一次情報について | when in doubt, castle.

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フリーランス編集者による、日々の備忘録。タイトルはカート・ヴォネガットのパパの言葉から拝借。           曰く「迷った時は、一か八かの勝負に出ろ!」


電通のとある部署(というか人物)が
来年の1月にLaunchするプロジェクトに
「外付けハードディスク」として参加させていただくことになり
最近、打ち合わせを重ねています。


少なくとも、いきなり世の中を
「あっ」と言わせるようなプロジェクトではないのですが、
「へえ、広告会社発で、そんな視点/考え方があるんだ~」
といったものになりそうで、ちょっと楽しみです。


ぼくは最近、インタビューはもちろん、
雑談レベルの打ち合わせや、
「面白そうだな」と思う講演会などに足を運んだ際も
ICレコーダーを回し、「綿密にテープ起こしをする」
という作業をするようにしています。
(話の面白い人は、だいたい1時間=1万字という法則を発見!)


以前は、例えば最終的に2000字の原稿になる予定の取材音源であれば、
起こす段階で、完成原稿に近づくように「エディット」しながら
効率的にテープ(じゃないけど)起こしをしていたけれど、
そんな「テクニック」を投げ捨て、
とにかく、一言一句を丁寧にテキスト化していくと、
これまで見えてこなかった(というか、捨てていた)部分が
鮮やかに立ち上がり、それこそが、実は大事なんじゃないかと、
最近思うようになってきたのです。


これって多分、8ヶ月前にもココで書きましたが、
「一次情報」(だけ)が持つ情報の濃度なんじゃないかなと思い
ペーパーメディアに携わる者としては、
それを丁寧に扱うことに、存在意義を求めてもいいのでは、と
最近、改めて強く思っています。


そんな話を、冒頭の「とある部署のとある人物」にしたとき、


広告というのは、クライアントからの「お題」に対し、
その時点で導入可能なあらゆるリソースを活用し、
あらゆる角度からの検証を行った上で構築された「解答」の塊を、
「で、結局それってどういうことなわけ?」
というレスポンスを(クライアントにも消費者にも)
させないために極限まで濃縮し、
最終的には1行のコピーやひとつのビジュアルにまで収斂させる、
という作業の連続で、
もはやそういう考え方が染み付いてしまっています。
確かに、その収斂の過程の中で捨ててしまった視点や情報に、
本来たどり着きたかったコミュニケーションの深度にまで導いてくれる
要素があることはわかっていたけれど、
これまではどうしようもなかった。だから、
「それをあきらめない」という考え方があるのだと聞いて、
とても勇気がわきました。


的なことを仰っていただき、「外付けHD」に採用された、というわけです。


捨てる神あれば拾う神あり(引用の仕方間違ってる?)。


ということで、このプロジェクトの行く末に、どうぞご注目を!!!