の地域ブランド価値は、多くのお客様が認めてくれています。このように日本各地の食材を積極的に紹介していくことで、結果として生産者の方々を応援できればと思っています」

 食料自給率低下の背景には、大量の食品を輸入し、大量に廃棄するという日本の食を支えるシステム自体の問題も横たわっている。コンビニエンスストアにとっても、大量の食品残(ざん)さは悩みの種だ。まだ食べられる食品でも、品質管理の徹底のため、消費期限前に棚から撤去されていく。

「豊富な品揃えの背景にある大量の商品廃棄は、コンビニのビジネスにとって、ある意味で必然だったともいえます。現在のコンビニのビジネスモデルが確立したのはバブルの頃。つまり “モノが豊富にある時代”のしくみなんです。しかし、パラダイムはもう変わってしまったんだと思います。今後はこれを“モノがない時代”のしくみに変えていかなければなりません。ローソンでは今年から試験的に弁当の店頭調理を始めています。お客様の注文を受けてから調理をしてお渡しする……このシステムが全国展開できれば、食品残さは劇的に減少します。また、これは横浜市のある店舗だけの試みですが、消費期限間近で撤去した惣菜や弁当を近くの食堂に提供し、料理の食材として有効に活用していただこうという取り組み(※)も始めています。ほかにも、発注の制度を改善するなど、廃棄を極限まで減らすしくみをつくります」

 コンビニの将来に「夜も眠れないほどの危機感を感じている」という新浪さん。新たなコンビニのビジネスモデルが、日本の“食と農の風景”を変える力となることを期待したい。

横浜市南区寿町でNPO法人さなぎ達が運営する「さなぎの食堂」で、路上生活者や生活困窮者を対象に行われている取り組み。「横浜ローソン尾上町三丁目店」で売場から撤去されるパンやおにぎり、弁当などを食材に用い、300円程度の安価な定食として消費期限前に提供している。


内需伸びない根底に規制 政治に任せず民で解決を——ローソン社長CEO 新浪剛史 - 10/10/12

 内需産業の優等生とも言えるコンビニエンスストア業界。だが、その成長も頭打ちとなり、新たな顧客層拡大が急務となっている。大手各社はこぞってアジアに照準を向けており、ローソンも上海に続き重慶に、中国内陸部では初の出店を果たした。同社の新浪剛史社長に、国内外での成長戦略を聞いた。

——急激な円高で輸出産業は痛手を被っています。景気の二番底が懸念される中で期待のかかる内需産業ですが、これまでの政策では十分に機能できていません。何が足りないのだと思いますか。

 内需が伸びない根底には規制がある。生活者にとって価値があるかどうかの目線で抜本的に見直し、若い人たちがチャレンジできる社会を作っていかないといけない。特にヘルスケア分野は、地域密着型ビジネスが育ちやすいので期待できる。医療や福祉の分野で拡大することは、いずれアジアでの展開にも生きるはず。中国をはじめアジア各国も高齢化社会に向かっているからだ。

 規制の見直しは政治に任せるのではなく、経団連や経済同友会、商工会議所といった経済界が、もっとかかわるべきだ。規制には官がうんぬんというより、実は民・民の問題がすごく多い。民が一つの権益を抱え込んでいるケースも少なくないからだ。価格を下げるためではなく、質をもっと上げていくために見直すべきだ。

──政府に対する経済界の要望の仕方に問題があると。

 政治との対話は活発にしてきたが、最近は政治がポピュリズムになって経済界の言うことをあまり聞いてくれない。経済界はもっと「輿論(よろん)」形成をすべきだ。こうすれば生活レベル、QOL(生活の質)が向上するとか、利便性がよくなるとか、そういった輿論作りが必要。


一方で政治は輿論ではなく「世論(せろん)」で動いている。輿論とは健全な物の考え方、熟考できる人たちが議論して形成していく質の高い意見だ。経済界は輿論作りに自ら動かないとダメ。政治に要望するだけではなく、自分たちも行動を起こしていかないといけない。

──輿論形成には国民への啓蒙や教育も不可欠ですね。

 これからの10年を見据えて、企業や社会全体が再度教育に力を入れるべきだ。弊社では教育は「共育」、育てることはともに育つことと認識している。だから、パブリック、コミュニティの中で教育をやるべきだ。日本は、歴史的に寺子屋や藩校というインフラがあったからこそ、今があると思っている。いわゆる、ワークエシックス(働くことの倫理観)は日本が世界一だと思うが、これが今、風化しつつある。ワークエシックスの中心は道徳だ。この価値を再度見直したうえで、10年の計をやり直さないといけない。

50代以上の市場開拓が持続的成長につながる

──国内消費低迷の中、コンビニ業界は今後成長し続けられますか。

 コンビニは街の隅々にあり目立つので、小売業界の中でシェアが高いように見えるが、全体の1割前後にしかすぎない。お客様の中心は20~40代の男性なので、まだコンビニをそれほど使わない人も多い。たとえば50代以上や女性の支持は、私たちが考えるよりも低い。こうした方々に必要とされる商品やサービスがそろってないからだ。

 パイを奪い合うだけで、イノベーティブとは言えない業界になっているのは、店舗をたくさん出してシェアを取ることだけを、各社が重視するようになったためだ。では今後伸びるためには、どうすべきか。他業態からシェアを取っていくのかと聞かれれば、そういうことではない。生活に必要な新しい提案や、新しい市場を創造することで、内需につなげるようにしたい。たとえば、伸びる可能性が高い50代以上のマーケットを攻略できれば、持続的な成長産業になれる。

──提携戦略が相次いでいます。ドラッグではマツモトキヨシ、調剤ではクオールと提携していますね。

 ユニークなコンビニになるためには、アライアンス(提携)が必要です。その際、組む相手にないものを持っていたほうがコラボ(協力)しやすい。その点、大型コンビニ同士は補完するものがなく非常に難しい。

 私どもは薬の売り方を知らないし、相談にあずかることもない。調剤薬局は処方箋を基にコンサルティングするが、こうした商品を介したコミュニケーションは、専門性が低いコンビニでは比較的少ない。異業種から学ぶことはたくさんある。

 マツキヨさんと一緒に店を出していくとすると、100坪以上の大型店になるだろうし、調剤薬局をナチュラルローソン中心に展開していけば、高齢化社会を支えるネットワークになっていくかもしれない。

