7月2日
日が暮れる頃
母が旅立ちました。
去年の秋に中心静脈栄養をして、
24時間看護体制の施設に転居して約9か月。
ついにこの日が来てしまいました。
去年の秋のブログ↓
転居先には美しい花壇があります。
秋が深まると紅葉したコキアが鮮やかです。
短時間なら車椅子に乗り外出ができました。
花壇を楽しんだり、日向ぼっこをしたり。
コスモスも見に行きました。
食べることができなくなってしまった母に
季節の花を届けました。
退院とお引越し祝いに届けたアレンジメント
クリスマスには花束を
1月にはお誕生日のアレンジメントを
声も聞けて笑顔も見れました。
季節を感じてほしくて切り花を飾りました。
トルコキキョウとユリ
淡いピンクのスイートピー
雛祭りには桃の花と菜の花を
ビタミンカラーのキンセンカ
父の誕生日と両親の結婚記念日は春らしく
暖かくなってきた頃、外出許可が下りて
チューリップを見に行きました。
咲き始めた桜を一緒に見て
満開の桜の木の下でお花見しました。
八重桜
デルフィニウム
飲み込む力がなくなり、自分の唾液で誤嚥を起こしていて、日常的に発熱を繰り返していました。
中心静脈栄養は高カロリー点滴の延命治療。
残念ながら回復の見込みはありません。
緩やかに弱っていきました。
そして、4月末から40℃を超える高熱を
ぽつりぽつりと出すようになりました。
母の日にはカラフルなカーネーションを
40度を超える高熱がでると細菌感染を疑い、抗生剤で対処療法します。1度目と2度目は効果があり、通常程度の熱に落ち着いてくれました。
大輪のシャクヤク
6月にはアジサイの花束を
ニコッと笑ってくれました。
これが母に届けた最後のお花になりました。
6月末、3回目の40℃の高熱を出しました。
残念ながら抗生剤の効果がなくて。
一抹の望みをかけて遠方の病院に連れて行き検査しました。施設や兄とも面談をして、施設で対処療法をしながら見守ろう、という結論になりました。
話し合いの翌日、母は急変しました。
連絡をもらって私が到着してから26時間。
母は本当によく頑張りました。
北海道にいる兄に電話を繋いだら
目を見開いて呼びかけを聞いていたり
私の話す言葉に微笑んだり
手を一生懸命握り返したり
夫も駆けつけてくれました。
音楽を聴いたり、たくさん声をかけたり
ずっと手を握っていました。
一生忘れられない26時間です。
人は呼吸が止まっても、最期まで耳は聞こえているといいます。その時は涙一つこぼさず、ありったけの気持ちを伝えました。
流していたCDプレーヤーから
母が好きだった曲が流れました。
この上ない看取りができました。
母と向かい合った10年間。
後悔はありません。
深夜のうちに実家に連れて帰り、
翌朝、親しい友人達も会いに来てくれました。
兄も午後に実家に到着。
家族の時間を過ごしました。
数日後に施設と契約解除。
あっという間にお部屋は空っぽになりました。
お世話になった方々に感謝の気持ちを込めて挨拶して。看護師長さんとは一生忘れられない会話をして抱き合いました。
転居してからの母はほとんど話すことができませんでしたが、数えるくらい言葉を発しました。
私が最後に聞いた母の言葉は
「ありがとう」です。
お互いに感謝を伝え合うことができて
涙が出るほど嬉しかったです。
花壇では鮮やかなヒマワリが咲いていました。
幸福・永遠の愛・長寿・真実
お式は今週末です。
しっかり見送ってきます。
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