『自分が生まれ変わるための、こころの絵本』の、編集日記
まことに申し訳ありません。
具体的な編集に入って、変更することがでてきました。
それは『神経症を自分で治すための、自分でかく絵本』の、題名を『自分が生まれ変わるための、こころの絵本』への変更です。
その理由は神経症だけではなくもっと広く引きこもりのかたも、不登校のかたも、性格の改善を望むかたも、というように広く多くの人を対象としたいからです。
また「自分が生まれ変わる」ということは、人がよりよくなっていくためには普遍的なことです。
その普遍的なことをとうして、皆さんが困っていることを解決していただきたいという意味もあります。
よろしくお願いいたします。
カウンセリング
風のハルカ―文学賞受賞おめでとうございます
今日放送の、連続テレビドラマ『風のハルカ』でハルカさんの妹のアスカさんが、文学賞を受賞しました。
このシーンを見てつい最近、直木賞を受賞した東野圭吾先生のことを思い出しました。
東野先生は半分冗談で、こう言っていました。
「今までは直木賞の発表になると、直木賞選考委員の悪口を言って、酒飲んで寝ちゃいました。」
「今年はそれができません。残念です。」
続けて、こう言いました。
「でも賞をもらった方がうれしいです。」
「やはり、こうして賞をもらって悪口を言わないでいた方がいいと思いました。」
これは人のこころの発達ラインの中で一番、肯定的なラインが伸びたときの表現です。
昨日の『風のハルカ』の中の陽介さんに対する女性の、「とっても、おいしい」という言葉もこころの発達ラインの中で一番、肯定的なラインを伸ばすことのできる発言です。
私たちにとって直木賞をとることは、難しいことです。でも「とっても、おいしい」という言葉をかけあうことは、いますぐにでもできます。
『神経症を自分で治すための、自分でかく絵本』の、編集日記
昨日のこの『・・・・・絵本』の編集日記で、絵本は読者の皆さんが自分で色をぬるものにしたいと、書きました。
でもそれでいいのかと、心配でした。
そう考えていたら、昨日の夕方のテレビのニュースを見て驚きました。
いま、大人の人に塗り絵がブームだというニュースがありました。
有名書店の責任者の方が、それを語っていました。
また、「認知症の予防には、塗り絵は効果がある」という研究者の、発言もありました。
これで、編集方針は前へ進みました。
カウンセリング
風のハルカ―お父さんの料理
今日放送の「風のハルカ」から、書きます。
ハルカさんのお父さんの陽介さんは、ハルカさんの職場の女性にトランペットを教えていました。
でも、陽介さんの都合で教えられなくなってしまいました。
話は変わりますが、陽介さんは一度はやめたレストランをまた始めることにしました。
そこで、試食のために人をよびました。
その集まった人の中に、自分がトランペットを教えていた女性もいました。
陽介さんは長い間、料理から遠ざかっていたために、腕はおちていたようです。
試食のために集まった人も、あまりおいしくはないようでした。
でも、トランペットを陽介さんから習っていた女性だけは、「おいしい」といってくれました。
続けて、「とっても、おいしい」といってくれました。
これは、グルメとは大違いです。
グルメの方向に歩いていくことが正しいのか、それともこのような方向に歩いていくことが正しいのかと、考えました。
歩いていく方向は、逆方向です。そして歩いていく方向を決めるのは、あなた自身です。
『神経症を自分で治すための、自分でかく絵本』の、編集日記
今度、出版する『・・・・絵本』のためにプリンターを買ってきました。
以前のプリンターは、壊れてしまいました。
ただ、秋葉原の電気屋で聞いたらインクが高いので驚きました。
とくに、カラーインクは高い。
そこで、考えました。
『・・・・絵本』は、主に皆さんに自由に色をクレヨンとか色鉛筆でぬってもらおう。
そうすれば、視覚チャンネルをフルに使える。インクが高いことが、次に進むための役に立ちました。
これで、一度に二つのことが解決しました。
明日は、もっと具体的にかきます。
カウンセリング
西遊記―布施
昨日の、カウンセリングの続きを書きます。
三蔵法師は、岩傑の子どもたちに水をあたえました。
このことは、仏教の布施に基礎を置く考え方です。
東南アジアの国々では、僧は町の家々を歩きます。
僧の来た家では、主にお米などを僧にあたえます。
これは、その家の人が「お坊さんに、自分の欲をとってもらう」ためです。
こうして、東南アジアの人々は生きているのです。
日本のグルメとは、大きな違いがあります。
グルメは直接、自分の欲を満たす。それに対して、東南アジアは逆の方向に歩み、大きな願いに生きるのです。
カール・グスタフ・ユングは、こう書いています。
どんなに大きな家に住んでも、すんでいる人間そのものがからっぽであってはしょうがない。