ゲームで育てるゲームメイク能力 | こりーさんのブログ

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長男と共に37歳でサッカーを始めた父が、サッカー、子育て、ユーチューブや他競技から学んだこと、感じたことをなどをブログに綴っています。
「気づき」や「感じたこと」を伝えていきたいと思っております。

どんぐり君パパのブログでゲームについて書かれた回があり、それがきっかけで、自身もゲームについてふと考えることが最近あった。

塾なし!パパ的中学受験対策no.1 あえてゲームをさせる(1) | ドングリクンパパのブログ (ameblo.jp)

 

 

自身はサッカー・フットサルをしている時、自分が出したパスを受けた相手がこう動いてほしいということまで考えてパスを出すことが良くある。

 

大人というか、おじさんになってから始めたわりには、創造性のあるプレーができており、将棋やチェスの様に盤面を想像して俯瞰でサッカーを捉えられていると思う。

 

自身が「ただパスを出す」、「ボールを仲間につなぐ」だけでなく、出したパスでどんな結果が想像されるか、まで自然に考えられる理由としては、幼いころに遊んだ実験遊具やゲームのイメージが自身の中に入っていることが原因だと気が付いた。

 

特にリフレクション(反射)や屈折をイメージすることは、自身がパスを出した先の仲間を使って、さらにパスを出すイメージを育むことができたと感じている。

 

以下は実験遊具やゲームの話になるが、自身はおそらく逓信博物館で遊んだことがあると思われる遊具なのだが、レーザービームをレンズの屈折や反射を使ってゴールとなる目標物に当てる遊具で遊んだことがあった。

 

この遊具ではスタートラインからレーザーがまっすぐに出ており、様々な形のガラス製のレンズはBOXについたバーを操作すると動かすことができた。いくつもあるレンズを上手く調整し、反射や屈折を利用してレーザーをゴールに届けることは、サッカーでスペースに出したスルーパスを受けて、さらに前につなぐこと、味方同士が連動して動き、その繰り返しでゴールにボールが入るイメージと似ていた。

イメージとしてはボウリング場に置いてあるような、ピンボールをレーザーを使ってやるような遊具であったが、ネットで検索してみてもこの遊具のようなものは今すぐ遊べるところはなさそうであった。

(画像はイメージです)

 

 

また、ファミコンなどの家庭ゲーム機を通して俯瞰でとらえる能力を養うことができたと思われるのは以下の経験だ。

 

小学校低学年の頃にはファミコンソフトのピンボールを楽しく騒ぎながら延々とやった。

面白い仕掛けや、ボーナスエリアに行くとマリオがいたりするので、羽根の角度や壁を使っての反射、球の強度を考えながらも、ただただ盛り上がって練習や学習という意識のかけらもなく楽しんだ。

 

 

また、アルカノイドなども友人宅でやった。当時は青い球を取ってバーを伸ばすか、赤い球を取ってミサイルで速やかにブロックを消す事ばかり考えていたが、球がどこかにぶつかって跳ねる動きを目にしていたことは、サッカーのピッチという盤面のなかでパスがどのような結果をもたらすのか考える能力を高めてくれたと思う。

(サイドに振って前に出してもらったり、真ん中に出してはたいてもらったりと、自分の出したパスの次のパスのイメージを育むことができた。)

 

アルカノイドの自身のゲーム寸評としては、人のぬくもりのない機械的なビジュアルで、ゲーム自体もアンドロイド的な冷酷で情けのかけらもない感じ、そんな殺伐とした未来のイメージで難易度も高めなこともあり、上手くいってもいかなくても楽しい気持ちにはなりにくかった。あとタイトルもメトロイドに近く世界観もそういう殺伐としたみたいなのだと思う。

 

上記と同じリフレクション(反射)のイメージを楽しみながら鍛えられるのが、パズルボブルだと思う。こちらは狙ったところに特定の色の球(球ではなく本当は泡なのだが)を何個か集めて消していくゲーム。

直接当てられなくても壁に反射させて狙ったところに当てる感じは、目の前に相手がいるなら横にいる仲間に回して前にボールを進めればいいやってイメージにつながっていると思う。

 

 

また、シューティングパズルゲームという珍しいジャンルのゲーム『クォーツ』は、全体を見ながら相手の布陣の偏りを捉え、どこから攻めていくかを自然と考えさせてくれるゲームであったと思う。

こちらも無機質な宇宙と殺伐とした中世ヨーロッパの世界観で、空虚でさみしい気持ちになるようなビジュアルのゲームだ。上手くプレーできてもあまり楽しい気持ちにはならない。

 

そして、やはり一番サッカー感を伸ばしてくれたのはサッカーゲームで、ウイニングイレブン。このゲームはスルーパスをボタンひとつでできるようにしたことが画期的であったと思う。

 

このゲームをやり込んだおかげで、自身は縦へのスルーパス(△ボタン)のイメージは自然に持てるようになった。

また、実際にサッカーをしてみて思ったのは、実際のサッカーでは真ん中にいるMFが相手のDFライン裏の位置を狙って、ウイングの前方に斜めに出すパスが効果的だが、私のやっていたころのウイイレではそのようなパスを出すと(〇でコーナーに出すと上記のイメージになるが、)相手のサイドバックに回収されてFWにはボールは届かない構造になっていた。(私のやっていたころのウイイレでは…)

 

 

私は大人になってからサッカーを始めたこともあり、ドリブルが得意ではなく特に突破のドリブルは自身もなくトライする機会も少ない。

そのため自然とパス主体の攻撃になる。パスを出す判断をするために、特に顔をあげてボールを触ることや、受ける前に周りを見ることについては特に意識をしてきた。

 

その中でもともと自身の中にゲームや遊びを通して育まれた感覚が、パスサッカーと結びつきゲームメイクの能力につながったと考えている。

 

ゲームだけでなく、様々な遊びや経験は直接的ではなく、知らぬ間に能力を高めたり、将来の飛躍のきっかけにつながると私は思っている。

 

私は愛読させていただいている千の顔を持つ英雄さんのハーランドについて書かれた文章を読んだときふと思ったことがある。

カンナバーロとハーランド。 | 徒然に。 (ameblo.jp)

 

 

特別サッカーの訓練をしていない人に「ハーランドの動きをしみてください」と言っても多くの人はおそらくできない。

だが、「だるまさんが転んだと、缶蹴りと、鬼ごっこのイメージでこの人みたいに動いてください」と伝えると、いくらかハーランドの動きをイメージしやすいのではないだろうかと自身は思った。

 

その人がすでに身に着けている感覚と、競技としての動き・イメージがうまく結びつくと大きな飛躍につながるのだとゲームや昔あそびのことを振り返って気が付いた。

 

すこし遊びの話にも及んでしまったが、今回はゲームをやってゲームメイク能力を育む話でした。