──高齢者をターゲットとした場合の店作りや商材は、どのようなものをイメージしていますか。

 糖尿病の食事を例に取ると、重度の領域をやろうとは思っていないし、福祉の世界に入るつもりもない。いかに予防していくかという点でやれるのではないかと考えている。糖尿病の患者向けの食事を開発しても、ローソンでは売れないが、調剤薬局が入ったファーマシーローソンならイメージに合う。日常食べる物で、ミールソリューションを提供するのが役割だと思っている。

中国は出店地域拡大し10年間で1万店目指す

──中国展開では上海に加え、内陸の重慶に独資で出店しました。

 上海に出店してもう14年になる。利益が出ていることは成果と言えるが、店舗のクオリティは大幅に落ちている。改装の時期が非常に遅かったり、現地のパートナーとコミュニケーションができていなかったりなど反省がある。ただ昔は、パートナー側はメンツを重視していたが、最近はリターンにこだわるなどコミュニケーションしやすくなった。改善できるのではないかと考えている。

──重慶市から招致の話があったそうですが、進出の決め手は。

 人口密度が非常に高く、オフィス街の昼食難民も多い。2年前に実際に行って、早く出たほうがいいと思った。成長率も中国の平均より高い。今後の中国展開は北京、天津、東北部、広州、上海の周辺部なども視野に入れていく。10年で5000~1万店を展開したい。

──日本のコンビニというビジネスモデルは、中国で通用しますか。

 コンビニは、ソフトとしても輸出できる。世界的に見ると、小売りはスモールマーケットにシフトしており、お客さんに近づいている。コンビニは中国でも十分に通じる。

 中国の地元資本のコンビニは、取引先からのリベートなどで利益を確保しており、成長性があるビジネスモデルとして成功している例はほとんどないだろう。店舗はほかをまねているケースが多く、サプライチェーンを持っていないからだ。

── 一方で、国内市場は猛暑効果が出て、回復しつつある。

 既存店が前年比をクリアしたといっても、消費の力は弱い。コンビニ以外で安く手に入るものも多く、正味はさほど強くない。

 やはりコンビニは、いかに新しい価値を構築できるかだ。ヒットした「プレミアムロールケーキ」は、それまで100円がベースだった価格を150円にしたが、お客さんはその価値を認めてくれた。品質と価格から見て値頃感がある物を作るのは、人的資源も資金もかかる。だが、質を重視するのは、仕組み産業の代表たるコンビニの役目だ。


——半年以上前になりますが、チケット子会社のローソンエンターメディアで、元幹部による資金の不正流用という不祥事が発覚しました。子会社会長でもあった新浪社長自身が辞任するという選択肢は考えなかったのですか。

 僕自身がもっと意志決定に絡み経営に携わっていれば、ああいうことは起こらなかったと思う。

 加盟店にとって、チケットは重要なアイテムであり、チケットに強いのはローソンの特徴でもある。そうした火が消えてしまうのは困るわけで、自分自身がもう一度立て直し、企業価値向上につなげていく。

(鈴木雅幸・週刊東洋経済編集長、高橋志津子 撮影:田中庸介/アフロ =週刊東洋経済2010年9月18日号)
※記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。


にいなみ・たけし
1959年生まれ。81年三菱商事入社。2002年ローソン社長就任、05年社長CEO。10年より経済同友会副代表幹事。

$東京リーシングと土地活用戦記




やっぱり人ですね・・・

10年間で1万店なんて・・・・・すごいよね!!!

頭はげちゃうネーーー

今日の日経に、こちらの社長さん、上海常駐って・・・・

しかし、三菱系は、最近、商業施設とか、

いろいろと、積極的ですかねーーー・・・


$東京リーシングと土地活用戦記


$東京リーシングと土地活用戦記


$東京リーシングと土地活用戦記


$東京リーシングと土地活用戦記



先週、早稲田での打ち合わせのとき・・

穴八幡で、古書祭をやっていた・・

ついでに立ち寄った際・・

天正少年使節の本を発見・・・買っちゃいました!!


$東京リーシングと土地活用戦記


天正遣欧少年使節

天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になり、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われた(これをキリシタン版という)。

ヴァリニャーノは自身の手紙の中で、使節の目的をこう説明している。
第一はローマ教皇とスペイン・ポルトガル両王に日本宣教の経済的・精神的援助を依頼すること。
第二は日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせることにより、布教に役立てたいということ
であった。

使節団の構成 [編集]

使節の少年たちはセミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれた。
使節
伊東マンショ(正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。
千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で晴信の従兄弟。後に棄教。
中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴づりによって殉教。
原マルティノ(副使) 後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。
随員
ジョルジェ・ロヨラ修道士 使節の教育係、日本人
コンスタンチノ・ドラード 印刷技術習得要員、日本人少年
アグスチーノ 印刷技術習得要員、日本人少年
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父 ローマへ随行するつもりだったが、職務によってゴアにとどまる。
ヌーノ・ロドリゲス神父 ヴァリニャーノの後をついで一行に従う。
ディオゴ・メスキータ神父 通訳、イエズス会員
ロレンソ・メシア神父
オリヴィエーロ修道士
関係年譜 [編集]

1582年2月20日(天正10年旧暦1月28日) 長崎港を出港
1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日) マカオ着。風を待つ。
1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日) マラッカ・コチンをへてゴア着。
1584年8月10日 (天正12年旧暦7月5日)ポルトガルの首都リスボンに到着。サン・ロッケ教会が宿舎となる。リスボン近郊シントラのアルベルト・アウストリア枢機卿(フェリペ2世の妹マリアと神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の男子)の王宮に招かれる。
1584年11月25日(天正12年旧暦10月23日) スペインの首都マドリードでスペイン国王フェリペ2世の歓待を受ける。
1585年3月7日(天正13年旧暦2月6日) フィレンツェに到着。メディチ家による舞踏会に参加。
1585年3月1日(天正13年旧暦1月30日) ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
1585年5月1日(天正13年旧暦4月2日) グレゴリオ13世の後を継いだシクストゥス5世の戴冠式に出席。
1585年6月3日(天正13年旧暦5月6日) ローマを出発。以後ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノなどの諸都市を訪問。
1586年4月13日(天正14年旧暦2月25日) リスボンを出発。帰路につく。
1587年5月29日(天正15年旧暦4月23日) インドのゴアに到着。ヴァリニャーノに再会。コレジオにおいて原マルティノの演説が行われる。また同月に長崎で大村純忠が死去。
1587年6月 豊後において大友宗麟が死去。
1587年7月 豊臣秀吉によるバテレン追放令発布。
1590年7月21日(天正18年旧暦6月20日) 使節団帰国。長崎に帰港。
1591年3月3日(天正19年閏1月8日) 聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏
する。

