ブログによるカウンセリング  -105ページ目

こころの糧

立ち止まること


自分が立ち止まったときに、大きなめぐりあわせが自分の周りに起きてくる。

カウンセリング

立ち止まることと、めぐりあわせ


昨日のブログカウンセリングで、スピードを落とすか、立ち止まることが大切と書きました。正直に言って、書いた本人がこのことに対して、ある「割り切れなさ」を持っていました。皆さんの中にも、そのような方がいらしたかもしれません。


そう考えながら、テレビドラマの「風のハルカ」を、見ていました。またドラマの中では、ハルカさんのさんの陽介さんも、自分の人生を振り返ってみて「割り切れなさ」を、感じていました。

だが、次の瞬間に不思議なめぐりあわせが起きます。

そのお父さんの前に、道に迷った男の人が現れます。その人は、お父さんの作った野菜を知ることになります。その野菜のすばらしさに感激して、料理を作り出すのです。


それを見て、お父さんは自分がレストランを作って失敗はしたけれど、意味のあったことを振り返ります。

そして、新しい一歩を踏み出そうと決めます。


大切なことは、立ち止まったときに世界は動き出すのです。立ち止まったときに、道に迷った人が現れたように、新しいめぐりあわせが起きるのです。


私はそのシーンを見たときに、自分の中の「割り切れなさ」が消えていくのを感じました。大きく考えれば、ドラマの中の道に迷った人は、「割り切れなさ」を持っていたすべての人の前に現れたのかもしれません。

こころの糧

子離れと親離れ


子離れと親離れは、表裏一体です。それは、子どもの社会的なポジションの変化のときに表面化します。

そのときに、ゆっくりと立ち止まることも必要なのかも知れません。

カウンセリング

子離れ


今日の連続テレビドラマ「風のハルカ」の中で、印象深かったシーンを書きます。


ハルカさんは、転勤で東京へ行くことになります。

お母さん、そのことに対して憤りを感じると同時に、子離れしなければいけないとも考えます。

ハルカさんとお母さんは、転勤をきっかけに同じことに直面します。


即ち、親離れと子離れは表裏一体なのです。親と子の両者が、直面しなければならないことなのです。ただ、両者の足並みは必ずしもそろいません。また多くの場合、それは外的なものとしておきます。


昨日の列車の転覆事故は、強風によるものと考えられています。外側から列車に対して、一定以上の力が加わったことによります。


そのときに列車はスピードを落とすか、または停止しなければなりません。今までと同じスピードで、走り続ければ事故を起こします。


親離れ、子離れに対してこうしなさいとカウンセラーは言いません。だが外側からの出来事をきっかけに親離れ、子離れはおきやすいという事実はお話します。そのときには、スピードを落としてください。ゆっくり走ってください。ときには、とまることも必要です。そのことだけは、お伝えしたいと思います。

