南域結界☆ ジェルソミーナ -48ページ目

2 プロローグ

 急に少女を持ち上げ、自分の膝の上に座らせた。
 突然の出来事に驚いて、女の子は学院長を見上げたが、すぐにきらきらと輝く丸い目とぶつかって慌てて目を伏せた。
「レシングちゃんは本当によくお勉強をしている。先生、よく図書館で君の姿を見かけるんだよ。偉いねー。レシングちゃん、お勉強は好きかい?」
 少女はためらいがちに、小さく首を横に振った。学院長は笑って、
「そうかー。先生も嫌いだなー」
 とまた少女の頭をなぜた。そして今思いついたかのように、
「そうだ。ほんのちょっとだけ、いつもやってることを先生に教えて欲しいなー」
 途端、少女の目に恐怖がはしった。
「ちょっとだけ、いつもやってるように集中して、力を外へ押し出すだけでいいんだよ」
 のんびりした調子で続けているつもりだが、しかし少女はすでに泣きそうになっている。
「おなかの底から息を吸って、すっすっ、はー、っで、全身の力を抜くんだよ。簡単だよー」
 しかしみんな分かっているのだ。そんな「簡単なこと」が、この子に限ってはできないことぐらい。
 九つになっても、基本の基本ができない。学院に入学して一年以上経っても、まだできない。
 膝の上で、少女は顔をぐしゃぐしゃにしている。
「大丈夫。ほんのちょっとやってみせてくれるだけでいいんだ。べつに何も起こらなくたって、そんなことは全然構わないんだよ。ただ遊んでるだけなんだから。大丈夫、大丈夫。先生をお友達だと思って、ちょっとだけ、ここでやってみせてくれればいいんだよ」
 そして頭を大きくなぜた。
「何も起きなくったっていいんだから」
 教師達はだるそうに今までのやりとりを聞いていたが、ようやく、自分達がここに集まってきた用事が始まりそうだと、背もたれの上で姿勢を動かした。
「さあ、ちょっとだけ……いい子だから……」
 小さな学生に気付かれないように、学院長は左手を後ろに回した。
 厚みのある大きな手に、ほのかな白い光が宿る。本来なら、こんなテストは彼の主義には合わないのだ。
 女の子の不安そうな目が、視界に入った。
「大丈夫。大丈夫だよ」
 そう言って学院長は、自らの緊張を隠しながら右手を差し出した。
 魔術師になるために必要な、そしてこの魔法学院でやっていくために必要な魔力が、この子には備わっているのか、それを断固測っておくべきだというのが、第一線で働く教師達の共通した意見だった。
 一方学院長は長らく、古代魔法は精神力の魔法であって、この世界に棲む人間なら全ての者が魔法を使えて当然だ、血統だの素質だのが関係する皇帝魔法でもあるまいにと、教師達の要求を退け続けていた。
 だから、今回ばかりは教師陣営からの猛攻撃に、主張をねじ伏せられた形になる。
「大丈夫だから……」
 少女の右手が、体からわずかに離れた。自信なさげに動く指先が、ためらいながらも学院長の指先に重なろうとしている。
 教師達の目が、その一点に注がれる。もしほんのわずかでも魔力があるならば、触れ合った二つの手の平の中に、それなりの発光が現れるはずであった。
 だが、女の子が固く目を閉じた瞬間、
「学院長!」
 教師達が防御膜を張る暇もなく、その大爆発は起こった。白い光の盛り上がりは一瞬のことで、ソファーや家具は、書類の山と共に舞い上がり、たちまち広がった白円の外に、天井まで吹き飛ばされた。
「学院長、しっかり!」