使節団が持ち帰った西洋の文物 [編集]

活版印刷機
西洋楽器
海図
記念碑等 [編集]

4名全員の群像
長崎県大村市:「天正遣欧少年使節顕彰之像」(1982年、使節の出発400年を記念して建立)[1]。
伊東マンショ
大分県大分市遊歩公園:「伊東ドン・マンショ像」(彫刻家北村西望による作品)
原マルチノ
千々石ミゲル
中浦ジュリアン
長崎県西海市:「中浦ジュリアン記念公園」ウェキペディア





東京リーシングと土地活用戦記 border=


東京リーシングと土地活用戦記 border=


東京リーシングと土地活用戦記 border=


東京リーシングと土地活用戦記 border=



子供のときからの渋谷・・

渋谷スクランブルは、相変わらず 人多い・・・・

先週の写真です。

今日も、世田谷で・・現場打ち合わせ・・

1階115坪店舗、駐車場6台・・・

お休みなんですけどーーー

10人集まったから、しょうがないねーー・・

今日は、体育の日、

秋晴れ(^O^)でしたーー!!



$東京リーシングと土地活用戦記

$東京リーシングと土地活用戦記


 落 柿 舎 記          去 來

 嵯峨にひとつのふる家侍る。そのほとりに柿の木四十本あり。五とせ六とせ經ぬれど、このみも持來らず、代がゆるわざもきかねば、もし雨風に落されなば、王祥が志にもはぢよ、若鳶烏にとられなば、天の帝のめぐみにももれなむと、屋敷もる人を、常はいどみのゝしりけり。ことし八月の末、かしこにいたりぬ。折ふしみやこより商人の來り、立木にかい求めむと、一貫文さし出し悦びかへりぬ。予は猶そこにとゞまりけるに、ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるゝ聲、よすがら落もやまず。明れば商人の見舞來たり、梢つくづくと打詠め、我むかふ髮の比より、白髮生るまで、此事を業とし侍れど、かくばかり落ぬる柿を見ず。きのふの價、かへしくれたびてむやと佗。いと便なければ、ゆるしやりぬ。此者のかへりに、友どちの許へ消息送るとて、みづから落柿舎の去來と書はじめけり。

  柿ぬしや木ずゑはちかきあらし山

「柿主や 梢はちかき あらし山(去来)」


去来抄

秋風や白木の弓に弦はらん

湖の水まさりけり五月雨

をととひはあの山越つ花盛り

尾頭のこころもとなき海鼠哉

螢火や吹とばされて鳰の闇

鳶の羽も刷ぬはつしぐれ

応々といへど敲くや雪の門

岩鼻やここにもひとり月の客


向井去来
向井去来(むかい きょらい 慶安4年(1651年) - 宝永元年9月10日(1704年10月8日)))は、江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれる。堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の身分をすてた。京都嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)に住み、松尾芭蕉はここで『嵯峨日記』を執筆した。野沢凡兆と共に、蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂した。「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」とあだ名された。

$東京リーシングと土地活用戦記


落柿舎(らくししゃ)は、嵯峨野(京都府京都市右京区)にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵。去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家の周囲には40本の柿の木があったという。
庭の柿を売る契約をしたのちに、柿がすべて台風で落ちてしまったためこう呼ばれている。 1691年(元禄4年)4月から5月までここに松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著した。野沢凡兆(ぼんちょう)、凡兆の妻の羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。 現在の庵は俳人井上重厚による再建である。場所も建物も芭蕉の時代のそれとは異なっている。

平成20年12月1日から平成21年9月末まで庵の大規模な修復工事が行なわれた。

京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町2
JR山陰線 嵯峨嵐山駅 徒歩20分



来月は、京都に行く予定・・嵐山の落柿舎へ、いってみようかな・・

今日は、いつもの、

地元、八王子打越の浜寿司さんとこのランチと、

コストコだったけどねーーー!!!


$東京リーシングと土地活用戦記



$東京リーシングと土地活用戦記



自民の佐藤ゆかり氏が蓮舫大臣に辞任要求 国会内の雑誌撮影めぐり「虚偽申請なら、とんでもない」

2010.10.8 13:11 産経


経済関係閣僚委員会に臨む蓮舫行政刷新担当相=8日午前、国会内(酒巻俊介撮影)

 自民党の佐藤ゆかり参院議員は8日昼、蓮舫行政刷新担当相が国会議事堂内でファッション雑誌の写真撮影に応じたことについて「聞くところによると、違う目的で届け出をして、ファッション雑誌の写真撮影をしていたというが、事実であれば、虚偽申請でとんでもないことだ」と批判した。

 その上で「初歩的な間違いをしたわけなので、国を背負う大きな責任ある役職には当然、お立ちいただくことはできない」と述べ、蓮舫氏は閣僚を辞任すべきだとの認識を示した。国会内で記者団に語った。

 議事堂内での撮影は議員活動にかかわる場合は認められているが、私的な宣伝、営利目的に当たる行為は許可されていない。



- 事業仕分けの化けの皮 - みんなの党


 「これまでの事業仕分けと同じように財源捻出は目的にしてません。お金を
 出そうとは思っていません
」。
 特別会計を対象にした事業仕分けの取り組み方針を決めた9月30日の行政刷新
 会議終了後、蓮舫行政刷新担当相は記者会見でこう説明した。

 事業仕分けも今回が第3弾となるが、蓮舫氏が指摘するようにこれまでの仕分
 けでも期待された財源を捻出することはできなかった。
 ただ、野党時代の民主党は一般会計と特別会計の合計額(207兆円)の1割を削
 減するのは簡単なことだと主張していた。
 財源の裏付けがないと批判された高速道路の無料化や子ども手当てなどの独
 自政策についても、徹底した行政の刷新によって財源捻出は可能だと主張し
 てきた。
 事業仕分けによって財源を捻出しないのであれば、政権交代の時に約束した
 財源の捻出は政府内のどこの誰が責任を持って実施するのだろうか。

 蓮舫氏は今回の特会仕分けについて、特別会計の制度そのものの改革に主眼
 を置く意向も示している。
 確かに、特会には51もの勘定があるなど、金の流れは一般の人間にとっては
 複雑で理解することが困難だ。
 そのことで監視機能が弱まり無駄な事業を生み出す温床となっていることが
 考えられ、改革の余地はあるだろう。

