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when in doubt, castle.

フリーランス編集者による、日々の備忘録。タイトルはカート・ヴォネガットのパパの言葉から拝借。           曰く「迷った時は、一か八かの勝負に出ろ!」


TOKYO HIPSTER CLUBで明日から開催される
ジョン・スクワイア『Negative Afterimages』展の
プレビューに行ってきました。


作品は、良くも悪くも主張がないというか、「おしゃれ」な感じ。
部屋に飾りやすいから、僕は正直欲しいと思いました。
(手が出せませんけど!)


when in doubt, castle.
『sit』 油絵の具 キャンバス 24×34 インチ ¥703,500


when in doubt, castle.
『over the wall』 油絵の具 カーディ紙 22×30インチ ¥189,000


when in doubt, castle.
『untitled』 油絵の具 カーディ紙 22×30インチ ¥189,000



以下、立ち話をしたときに言っていたこと。

日本に持ってきた28点は、全部、ここ半年くらいで描き上げた新作だよ。1点を描き上げるのにかかる時間? 長くても4、5日くらいかな。インスピレーションを得るために、特別どこかへ行ったりとか、何かをしたりするってことはしないね。日常の中で感じたことや起こったことを、モチーフにしているからね。たとえば『motto』っていうタイトルの絵は、友達が家に遊びに来たとき、前の晩のセックスについて話し始めてさ、しきりに「Blow Jobをきちんとしてもらうことをオレはモットーにする」って言っていたのがおかしくって、それに影響されて描いた絵なんだよ。アーティストとしての野心? なにもないな。ただ平穏に描いていたいだけさ。いまは、すごく穏やかで充実した日々を、マンチェスターで過ごしているよ。


とてもフレンドリーに接してくれたものの、
想像通り、近づきがたいオーラを出しまくりでした。
これがイアン・ブラウンだったら、
「今日泊まるところある?」「一杯おごろうか?」
って感じの気分にさせられるんだろうけど……。


というわけで、「サインしてもらおうかなぁ~」と思って持って行った
『Waterfall』の12インチは、結局差し出せなかった……。
出した途端、激高されて割られために、
一応中身は抜いて行ったけれど、そんな必要もなかった(笑)。

うーん、妙な気を遣ってしまった。



when in doubt, castle.
ちょっと顔、引きつり気味。


when in doubt, castle.
サインもらえず、がっかりの図。
ちなみにジャケの裏にはちゃんと、
『JOHN SQUIRE waterfall, Detail. 1988 Oil on canvas 30×26 in.』
と刻印されている、れっきとしたジョン・スクワイア作品。


展覧会は、12月6日(日)まで!
TOKYO HIPSTER CLUB
渋谷区神宮前6-16-23 THCビル2F
tel.03-5778-2081
12:00~20:00 入場料無料



今週最初の仕事は、
堀江敏幸さんと若木信吾さんの対談の進行役。
お二人には、タル・ベーラの新作『倫敦から来た男』について
たっぷり1時間半、語っていただきました。


映画は、ジョルジュ・シムノンの原作とは、
内容が違うらしく、その辺、興味深く聞いていました。


愉しい話を聞いて、それで終わりだったらいいけれど
それではギャラをもらえるはずもなく、
明後日までに、4000字の原稿にまとめないと……。
はぁ。


$when in doubt, castle.

写真は、堀江さんが撮影されている様子を、
Volexで撮っている若木さん。


そして夕方は、最近定例化している
『ほぼ日』事務所でのミーティング。


こんな感じ。


できる人たちと仕事をしていると、
脳の可動域が広がる感じがして、
気持ちがよいです。


気持ちがよくて、それで終わりだったら(以下略)。



電通のとある部署(というか人物)が
来年の1月にLaunchするプロジェクトに
「外付けハードディスク」として参加させていただくことになり
最近、打ち合わせを重ねています。


少なくとも、いきなり世の中を
「あっ」と言わせるようなプロジェクトではないのですが、
「へえ、広告会社発で、そんな視点/考え方があるんだ~」
といったものになりそうで、ちょっと楽しみです。


ぼくは最近、インタビューはもちろん、
雑談レベルの打ち合わせや、
「面白そうだな」と思う講演会などに足を運んだ際も
ICレコーダーを回し、「綿密にテープ起こしをする」
という作業をするようにしています。
(話の面白い人は、だいたい1時間=1万字という法則を発見!)


以前は、例えば最終的に2000字の原稿になる予定の取材音源であれば、
起こす段階で、完成原稿に近づくように「エディット」しながら
効率的にテープ(じゃないけど)起こしをしていたけれど、
そんな「テクニック」を投げ捨て、
とにかく、一言一句を丁寧にテキスト化していくと、
これまで見えてこなかった(というか、捨てていた)部分が
鮮やかに立ち上がり、それこそが、実は大事なんじゃないかと、
最近思うようになってきたのです。


これって多分、8ヶ月前にもココで書きましたが、
「一次情報」(だけ)が持つ情報の濃度なんじゃないかなと思い
ペーパーメディアに携わる者としては、
それを丁寧に扱うことに、存在意義を求めてもいいのでは、と
最近、改めて強く思っています。


そんな話を、冒頭の「とある部署のとある人物」にしたとき、


広告というのは、クライアントからの「お題」に対し、
その時点で導入可能なあらゆるリソースを活用し、
あらゆる角度からの検証を行った上で構築された「解答」の塊を、
「で、結局それってどういうことなわけ?」
というレスポンスを(クライアントにも消費者にも)
させないために極限まで濃縮し、
最終的には1行のコピーやひとつのビジュアルにまで収斂させる、
という作業の連続で、
もはやそういう考え方が染み付いてしまっています。
確かに、その収斂の過程の中で捨ててしまった視点や情報に、
本来たどり着きたかったコミュニケーションの深度にまで導いてくれる
要素があることはわかっていたけれど、
これまではどうしようもなかった。だから、
「それをあきらめない」という考え方があるのだと聞いて、
とても勇気がわきました。


的なことを仰っていただき、「外付けHD」に採用された、というわけです。


捨てる神あれば拾う神あり(引用の仕方間違ってる?)。


ということで、このプロジェクトの行く末に、どうぞご注目を!!!



レヴィ=ストロース、お亡くなりになりましたね。


各紙、追悼記事は誰が書くのかな?
ドゥルーズが自殺した時、朝日新聞に載った
浅田彰の追悼文は、すごくよかったけれど……。


個人的には、とりあえず西に向かって
合掌するくらいしか、
できることはないな。


あ、今日だけリーバイスをはこうかな(笑)。


それにしても、やけに今年は巨星が次々と……。


追記:

内田樹さんが早速、ブログ
明晰かつ妄想的(笑)な追悼文を
書いていらっしゃいました。






7歳の息子が、インフルエンザになりました。
ただいま39.1度。
新型かどうかは、まだ不明。

金曜日、4人しか登校していなかったので
そろそろ来るかな、と思っていましたが……。


コンスピラシー・マニアとしては、
子どもばっかり発症するインフルエンザっていうのは、
どうにもうさんくさいのですが
本当の所、どうなのでしょうかね。
思わず、「誰が得をしたのか」考えちゃいますが。


そんなことはともかく、
無事、熱が下がるといいのだけれど。