こころの糧

イエス・キリストの言葉


自分の命を失うものは、永遠の命を得て、もう死をあじわうことはない。

カウンセリング

イエス・キリスト


今日はクリスマスです。イエス・キリストの教えに関して、書きます。

私がキリストの言葉で、印象に残っている言葉は次の言葉です。


多くの人はからっぽでこの世に、生まれてくる。そして、からっぽなままこの世を去っていく。だが、自分の命をうしなうものは永遠の命を得て、死をあじわうことはない。

神の国は地上に広がっている。誰もそれを見ない。


この二つの言葉の意味を、述べてみたいと思います。


自分の命を失うものは永遠の命を得るといっています。だが、私たちは命をうしなおうとはしません。その結果、からっぽでうまれてからっぽで死んでいくのです。


さらに、自分の命をうしなって永遠の命を得れば、死をあじわいはしないのですその永遠の命を得たものは、地上に広がっている神の国を見ることができるのです。

大切なことは、神の国は死んでから行くところではないのです。最後にそのことに関するキリストの言葉を書いて、終わりたいと思います。


神の国は、その気になればいますぐにでも現れ、永遠にうしなわれない。

こころの糧

ゆるすこと


キリストは十字架にかけられ死にゆくとき、自分を見捨てた弟子たちを許しました。弟子たちはそのときに、生まれかわり、布教に立ち上がったのです。

カウンセリング

クリスマスイブ


今日はクリスマスイブなので、イエス・キリストに関して書きます。

キリスト教は、世界の国々に広まっています。

歴史的にはキリストの生まれた時代、生まれた場所にはキリストのような宗教家は多数、存在しました。だが、その中でキリストだけが現在まで歴史に名を残しているのでしょうか。


その理由を、述べてみます。キリストはご存知のように十字架の上で死にます。それは、弟子の密告によるものです。また密告はしませんでしたが、ほかの弟子もキリストを見捨ててしまいます。


だが、キリストは十字架のうえで命がたえるときにこういいます。

「神よ、彼ら―弟子たち―を許したまえ彼らは自分のしていることの本当の意味を知らないのです。」といいます。


それを聞いた弟子たちは、キリストは自分たちに恨みを言い残して死んでいくと思っていたのに、自分たちをキリストは許してくれたことを知ります。許されたことによって弟子たちは、生まれ変わったのです。


やがて弟子たち、自分たちがキリストの教えを広めることを決意するのです。当時、キリストのような宗教家はたくさんいました。だがこのことだけが、キリストは違っていたのです。弟子たちは、許されたことによって立ち上がり、キリスト教は世界に広まったのです。

こころの糧

ブログカウンセリングの現実的目的


皆さんの悩みごとを、解決するためにブログカウンセリングを行なっています。また、ブログカウンセリングでは解決できない場合は、メールカウンセリングで対応します。

どちらも当方の新しい試みとして、多くの方にカウンセリングを受ける機会を持っていただくためのものです。よって社会福祉活動の意味もあり、無料で行なっています。また、私どもも個人カウンセリングに時間を追われ、すべての悩みをもつ方にお会いすることは、現実にできません。その点をカバーする意味もあります。以上が、ブログカウンセリングとメールカウンセリングの現実的な目的です。

また、理論的な目的は今日のもう一つの項目に書きましたのでそちらをご覧ください。

今後も、よろしくお願いします。

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ブログカウンセリングの理論的目的


今日は、ブログカウンセリングに関して詳細に書きましょう。ただ漫然とブログカウンセリングが、進んでいってしまうことを防ぎたいためです。


京都大学でカウンセリングをなさっていた河合隼雄先生は、悩んでいる人に対してその傍らにいて「何もしないことを強調します。河合先生は、悩んでいる人に対して「何もしない」ことの意味を、次のように考えています。ある不登校の学生が、河合先生のところに来ました。先生はその人の傍らにいて、「何もしません」でした。だがやがて、その不登校の人にふとしたことから「その不登校の人に、付きっ切りで面倒を見てあげようという学校の先生」が、現れました。その不登校の学生と学校の先生は、互いに力を出し合って困難を克服していきました。


この話には深い意味があります。カウンセラーである河合先生は「何もしません」が、その不登校の人の周りの世界がその人に対して、その人が立ち直れるように動いたのです。これは、私たちのこころは深い層では一体であることによります。河合先生は、「何もしない」ことによってこころの深い層にその人が立ち直るためのめぐりあわせを導いたのです。このブログカウンセリングは、皆さんがこのブログを見て自分の周りの世界に大きなめぐりあわせが、起きることを意図しています。私どもが心配していることは、このブログを見てめぐりあわせが起きても初期の段階では、そのことに気付かないということです。また逆に、そのめぐりあわせを否定してしまうことです。先ほどの学生では、「せっかく現れた学校の先生を受け付けない」ということも、ありえます。


そのようなことがないように、それをカバーするためのメールや電話カウンセリング、また個人カウンセリングを行なっています。なお、メールカウンセリングは無料ですのでご利用もしやすいかと思います。今後もよろしくお願いします。