 しかし、蓮舫氏が強調する「制度そのものの改革」という言葉は、独立行政
 法人を対象に実施した今春の事業仕分けでも使われていた。
 みんなの党の渡辺喜美代表が行政改革担当相時代にまとめた独立行政法人の
 整理合理化計画を凍結して実施した事業仕分けだったが、仕分けから半年が
 経過した今も独法制度の新しい改革像は提示されていない。


 財源も捻出しない、制度の改革も実施しない。
 こんな事業仕分けが本当に必要なのだろうか

 テレビメディアを味方につけて高い支持を集める事業仕分けだが、そろそろ
 化けの皮がはがれるだろう




まったく・・・・・・・ひどいはなしだーーー





$東京リーシングと土地活用戦記



リンカーン元大統領署名の「奴隷解放宣言書」が競売へ

 [ニューヨーク 6日 ロイター] 1863年にエイブラハム・リンカーン元米大統領によって発布された「奴隷解放宣言書」が12月に競売に掛けられることになった。競売大手サザビーズが6日明らかにした。

 リンカーン元大統領の署名が入ったこの宣言書は、現存するとされる19部のうちの1部で、ジョン・F・ケネディ元米大統領の弟のロバート・F・ケネディ氏が所有していたもの。

 サザビーズによると、予想落札額は100万ドル─150万ドル(約8300万円─1億2400万円)

 1968年に民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺されたケネディ氏は、司法長官を務めていた1964年に同宣言書を購入。以来、バージニア州マクリーンにあるヒッコリー・ヒルの自宅に保管されていた。



$東京リーシングと土地活用戦記



ゲティスバーグ演説

The Gettysburg Address, Gettysburg, Pennsylvania, November 19, 1863

エイブラハム・リンカーン

岡田晃久+ 山形浩生 訳

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.

4世代(*1)と7年前に私たちの祖先たちはこの大陸に、自由の理念から生まれ、全ての 人が平等に創られているという命題に捧げられた一つの新しい国を生み出しました。

Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure.

今、私たちは大きな内戦の最中にあります。そしてこの内戦は、その国が、あるいはそのような理念から生まれ、そのような命題に捧げられたいかなる国もが、長い間持ちこたえられるものかどうかという試練なのです。

We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.

私達は、その戦争の大戦場で一堂に会しています。わたしたちがやってきたのは、その国が生き延びるようここで自分の生命を犠牲にした人々に、最後の安息の地としてその戦場の一部を捧げるためです。私達がそうするのは、全く適切でありふさわしいことです。

But, in a larger sense, we can not dedicate -- we can not consecrate -- we can not hallow -- this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract.

しかしより広い意味でいえば、私達はこの大地を捧げられない-神聖化しえない- 清められないのです。ここで奮闘した勇敢な者たちは、生ける者も死せる者たちがすでにここを神聖化してしまい、なにかを足したり取り除いたりするわれわれの貧弱な能力など、それにまったくおよばないものだからです。

The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here.

世界は私達がここで言うことなどほとんど気に留めたないでしょうし、それを長く 記憶にとどめることもないでしょう。でも、彼らがここで為したことを決して忘れることができないのです。

It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced.

われわれ生きる者の使命とはむしろ、ここで戦った人々がこれまで気高く前進させた、この未完の仕事に身を捧げることなのです。

It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us -- that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion -- that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain -- that this nation, under God, shall have a new birth of freedom -- and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

ここにいるわれわれの使命とはむしろ、かれらが 最後の完全な献身を捧げた理念に対し、この名誉ある死者たちから一層の 熱意を持って、われわれの前に残された偉大な任務に専念することなのです。 その任務とは、あの死者たちの死を無駄にはしないとわれわれがここに固く決意し、 この国が神のもとで新しい自由を生み出すことを決意し、そして人々を、人々自身の 手によって、人々自身の利害のために統治することを、この地上から消え去さらせはしない、と決意することなのです(*2)。




たった1枚の、紙っキレがーーーー・・・!!
でもね、リンカーン元大統領は、アメリカの自由の象徴なのです。


$東京リーシングと土地活用戦記


奴隷解放宣言 ウェキペディア

奴隷解放宣言(どれいかいほうせんげん、英: Emancipation Proclamation)は、 アメリカ合衆国大統領であったエイブラハム・リンカーンが、南北戦争終戦のおよそ2年半前である1862年9月、連邦軍の戦っていた南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じた宣言をいう。
連邦側から脱退していなかった境界線辺りの奴隷州と、すでに連邦軍に制圧されていた地域はこの宣言の対象外とされた。この宣言によってすぐ解放された奴隷の数は少なかったが、終戦後、南部連合支配地域が連邦軍の支配下に戻され、アメリカ合衆国憲法第13修正が承認されたため、奴隷たちの解放は公式に確立された。この宣言をきっかけとして、合衆国で奴隷解放運動が後に盛んになったのである。

議会が南軍兵士の奴隷を解放(1862年7月) [編集]

1862年7月に、アメリカ合衆国議会は第2押収法(Second Confiscation Act)を提案し、 リンカーン大統領はそれに調印した。この法律は、連邦に反抗的な南軍兵士が保持する奴隷を解放する、というものであった。以下の文は、その法律の抜粋である。
第2節:これ以後、アメリカ合衆国の権威に反抗するような、またはその法律に反発するような反乱を起こしたり、始めたり、それに参加した者は、そしてそのような現存の反乱を助けたり、援助した者は、有罪と決められたならば、10年以下の懲役でもって、または10,000ドル以下の罰金でもって、罰せられた上、その者の奴隷は全て解放される。または、裁判所の判決によっては、懲役と罰金、両方の罰が課せられる。

第9節:次のような全ての奴隷たちは、連邦が得た戦争の捕虜と見なされ、永遠に奴隷の身から解放され、以後再び奴隷となることはない。合衆国の政府に反抗するような、またはその法律に反発するような反乱を起こしたり、始めたり、それに参加した者が主人である奴隷たち、そしてそのような現存の反乱を助けたり、援助した者が主人である奴隷たちで、その主人の元から逃げ出し、連合軍側の土地に避難した者、また、南軍の奴隷たちで、連邦軍の力によって南軍の兵士たちの手から確保・略奪された者、また、本来いた南軍の土地がその後連邦軍側に占拠された奴隷たち。