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1 プロローグ

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       プロローグ


 学院長室の扉の奥で、小さな試験が行われつつあった。
 女の子はうつむいて、じっと教師達の視線に耐えている。
 学院長室の応接は広く、天井は高く、ちっぽけで身の置き場のない少女には、ひどく息苦しく、重苦しい場所であるように思われた。
「おや、もう集まってるの」
 学院の鐘が、最後の楽章を鳴らし終えた頃、慌しい靴音が聞こえて、まんまるなお月様の頭が飛び出した。
「いやあ靴が片方、どこかへ行っちゃってねー。探すのにえらく手間がかかったんだよ」
 全く気乗りのしない様子で、教師達はソファーの上に形だけ姿勢を正した。灰色の制服の三つ編みの少女も、いっそう息をこらし、身を縮めて立っている。
 学院長がふいに声を高めた。
「おやおや来てくれてたんだ、ありがとうね」
 そしてずかずかと少女の側へ寄ると、怯えきっているその頭へ、無遠慮に手を伸ばした。
「お名前はなんて、言うのかなー」
 少女は何も答えない。
「お名前、教えてほしいなあ」
 それでも少女は、固く唇を閉ざし続けている。
 教師達の目が明らかに、そらみたことかと嘲り笑っている。
 なにしろこの少女ときたら、彼らの間でも評判の問題児なのだ。
 学院長は白髪まじりの目をまばたきさせて、膝を絨毯の上に深くつけると、
「先生のことは知ってるかな」
 にこやかな笑みを浮かべたまま、少女の顔をのぞきこんだ。少女は虚ろな視線を、絨毯の毛束の上に漂わせている。
 学院長はおもむろに、その小さな頭を強く、何度も何度もなぜつけた。
「どうしちゃったのかなあ、覚えていてくれないのかなあ」
 その哀れっぽい声に、なにか逃げきれないものを感じとったのかもしれない。少女はようやく、実に、かぼそく自信のない声で、
「……がくいんちょう……せんせい……」
 やっとたどたどしく、消え入る程の声で答えた。
「おお、よく分かってたね。偉い偉い」
 教師達の目前で、学院長はもみくちゃになるほど、少女の頭をなぜつけた。
「先生も、君のことはよーく知ってるよ。君のお名前は……自分の名前は言えるかな」
 頭を押さえつけられて、少女は両肩をすくめることで、それにどうにか抗(あらが)っていたが、何度目かの質問でようやく、誰にも聞こえないほどの声で自分の名前を呟いた。
「そうか。じゃあ……レシングちゃん、こっちへおいで」
 まったく馬鹿げた話なのである。この九つになったばかりの少女のために、なぜ学院長が膝まで折らねばならないのか。
 教師達は意識こそ、この少女の上には全くないものの、神経だけはいつでも過敏すぎるほど動かしている。
 こんな馬鹿げたことはさっさと済ませるべきだ、こんな簡単なテストひとつに、なにもそんな手間をかける必要はない。
 学院長は少女をソファに座らせ、自分もその隣に腰をどっしりと落ち着かせた。少女は浅くに腰をかけ、不安気に身を縮めている。
「今日はね、レシングちゃんを褒めてあげようと思って、ここに呼んだんだよ」
 笑顔のまま語りかけ始めた。
「レシングちゃんはよーく、ウサギの世話をしてくれているだろー。先生はね、今日は特にそれを褒めてあげようと思ってたんだ」
 頭に手をやろうと腕を上げた瞬間、少女の肩がびくりとすくんだ。
 学院長はそれを見て、ほのかに明るい笑みを眦(まなじり)に広げると、
「それから、花壇の手入れも手伝ってくれた。木炭の運び込みも手伝ってくれたよね」
 学院長はさりげなく、少女の頭に手を乗せた。
「褒めてあげなきゃいけないことは、いっぱいあるんだよ」
 頭をなぜられながら、少女はずっとうつむいていた。なぜ自分が頭をなぜられているのか、全く理解できないといった風だった。
 学院長は小さな横顔を見下ろし、にこっと笑うと、
「よしいい子だ」


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>★登場人物

★登場人物

イリニア暦 6028~6032年

舞台 シプリペディルム公国・サンテルフェ
   サンテルフェ魔法学院


レシング ♀ (8~12)
 :大人しい内気な少女。いくら頑張っても、魔法が使えない。
 魔法学院を、退学させられかかっている。いじめられっこ。
 後の、結界師・ジェルソミーナ・レシング。

リュイ ♂
 :学力も性格も、なんの特徴もない、目立たない普通の男の子。
 レシングの初めての友達。

学院長 ♂
 :いつもにこにこ笑っている、心やさしい、魔法学院の学院長。
 いつまで経っても魔法の使えない、レシングをかばってくれる。

プリッター教授 ♂
 :古代言語学の教授。人が良すぎるのが玉にキズ。

ベトル教員 ♂
 :プリッターを兄貴と慕う、体育会系の教員。猪突猛進タイプ。

フランドル教授 ♂
 :防御魔法学の教授。何者なのか正体不明。


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