つまり、この法律によれば、誰でも連邦側に反抗したら持っている奴隷を解放しなければならない。この法律は、国内の奴隷制を完全に廃止した合衆国憲法第13修正とは違うものだが、議会の「南部連合軍側の奴隷たち全員を解放したい」という意思は、この法律によって明らかなものとなった。同様に、リンカーンの奴隷解放宣言は、彼のそのような意思を国民に明らかにしたものだった。

どうやって奴隷解放宣言は発布されたか [編集]

奴隷解放宣言は、2部に分かれて発布された。第1部は、1862年9月22日に発布され、その後発布された第2部の概要を説明する予告版であった。第2部は、南北戦争の2年目である1863年1月1日に発布された。リンカーン大統領はこの宣言で、連邦軍から脱退した州の中で、1863年1月1日の時点で連邦側にまだ戻ってきていない全ての州の奴隷が解放されることを宣言した。 この宣言の対象になった10州の名前はこの第2部に記された。しかし、メリーランド州とデラウェア州(連邦側から脱退しなかったため)、テネシー州(すでに連邦側)、そしてミズーリ州とケンタッキー州(連邦側に忠誠)のそれぞれの州名は、例外として、意図して解放宣言に記されなかった。 そのほかにも対象から外され免除されたのは、バージニア州から離脱してウェストバージニア州となった48の郡と、いくつかの他のバージニア州の郡、そしてニューオーリンズ市などのルイジアナ州の市や郡。1863年1月1日の時点で連邦側に属していた地域は奴隷解放宣言の対象外だったのである。 また、これを遡る1860年に出された予備宣言では、南部諸州が、治安回復に努めるならば奴隷解放の必要はないと明記されている

背景 [編集]

南北戦争が始まってからは、たくさんの奴隷たちが北軍の兵士として、自分たちの自由のために戦った。北軍が戦いで占領した南軍の奴隷たちをどうするかについては議論がなされた。北軍の将軍たちの中にはその奴隷たちを解放するよう指令をした者もいたが、リンカーン大統領は最初、それを取り下げた。しかし、それまでの合衆国の法律では、北軍が確保した南軍の奴隷たちを、その後南側に明け渡さなければならないことになっていた。奴隷たちを完全に解放する段階でもなかったが、だからと言って南側に彼らを明け渡す訳にもいかなかった。このため、1862年3月13日に、連邦側の政府は、北軍の将軍たちが南軍に奴隷を明け渡すことを禁止した。こうして、1850年の逃亡奴隷法(Fugitive Slave Law)は無効になったのである(逃亡奴隷法は、逃亡中の奴隷を発見したら、かくまわずに主人に明け渡さなければならないとした)。1862年4月10日には、自分の奴隷を解放した者は政府から補助金が受け取れることを議会が宣言。コロンビア特別区の全ての奴隷は、1862年4月16日に解放された。同年6月19日には、連邦国全ての領土で奴隷制が禁止され、1857年の最高裁判所によるドレッド・スコット裁決は無効となった。ドレッド・スコット裁決では、合衆国の領土での奴隷制を規制する権利は議会にはない、という判決が下されていた。

リンカーン大統領自身も、奴隷制を廃止する法的な権利が自分にないことを明らかにしていた。それに、奴隷制を単純に廃止する訳にもいかなかった。その理由は、北軍の味方の州の中には、まだ奴隷制を認めている州もあった。そういう州は、奴隷制を廃止するために南軍と戦っていたのではなく、連合側を連邦側に引き戻し、合衆国を再び統一するために戦っていたのである。また、この奴隷解放宣言は、議会の提案する法律や憲法修正条項のようなものと言うより、むしろリンカーン大統領の最高司令官という職務においての軍事的な指令であると言われている。さらには、奴隷解放宣言が憲法違反だったという意見もある。本来、軍隊の最高司令官には、軍隊の行動を監督する義務はあるが、新しい規則を制定する権利はない。また、奴隷解放宣言は、解放された元奴隷たちが、連邦軍隊に入ることを許可した。ただし、元奴隷たちの軍隊とその他の軍隊とは分けられていた。これによって、北軍は、新たな200,000人近くの黒人兵士たちを獲得し、南軍との戦いでは、さらに有利になった。
リンカーン大統領は1862年7月に、奴隷解放宣言について閣僚たちと話し合っていた。しかし、リンカーンは、南軍との戦争に勝ってから、その後にこの宣言を発表したいと思っていた。なぜなら、この宣言によって、連邦側の味方でありながら奴隷制を実施している州が、連邦側を脱退してしまう恐れもあったからだ。そうなれば、北軍が戦力を失い、南軍が戦力を得ることになりかねない。だから、南北戦争最大の決戦アンティータムの戦いで、北軍が、メリーランド州を侵略に来た南軍を倒した後、リンカーンは1862年9月22日に、奴隷解放宣言の予告版を発表したのである。

奴隷解放宣言が奴隷制に瞬時に大きな影響を与えたわけではないが、もともと南部連合軍の領土で後に連邦側が支配した地域では、奴隷制がコントロールされるようになった。境界線の州(デラウェア州、ケンタッキー州、メリーランド州、ミズーリ州、ウェストバージニア州)では、連邦軍に忠誠だったため、宣言の対象外となり、この宣言によって奴隷制が即時に廃止されることはなかった。国務長官ウイリアム・H・セワードは、奴隷解放宣言に関して「私たちの手の届かない地域に、奴隷を解放するよう命令することによって、そして、私たちが奴隷たちを自由にできる地域には彼らを留めておくことによって、私たちは奴隷たちへの思いやりを表します。」と言ってコメントした。メリーランド州、ミズーリ州、テネシー州、そしてウェストバージニア州は、それぞれ自主的に奴隷制を廃止した。その後、1865年に、合衆国憲法の第13修正が承認され、アメリカ合衆国全体で法的に奴隷制が廃止された。リンカーンは奴隷解放宣言を「戦闘に必要な処置」として、議会から与えられた暗黙の権威を活用して発表した。
即時の歴史的な影響 [編集]

奴隷制度への即座な影響は少なかったものの、奴隷解放宣言は、北軍の南北戦争での目標を改め、はっきりさせた。北軍の目標は、もはや単に南軍を連合側に戻すだけでなく、奴隷制度を完全に廃止し「さらに完璧な合衆国」をつくることだった(合衆国憲法前文には、憲法の目的が記されており、その中の一つが「完璧な合衆国をつくること」)。
しかし、宣言によって即座に解放された奴隷の数は少なかった。戦争中、主人のもとから逃避し、連邦の境界線内に逃げ込んだ奴隷たちは、連邦側にある専用の収容所に留まることとなった。その後、奴隷解放宣言が発布されたときには、もう彼らは自由だということを告げられ、収容所から解放された。
ジョージア州の海岸の近くに浮かぶシー・アイランドは、戦争開始の直後、連邦軍が占拠した。南軍の白人の兵士たちは後にその島から逃げたが、黒人の兵士たちはそこに残り、自給自足で生活した。奴隷解放宣言が発布されたときには、連邦海軍の将校たちが彼らにそれを読んで聞かせ、彼らがもう自由であることを伝えた。
軍隊の中では、奴隷解放宣言に対する意見が分かれた。納得できないとして反抗する兵隊たちもいた。これによって、軍隊を後にした兵隊たちもいた。その他では、この宣言が発布されたことに感動した兵士たちの中では、「合衆国と自由のために」というモットーを掲げはじめる部隊もあった。
南軍にとっては、奴隷たちは重要な「戦争のエンジン」の一部だった。奴隷たちは、食糧をこしらえたり、兵隊たちの制服を縫ったり、線路を修理したり、農場や工場や鉱山で働いたり、防御用の壁を建てたり、病院などで労働したりした。連邦側に吸収されてからは、南部の地域中に、100万部もの奴隷解放宣言のコピーが行き渡り、さらに噂でも解放宣言のことが奴隷たちの間で広まり、その結果、彼らは希望を持つことが出来たし、混乱も起きたし、たくさんの奴隷たちが主人のもとを後にするきっかけとなった。

国際的な影響 [編集]

奴隷解放宣言によって、海外諸国は、奴隷制を廃止しようという米国の新しい取り組みを賞賛した。これにより、南部連合が、英国やアイルランドなどの海外諸国から一つの国として認められる可能性は消えた。ヘンリー・アダムスは、「奴隷解放宣言は、歴史上の全ての戦勝や外交を足し合わせたものよりも、偉大なものを私たちにもたらしてくれた」と、解放宣言をたたえた。

南北戦争後 [編集]

南北戦争が終わる直前、共和党の奴隷制度廃止派は、奴隷解放宣言が軍事的な指令であるなら、戦争が終わると同時に無効になるのではないかと心配した。また彼らは、宣言によって解放される奴隷たちだけでなく、米国全土の奴隷たちの解放を確実なものにしたいと焦っていた。そのため、リンカーンは、1864年大統領選挙のための選挙運動では、アメリカ合衆国の全ての奴隷を解放する憲法修正条項案をアピールした。メリーランド州とミズーリ州それぞれで新たに奴隷制度が廃止されたことで、リンカーンの選挙運動は助長された。メリーランド州の新しい憲法は1864年11月1日に公布され、州の奴隷制度を廃止していた。再当選したリンカーンは、第39回目の議会が始まるのを待たず、前期から残っていた第38回目の議会に、直ちに新しい憲法修正条項案を承認させた。1865年1月31日、米国の議会は各州の議会に、米国内と領土内の全ての奴隷制を禁止する、米国憲法第13修正を提出した。同年12月6日までには、修正条項が採択される条件を満たす数の州から承認されていた。実際に修正条項が採択された頃には、ケンタッキー州だけがまだ解放されていない奴隷たちがいる州であった。


矢沢永吉 - PURE GOLD (2009 東京ドーム)


PURE GOLD / 矢沢永吉


矢沢永吉 「バラードよ永遠に」 in ブルーノート東京'06年


バラードよ永遠に / 矢沢永吉


PURE GOLDが、2番目に好き・・

バラードよ永遠にが、3番目に好き・・

ほんと、歌詞もいいんだ・・

1番目に好き・・なのは、やっぱりーー   止まらないha~ha

応援歌・・・・

男なら、やらないとって・・すなおな、気分にさせてくれる。


永ちゃんみたいに・・かっこよく行きたいネーー




しゃべるねこ、しおちゃんの朝の日課



しゃべるねこ、しおちゃんの「ふたりのじかん」



しゃべるねこ、しおちゃんの「ばかやろう」


ほんとうによく、しゃべるねこ、しおちゃん!!

うちのネコ達も、ここまではいきません・・

ゼツミョーな・・しおちゃんと、優しい飼い主さんなんででーーーす・・

ほのぼのしますよーーー

自分とこのにゃーちゃんが一番かわいいとは、思いますけどネーー

しゃべるってーー まさかーーうそだとかってーー

思っていないでしょうネーー・・なかなかねーーー

まーー、うちのネコも、

しゃベルッテーー言うと、ほとんどのひとが、ウソーーって言うけどネーー

でも、本当なんです・・・

家に来た人達は、みんなびっくりしてかえって行きます。







$東京リーシングと土地活用戦記


PS しおちゃんのお友達が、いっぱいきてくれました。すごい!!!

ありがとう!!





東京リーシングと土地活用戦記 border=


小沢元幹事長強制起訴へ、検察審査会が2度目の起訴議決

 [東京 4日 ロイター] 民主党の小沢一郎元幹事長の政治資金をめぐる事件で、東京第5検察審査会は4日、小沢氏を強制起訴すべきだと議決した。

 第5審査会はことし4月、小沢氏を起訴相当と議決し、小沢氏を強制的に起訴すべきがどうか判断する第2段階の審査を進めていた。

 これを受けて同日会見した岡田克也民主党幹事長は「驚いた、大変残念なことだ」と述べたが、党として小沢氏に対し離党勧告などの処分を行う可能性などについて、「まだ結果が出たばかりで党内でよく相談をしていない。なにより本人の考えを示されるのが第一ではないか」、「それ以前に私がこうあるべきだとコメントすべきでない」と述べるにとどめた。

 仙谷由人官房長官は同日午後の会見で、小沢氏強制起訴について「訴訟手続きの1つのプロセスであり、中身についてコメントは差し控えたい」と述べるにとどめた。ただ「刑事事件で起訴されても、有罪が確定するまでのは推定無罪であり、その原則は、けじめをつけたものの考え方をしなければならない」と指摘した。

民主・小沢元幹事長強制起訴へ 去就をめぐり民主党内でさまざまな憶測が飛び交う

民主党の小沢元幹事長が強制起訴されることが決まった。
資金管理団体の土地購入をめぐる事件で、第5検察審査会が起訴すべきとの議決をした。
小沢元幹事長は「裁判の場で必ず無実が明らかになる」とコメントしたが、政界に波紋が広がっている。
4日午後7時前、小沢元幹事長の車が事務所を出た。
小沢元幹事長は、口を真一文字に結び、厳しい表情を見せた。
1度目の起訴相当に続き、検察審査会が下した2度目の議決は、起訴すべき。
小沢元幹事長の資金管理団体の土地購入をめぐる事件は、国会議員が強制起訴されるという前代未聞の事態になった。

菅首相は「そういう手続きといいましょうか、そういうことが発表されたということは聞きました。今の段階でそれ以上のことをコメントすることは控えたいと思います」と述べた。
岡田外相は「(進退は)ご本人のお考えが示されるというのが、第一ではないかと。それ以前に、私が何かコメントすべきではない」と語った。

小沢元幹事長は、東京地検特捜部による4回の任意の事情聴取に、一貫して容疑を否定してきた。
2010年4月、1回目の起訴相当の議決が下された際には、「私自身、何もやましいこともありませんので、与えられた職務を淡々と全力でこなしていく」と述べていた。

しかし、検察審査会は議決書の中で、検察官の取り調べは形式的な取り調べの域を出ておらず、再捜査は十分とは言い難いと、起訴すべきとした理由を指摘した。

民主党内には、大きな動揺が広がった。
民主党の牧野国対委員長代理は、「自らが身を引かれるべきだと、そういうふうに思っていますけどね。もし、それができないならば、それは公党としてけじめをつけると。それは離党勧告なり、除名になってくるだろうとは思います」と述べた。

BSフジのPRIME NEWSで、民主党の海江田経済財政担当相は、「きちっと事実に即してお話をしていただいて、多くの国民に理解がいただければ、当然そこは無罪の判決も出ようかと思いますから」と語った。

民主党の原口前総務相は、「もし、それ(裁判)でシロであれば、離党を勧告した人たちは責任を取れるのでしょうか」と語った。

一方、野党の自民党の谷垣総裁は、「責任は極めて重いと思っております。議員辞職ですか? それはなさるべきでしょう」と述べた。

みんなの党の渡辺代表は、「国民の目線で見た場合にですね、けじめがついていなかったという、そのツケが回ってきたんだと思います」と語った。

小沢元幹事長の地元・岩手県の街の人は、「だめなものはだめ、いいものはいいで、ぜひ決着をつけてもらいたいと思いますね」、「自分的にも、小沢先生はやってないと思いますけどね」などの声が聞かれた。

今回の議決を受けて、小沢事務所を訪れた平野前官房長官が「なんでこんなことになるんでしょうね」と聞いたのに対し、小沢元幹事長は「そうなんだよ、わからない」と答えたという。
去就をめぐって、党内ではさまざまな憶測が飛んでいる。

小沢元幹事長に近い議員は、「小沢さんは離党しない。党からの処分も見送られる」と語った。

小沢元幹事長と距離を置く議員は、「執行部が本当に離党勧告すると、分裂含みの衝撃だろう。党籍凍結とか、幹事長預かりとかがいいのではないか」と話した。

今後、強制起訴の手続きが行われ、刑事被告人となる小沢元幹事長は4日、「本日の検察審査会の議決は、誠に残念です。今後は裁判の場で、私が無実であることが必ず明らかになるものと確信しております」とコメントしている。

(10/05 FNN)


小沢氏法廷へ:政界と検察に激震/「真実はどこに」(その1) 議決は代表選当日

 政界の実力者に、市民が再び「ノー」を突き付け、強制起訴に追い込んだ。小沢一郎・民主党元代表について「起訴議決」の結論を出した東京第5検察審査会。つきまとってきた「政治とカネ」の解明は今後、法廷に委ねられる。前例のない判断は、政界だけでなく、小沢氏を繰り返し不起訴処分にした検察をも揺さぶった。【坂本高志、曽田拓、鈴木一生、野口由紀】

 4日午後3時45分、東京・霞が関の東京地裁。敷地の南側にある告知用掲示板に、審査会事務局の職員が計7枚の議決要旨を張り出した。1枚目には「起訴すべきである」と書かれていた。議決日は9月14日。小沢氏が、代表選で菅直人首相に敗れた日だった。

 第5審査会で議決書作成を補助する審査補助員の吉田繁実弁護士は4日夜、取材に「代表選と同じ日に議決したのは偶然で、議決は(代表選の)結果が出る前にされた」と説明した。9月上旬に東京地検特捜部副部長から説明を受け、「特捜部が手がけた事件で、政治家案件。プレッシャーがあった」と振り返った。「『起訴すべきだ』という方針は、割と早い段階で決まった」とも明かした。

 「法廷で黒白をつけるべきだ」との議決は、永田町に衝撃となって伝わった。赤坂の小沢氏の事務所には親しい議員が次々と駆けつけた。平野博文前官房長官が「なぜこうなるんだろう」と話しかけると、小沢氏は「そうなんだよ、分からないな」と応えたという。小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入事件で起訴された元秘書、石川知裕衆院議員(37)は電話取材に「ノーコメント。一切答えられない」と語った。

 猛暑が続く中行われた党代表選。強制起訴の可能性がある小沢氏の立候補は「訴追逃れではないか」との憶測を呼んだ。勝利し首相になれば憲法の規定で起訴を免れることができるためだ。小沢氏はこうした声を振り払うように「逃げない」と明言。首相になっても議決されれば起訴に同意する姿勢をみせた。

 選挙戦が進むと審査会への本音をのぞかせた。民放の番組で「捜査当局が不起訴にしたことについて、一般の素人の人がいいとか悪いとか言う仕組みが果たしていいのか」と述べた。吉田弁護士が所属する第二東京弁護士会の幹部は「議決に心理的影響を与えかねない発言だな」と首をひねった。


 東京地検による陸山会事件の捜査が進む今年1月。大阪地検特捜部長だった大坪弘道容疑者(57)=証拠品改ざん事件で犯人隠避容疑で逮捕=は陸山会事件について、「検察の命運をかけた捜査。大阪も側面支援する」と周囲に熱く語り、大阪特捜のエースといわれた前田恒彦容疑者(43)=証拠隠滅容疑で逮捕=を応援に送りこんだ。前田検事は小沢氏の元公設秘書、大久保隆規被告(49)の取り調べにあたった。

 小沢氏の弁護士は「検察審は本当に熟した議論をしたのか。無罪をとる自信はある」と語り、大久保被告の調書を作成した前田検事を皮肉った。「こういう状況下で公判して大丈夫なのか、余計な心配をしますよ」。東京地検幹部も「『小沢は灰色』と国民が感じるのは分かるが、無罪になったら批判されるのは検察審ではなく、また検察だ」と話す。

 小沢氏は党代表選での冗舌さがすっかり消え、議決について事務所が「裁判で無実が必ず明らかになると確信している」とコメントを出しただけ。午後7時ごろ、車で事務所を出て、世田谷区の自宅へ向かった。後部座席で一瞬笑みのような表情も浮かべた。

 ◇腹心は淡々、沈黙…
 小沢氏の起訴議決で、与野党の国会議員にも波紋が広がった。

 代表選で小沢氏の推薦人だった川内博史衆院議員(鹿児島1区)は、小沢氏の秘書の一人を取り調べた前田検事が、証拠改ざん事件で逮捕される前に結論が出されていた点に触れ「審査会が今日議決していたら、違う結論だったのではないか」と皮肉り、「議決書には『(検事への)供述は信用できる』と書かれているが、その調書が信用できないことが問題になっている」と強調した。

 民主党の三宅雪子衆院議員(比例北関東)は「早く判決で無実が証明されてほしい。党内から(小沢氏の処遇に関する)極端な意見が出なければいいと思っている」と淡々と語った。

 「小沢ガールズ」の代表格の田中美絵子衆院議員(比例北陸信越)は秘書を通じ「推移を見守りたい」とだけコメントした。

 「起訴は当然」と語るのは国会で小沢氏の政治とカネ問題を追及してきた自民党の西田昌司参院議員(京都選挙区)。「国民がおかしいと思ってきたことを、民主党は一切調査してこなかった。国民に説明すべきだ」と語気を強めた。

 同様に小沢氏の資金問題を追及してきた同党の小里泰弘衆院議員(鹿児島4区)は「(小沢氏は)これまで参考人招致や証人喚問から逃げてきたが今度こそ国会で説明すべきだ。小沢氏を代表選に出馬させ、大勢の議員が支持した民主党の責任も重い」と批判した。【安高晋、福永方人】

 ◇検審「公表資料に偽装工作」
 東京第5検察審査会は議決の中で、政治資金を巡り小沢氏が07年2月20日に開いた記者会見に言及し、公表された資料に偽装工作があったと指摘した。

 当時、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の所有とされた土地が小沢氏個人の名義であることが発覚。「政治資金を使った蓄財」との批判が高まり、小沢氏は自ら会見で釈明した。この席で「政治団体では不動産登記が認められないので、代表者(小沢氏)の名前で登記した。私個人のものではないことを、あえて私自身が確認書として残した」と説明。「05年1月7日」付の確認書を公表した。

 だが、議決は、この確認書が会見直前の07年2月中旬、小沢氏が元秘書の池田光智被告(33)に作成させたと指摘。そのうえで「(陸山会の)収支報告書の不記載・虚偽記入に小沢氏の関与を強くうかがわせるもの」と偽装を批判し、小沢氏への「起訴議決」を判断した支えと位置づけられている。【杉本修作】

==============

 ◆陸山会事件と小沢氏を巡る経緯◆

 【04年】

10月29日 陸山会が東京都世田谷区の土地を約3億5200万円で購入。原資となった小沢氏の手持ち資金4億円と土地購入の事実を04年分の政治資金収支報告書に記載せず

 【05年】

 1月 7日 世田谷区の土地を登記。陸山会の05年分の収支報告書に土地購入日として記載

 【07年】

 2月20日 小沢氏が事務所費や資産を公開する記者会見

 5月 2日 土地購入時に提供された4億円を陸山会が小沢氏に返済。07年分の収支報告書に記載せず

 【09年】

 3月 3日 西松建設の違法献金事件で、特捜部が大久保隆規・元公設第1秘書らを逮捕

12月18日 大久保元秘書が違法献金事件の初公判で無罪を主張

 【10年】

 1月15日 特捜部が石川知裕衆院議員と池田光智元私設秘書を政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕

   16日 大久保元秘書を同容疑で逮捕

   23日 特捜部が小沢氏から事情聴取

   31日 特捜部が小沢氏から2回目の事情聴取

 2月 4日 石川議員ら3人起訴、04年、05年分で小沢氏は不起訴処分に

   11日 石川議員が民主党を離党

   12日 小沢氏の不起訴処分を不服として市民団体が東京第5検察審査会に審査を申し立て

   23日 特捜部が07年分で小沢氏を不起訴。その後、同年分に対しては東京第1検察審査会に審査の申し立てが出される

 4月27日 東京第5検察審査会が「起訴相当」と議決

 5月21日 特捜部が04、05年分で改めて小沢氏を不起訴

 7月 8日 東京第1検察審査会が07年分について「不起訴不当」を議決

 9月14日 民主党代表選で小沢氏敗れる。同日、東京第5検察審査会が小沢氏に対して2度目の議決(公表は10月4日)

 9月30日 特捜部が07年分について改めて小沢氏を不起訴。07年分の捜査は終結

10月 4日 東京第5検察審査会が小沢氏を強制起訴すべきだとする「起訴議決」を公表

社説:検審「起訴議決」 小沢氏は自ら身を引け
陸山会事件:小沢氏の影響力低下必至
陸山会事件:小沢元代表「裁判で無実明らかに」
陸山会事件:小沢氏を強制起訴へ 検察審が議決
小沢一郎氏:再び不起訴…07年分虚偽記載容疑 東京地検

毎日新聞 2010年10月5日 東京朝刊



すごい!!

でもね、東京第5検察審査会って、なにって??

私も思います・・・

最近の、裁判員裁判だって・・民間人の陪審員は、顔を出したりしている・・・・

ひょっとしたら・・ガス抜きの道具・・・・??

!!! 官僚の高等判断・・・

小沢元幹事長は「そうなんだよ、わからない」だからね・・

議員辞職もしないし、離党もしないって・・

民主党と心中でも、するつもりなんだろうか・・

東京第5検察審査会は、とってもいい判断だったと思うけど゛ーー

これから、元総理大臣候補の、小沢一郎逮捕って、進んで行く・・・・なかでーー

「正義ぶるなら、顔出せやーっとも・・言いたいネーー!!」